第二部・夏のペンタグラム
2月3日の深夜、松代の例の会社では「使徒の再生作業」が進められていた。倉庫では、「アダムの精子とリリスの卵子」の人工授精がリツコによって行われている。
そこへゲンドウが姿を現し、
「リツコ君、授精作業は終わったか」
「はい。完了しました」
と、答えた後、リツコは訝しげに、
「でも、なぜ20個なんですの? 使徒の遺伝子のサンプルは10しかありませんわよ。予備なんですか?」
「ふふふ、それはいずれわかる。今はとにかく言う通りにしておけ。……それから、ゼルエルの血と初号機の血はちゃんと分離したな」
「はい。それは大丈夫ですわ」
「では、早速ウイルスを使って遺伝子を組み込め。私は祇園寺と一緒に『エサ』を持って来る」
「はい」
+ + + + +
第三十六話・三界無安
+ + + + +
程なくしてゲンドウと祇園寺の手によって「社員の死体」が倉庫に運び込まれた。それらの死体をアダムとリリスが入れられていた水槽に1体ずつ入れた後、ゲンドウはリツコに、
「始めろ」
「はい」
それぞれの水槽に、「ウイルスによって使徒の遺伝子を組み込まれた10個の受精卵」が投入される。その様子を見ながら薄笑いを浮べたゲンドウは、
「リツコ君、イロウルに関しては、元々が細菌状だった。その点は注意しているかね」
「はい。受精卵に組み込みましたから、初期段階では群体のようになって育つと思います」
「よかろう。後は待つだけだな」
と、薄笑いを浮かべたゲンドウは、改めてリツコの方に向き直り、
「ところでリツコ君、さっきの君の質問に関連しているんだが、なぜ、わざわざ受精卵に使徒の遺伝子を組み込ませたと思うかね?」
「わかりません。使徒は単体生物ですから、本来、受精卵を使う必要はないはずです。それに、各2体ずつ作ったら、もう1つの自分とケンカをする恐れがありませんか?」
ゲンドウは笑いながら頷くと、
「ふふふ、いいところに気付いたな。実はこれは私のアイデアではない。祇園寺のアイデアなのだ」
「祇園寺さんの?」
「そうだ。祇園寺、話してやれ」
祇園寺もニヤリと笑い、
「ふふふ、なぜ2体ずつ作ろうとしたのか。それはな、使徒に『生殖』をさせるためなのだ」
流石のリツコも呆気に取られ、
「生殖ですって!!??」
「そうだ。受精卵を使えば、当然、通常の生物と同じように生殖能力を持つのではないか、と考えたのだよ。しかもだ。それぞれの『種』を引き離して置いてやれば、『繁殖期』に入った使徒は、『相手』を探して引き合う筈だ。その時の『性的エネルギー』は、恐らく我々の想像を絶する物になるに違いなかろう。生殖行為を行いたくても相手がいない、となれば、間違いなく使徒は荒れ狂う。その時の『代償行為』が『激しい暴力』に結び付くだろう、と推測するのは、あながち的外れでもなかろう」
「でも、引き離す、とおっしゃいますが、使徒の能力なら簡単に相手を見つけるのでは?」
「『繁殖期』になる直前に、簡単には出会えない場所に引き離してやればよい。そうすれば使徒は『相手を探して荒れ狂う』と言う訳だ。これは『リリスの子宮に帰りたい』と言う『子宮回帰願望』を遥かに上回る事になる筈だ」
「そこまで考えておいででしたの……。でも、どこへ引き離すのですか?」
「それは『蓋を開けてのお楽しみ』と言うヤツだ。まあ、すぐわかるよ。ふふふ」
「まあ、そう言う事だ。どこへ引き離すかは祇園寺に任せておけ。必ず面白い物が見られるぞ。わははははは」
「はい。……わかりました……」
+ + + + +
2月4日の朝、マンションで目覚めた加持は即座に旅行の支度を始めた。
(……みんなには全て話しておこう……)
+ + + + +
さてこちらはミサトの部屋である。
トゥルルル トゥルルル トゥルルル
「……はい、葛城です」
『俺だ』
「あ、加持君。準備はできてるわ」
『出る前にみんなに事情を話しておこう。シンジ君とアスカはいるな』
「うん。今日は学校が休みだから」
『そうか、じゃレイに連絡しておいてくれ。これからそっちへ行く』
「わかったわ」
加持からの電話を切ったミサトはすぐにレイの電話番号を押した。
+ + + + +
程なくしてレイがやって来た。
「おはようございます」
アスカとシンジが、
「あ、おはようレイ」
「おはよう綾波」
「レイ、朝から悪いわね」
と、申し訳なさそうなミサトに、レイは軽く首を振り、
「いえ、緊急みたいですね」
「うん。もうすぐ加持君が来るからね。今日はちょっと重大な話よ」
と、ミサトが真顔で頷いた時、
ピンポーン
+ + + + +
五人はダイニングのテーブルに着いた。ミサトと加持が並んで座り、シンジ、アスカ、レイの三人はテーブルを挟んで二人に向かい合っている。
まず、加持が、
「みんなには朝から集まってもらって悪いが、今度ばかりはちょっと大切な話でな」
アスカが、不安そうに、
「どうしたの?」
努めて静かな口調で、加持は、
「今日からしばらく、葛城と俺は留守になる。松代と京都に行って来る」
シンジは顔色を変え、
「えっ! なにかあったんですか?!」
「まず一番肝心な事から言おう。冬月前副司令と赤木博士の二人が行方不明になったんだ」
「!!!!!!!!」
「!!!!!!!!」
「!!!!!!!!」
三人は言葉をなくした。
+ + + + +
さて、こちらは監禁されている冬月。
(どうしたんだ。……いつもきっちり朝食を持って来ているのに。……なにかあったのか?……)
食事が来ない事ぐらいは、別にどうと言う事はない。しかし、「いつもと違う」と言う事が冬月の心に不審を湧き起こらせていた。
(……まさか、何か大きな動きが……)
+ + + + +
加持は、三人に一通りの事情を説明した後、
「……そう言う訳でな。今度ばかりはどうも胸騒ぎがして仕方ない。葛城と二人で松代と京都を調べに行って来るよ」
ミサトも真顔で、
「あんたたちには悪いけどさ、今度ばかりはしっかりお留守番しててちょうだい。絶対にムチャはしないつもりだけど、放っておくわけには行かないのよ」
流石にアスカも心細気に、
「……でも、……でも、加持さんも、ミサトも、あぶなくないの?……」
加持は努めて淡々と、
「それは承知の上さ。……でもな、今度ばかりはわかってくれ。絶対に死にゃしないさ」
「!!!! 死ぬ、だなんて……。そんな……」
アスカは少し声を震わせた。シンジも心配顔で、
「……加持さん、ミサトさん……。だれかほかの人に代わってもらえないんですか……」
しかしミサトは、真顔を崩さず、
「シンちゃん、心配かけてほんとにごめんね。……でもさ、みんなの幸せのためにも、今度ばかりは人任せにできないのよ。わかってちょうだい……」
「……部長……」
レイはそれしか言えなかった。加持は続けて、
「今言ったJAの事もそうだし、二人の事もそうだ。おまけに松代の三人が行方不明になった、と言う事は、何か動きがあると考えざるを得ない。事態が大きくなる前に芽を摘んでおかないとな。……それに、ちょっとでも危険を減らすために二