第二部・夏のペンタグラム




 二人は生まれたままの姿でベッドの上に並び、毛布をかけて横になっていた。

「ねえアスカ……」

「うん?……」

「いやなんじゃ、なかったの?……」

「……シンジ、きいてくれる?……」

「うん」

「……あたしね、……ドイツの大学にいたときね、男の人に『犯された』ことがあったのよ……」

「えっ!?……、でも、まだその時は、アスカ……」

「うん、まだ10歳だったわ。……先輩に研究室につれこまれてね。いたずらされたの……」

「……そんな……」

「さすがに最後まではされなかったけど、指で『犯された』の……」

「……そんなことが……」

「……そのことさ、ずっと忘れてたんだけど、日本にきて、使徒と戦ったとき、ほら、あの精神攻撃のときだけどさ、むりやりおもいださされたのよ……」

「…………」

「それでさ、それから後ね、『向こうの世界』に行って、こっちにかえってきて、そんなことすっかりわすれてたのね。……それがさ、このまえ、シンジがあたしのふとももに手をおいたときさ、急におもいだしちゃったのよ……」

「……ごめん、……アスカ……」

「ううん、シンジのせいじゃないわ。……それでさ、あのとき、おもわず大きな声だしちゃったのよ……」

「……そうだったの……」

「……でもさ、今はもうなんともないわ。……そのときのいやなことも、これですっかりわすれられるわ。……シンジ、ありがと……」

「……アスカ……」

 思わずシンジはアスカの手をそっと握った。アスカもシンジの手を握り返す。

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第四十話・一期一会

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「……シンジ」

「うん?」

「……あたしさ、さっきへんな夢みたのよ。……こわかった……」

「……僕も恐い夢見たよ……」

「……ねえ、きいてくれる?……」

「うん」

「……あたしがさっきみた夢ね。……『あのとき』の夢だったのよ……」

「えっ!? あの時、って?……」

「……前の歴史でさ、あんたとあたしのふたりだけがのこったときの夢よ……」

「えっ!! そんな! ……僕の見た夢もそれだよ……」

「えっ! シンジもおなじ夢みたの?!」

「ま、まさか!……。じゃ、リビングでケンカした夢も見たの?!」

「えっ! シンジもみたの!? ……どういうことよ?! ……じゃ、もしかして、あたしが入院してたときの夢も……」

「そんな! ……アスカと僕が同じ夢見てたなんて……」

「……そんなまさか……。どういうことよ。……それに、入院してたとき、あたしは意識不明だったはずよ。……なのに、なんであんな夢を……。あ! シンジ、もしかして、あんた、あたしが入院してたとき、ほんとにあんなことしたの?!」

「!!!!! ……ごめん。……アスカ……」

「!!!!! ……シンジ……」

「……ごめん……」

 二人は無言のままでいるしかなかった。しかし暫くの沈黙の後、アスカはふと妙な事に気付き、

「……あ、でもさ、シンジ……」

「え?……」

「あたしたちさ、リビングでケンカなんかしてないわよね……」

「え? ……そう、だよね……」

「あとの二つはたしかにあたしたちが体験したことだわ。でもさ、リビングの夢は、なかったことよ……。それにさ、なんであんたとあたしがおんなじ夢みたの……」

「……どうして同じ夢見たのかは、わからないよ。……でも……」

「でも、なに?……」

「リビングの夢はさ、僕、前に見たことあるよ……」

「えっ!?……」

「夢、って言うよりもさ、補完計画の時にさ、初号機の中で見た、まぼろしなんだよ……」

「それって、どういうことなの……」

「……わからないよ。……でも、あの夢は、たしかに実際にあったことじゃないけど、僕の心の奥底にあったことなんだ……」

「……シンジ」

「うん?」

「あたしさ、……あんたと二人でのこったときのことさ、もうすっかりわすれたとおもってたわ。あれはきっとわるい夢だったんだ、わすれよう、って、そうおもうようにしてさ、すっかりわすれてたのよ」

「…………」

「でもさ、こんな夢みちゃったのよね。……まるで現実みたいな夢だった。とても夢とはおもえなかったわ……」

「…………」

「……ねえシンジ」

「……うん?」

「あたしさ、むこうの世界にいって、シンジやレイとがんばって、それからこっちにかえってきて、あんたとなかなおりして、好き同士になって、もうあのときのことをかんがえることなんかないだろな、って、おもったのよ。……でもさ、やっぱりあたし、あのことわすれてなかったのよ。……あんたに殺されそうになったこと……」

「…………」

「………もちろんさ、あたし、今のシンジのことは好きよ。それはかわらないわ」

「…………」

「でもさ、やっぱりこうしてみるとね、あのこと、自分でケリをつけてないのよ。それがよくわかったわ……」

「…………」

「シンジ、この際だから、もう一度きくわ。よくかんがえてさ、はっきりこたえてよ。……あんた、あのとき、なんであたしを殺そうとしたの……」

「…………」

「……おねがい、こたえてよ。……シンジがさ、あたしのことほんとに好きなら、ちゃんとこたえて……」

「……アスカ……」

「うん?」

「……僕さ、あの時、アスカと二人で残った時さ、……なんでこんなことしたのかわからない、って、言ったろ……」

「……うん……」

「……今、その訳が、やっとわかったよ……」

「……どうして、……なの?……」

「……リビングでケンカした夢、見たろ……」

「……うん……」

「……あの夢はさ、確かに、補完計画の時、僕が見たまぼろしなんだ。それはまちがいないんだ……」

「……それで?……」

「でもさ、あのまぼろしは、あの時の僕の心の奥底にあった、本心なんだよ。きっと……」

「!! ……シンジ……」

「……僕さ、前の歴史の時、ほんとはアスカのこと好きなのに、……僕が情けなかったから、……僕がだめな奴だから、アスカにきらわれただけなのに、アスカが僕をきらってるのは、僕のせいじゃなくて、アスカが僕に意地悪してるんだ、って、心のどこかでずっと思ってたんだよ……」

「…………」

「……だからさ、みんな溶けて一つになってさ、自分と他人との境目がなくなって、もう他人を恐がる事なんかないんだ、って、思った時さ、うれしかったけど、でも、もう他人を恐がることもないけど、そこには僕もいない、って思うと、たまらなくいやになったんだ……」

「…………」

「それでさ、元にもどりたい、って思ったら、元にもどってたんだ……」

「……でも、なんであたしももどったの……」

「……最後の瞬間に、僕がアスカのこと、考えたからだよ。……きっと……」

「……あたしのこと?……」

「うん、……前の時はさ、アスカのこと、ほんとは好きだったけど、恐い、って、思ってたんだ。……アスカは僕を大きらいなんだ、僕はアスカが恐いんだ、って、思ってたんだ……」

「……シンジ、あんた……」

「……最後の瞬間にさ、自分と他人との境目のこと考えてさ、僕のすぐ近くにいて、僕のことを一番きらってて、僕の方も一番きらってるのはアスカだ、って思ってしまったんだ。……だからさ、一番身近な他人の、アスカも一緒に連れて来てしまったんだよ。きっと……」

「…………」

「それでさ、もどっては来たけど、僕とアスカのほかには誰もいなかっただろ。……もうここで死ぬしかないんだ、アスカと二人で死ぬしかないんだ、って思ったら、ほんとになにも考えられなくなってさ、……なにもわからなくなって、……気がついたら、アスカの首、しめてたんだよ……。リビングでのケンカのまぼろしと同じように……」

「…………」

「こんなこと言っても、たぶん言い訳にしかならないと思うよ。それは自分でも思うんだ。……でもさ、自分で自分がつくづくいやになったけど、今やっとわかったよ。……これが僕のほんとの心だったんだよ……」

「…………」

「……でも、もういいわけもしないし、逃げもしないよ。……こんなこと言っちゃってさ、またアスカにきらわれると思うけど、これが僕の本心だよ……」

「……シンジ」

「うん?……」

「一つだけきかせて」

「なに?……」

「……シンジ、……あんた、今でもそれがほんとの自分の心だとおもってる?」

「…………」

「こたえてよ」

「思ってない」

「ほんと?」

「うん。……こんなこと言っても、いいわけにしかならないかも知れないけどさ、沢田君や北原さんや形代さんとめぐり会って、神様に会えて、僕は生まれ変わることができたんだ、って、思ってる……」

「……シンジ、あたしもさ、前のあたしと今のあたしはちがう、っておもってるわ。……たしかにさ、前はあんたにへんなライバル意識ばっかぶつけてて、いじわるばっかしてたこと、自分でもみとめるわ。……ごめんなさい……」

「…………」

「でもさ、あたしも神様に会えて、こっちにかえってきてさ、あんたとなかよくなって、あたしはべつのあたしになったんだ、って、おもってるわ」

「…………」

「だからさ、今シンジにあんなこときいたけど、シンジがそういってくれてね、かえってすっきりしたわ」

「……アスカ、僕は……」

「……シンジ、もう一つきかせて。……あんた、今のあたし、好き?……」

「……うん、大好きだよ……」

「……あたしも、今のシンジ、大好きよ……」

「……アスカ……」

「……シンジ、あたしさ、これでやっと、あのときのこと、すっかりわすれられるわ……」

「……アスカ、僕は、……僕は……」

「もういいの。なにもいわないで。……ね……」

 アスカはそれだけ言うとシンジに寄り添って来た。シンジは泣き出しそうになる気持ちをこらえてアスカを強く抱きしめた。

「ねえシンジ……」

「なに?……」

「……あたしたちさ、……もうここまでしちゃったのよね……」

「え?! ……う、うん……」

「後悔してる?……」

「そ、そんな! 後悔なんか、……して、……ない、よ……」

「ほんと?」

「ほんとだよ」

「……ねえシンジ……」

「うん?……」

「……さいごまで、しようか……」

「えっ!!?」

「そ、そんな……、アスカ……。……最後まで、って……」

「……いいじゃない……。それとも、いや?」

「そ、そんなことないよ。……でも……」

「……でも、なんなのさ」

「……そんなこと、しちゃったら……」

 シンジは動揺の極致にあった。

「……しちゃったら、どうだってのさ……」

「……もし、妊娠しちゃったら、どうするの……」

「……だいじょうぶよ。日にちからみたら……。たぶん……」

「……そ、そうなの……」

 シンジは改めて横に寝ているアスカの顔をそっと見た。アスカは訴えるような眼でこちらを見ている。

「……だからさ、しよ……」

「……う、……うん……」

 シンジは迷っていた。幾ら何でも今日この状態でアスカとセックスする事は考えてもいなかったからだ。いや、正確に言うと、妄想の中ではアスカとセックスしている自分をいつも考えてはいたのだが、「実際に」となると、それは最早「意識の埒外」である。それに、アスカから誘われるとは考えてもいなかったから、余計にどうしたらいいか判らなかった。

「……でも、……僕、……どうやったらいいのか、わからないよ……。アスカ、わかるの?……」

「……あたしもよくわからないわよ。……でもさ、なんとかなるんじゃない……。だいたいのことはシンジも知ってるでしょ……」

「……う、うん……。そりゃ、まあ、……そうだけど……」

「……それともさ、……シンジ、……あたしとするの、そんなにいやなの?……」

「そ、そんな事ないってば。……でもさ、正直言うと、……やっぱりちょっとこわいよ。……アスカはこわくないの?……」

「……そりゃ、あたしだってちょっとはこわいわよ。……でもさ、あんた、このままでがまんできるの?」

「えっ? ……そ、それは……、その……」

 シンジはアスカの言葉に反論出来なかった。無論シンジとしても、ここまで事が進んでしまった以上、これから先、「我慢」出来る筈などない事はよく判っている。

「……どうなの?……」

「……がまん、……できないよ……」

「……でしょ。……だからさ……、ね……」

「……う、……うん。……でも、……でも、……アスカ……」

「なによ」

「……ほんとに、……僕で、……いいの?……」

「…………なんで、そんなこというのよ」

「えっ?!……、そ、そりゃ、……その……」

「なんでそんなこというのよ! それとも、あたしが、あそびでしたいって、いってるとでもいいたいの!」

「そんなことないよ! でも、これって、アスカにも僕にもすごく大切なことじゃないか! もしさ、今日僕たちがあんな夢みちゃて、それだけのことでアスカがそんな気を起こしちゃったんだとしたら、僕、そんなことでアスカと最後までするなんて、できないよ!」

「それって、あたしのことをおもいやってるつもりなの! おもい上がらないで! うぬぼれもいいかげんにしてよ!」

「うぬぼれてなんかいないよ! でも、もし最後までしちゃった後でアスカが後悔したりしたら、悔やんでも悔やみ切れないじゃないか! なんでそれをわかってくれないんだよ!」

「なによ! そんなことおもう前に、シンジがしっかりして、あたしがぜったいに後悔しないようにしてくれたらいいじゃない!」

「えっ!!!!」

 このアスカの一言はシンジの心臓をグサリと貫いた。

「……なんで、……なんで、ぜったいに後悔なんかさせない、って、いってくれないのよ……」

「……アスカ……」

「……あたし、……ぜったいに後悔なんかしないわよ。……今のシンジとだったら……」

「アスカ……」

「……シンジ、あたしとそうなったら、……後悔……するの?……」

「……しない」

「ほんと?」

「うん」

「……あたしも、後悔なんかしない……」

「アスカ……」

「……シンジ……」

 アスカは瞳を僅かに潤ませてシンジをじっと見詰めている。この期に及んで、シンジの「体」は、「不安な思い」とは裏腹に、既に、完全に「臨戦態勢」を整えていた。

「……絶対に、後悔なんか、させないよ……」

「……うん、……シンジ……」

 アスカは静かに眼を閉じた。瞼の間からは涙がほんの少し滲んでいる。シンジは震えながら意を決すると、そっとアスカに覆い被さって唇を重ねた。

「…………」
「…………」

 二人の唇はお互いを求め、舌は熱く絡まった。

「…………」
「…………」

 アスカはシンジの背中に手を回して固く抱き付いて来た。シンジもアスカをしっかりと抱きしめている。暫くしてシンジがそっと唇を離すと、アスカもそっと瞳を開いた。

「……じゃ、行くよ……」

「……うん……」

その時、

ウーーーーーーーーーーーッ!!!

 突然、外でサイレンがけたたましく鳴り響いた。

「えっ!!!??」
「えっ!!!??」

 驚いた二人は慌ててベッドから飛び起きた。

 続く



この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。

BGM:'アヴェ・マリア(カッチーニ) ' mixed by VIA MEDIA

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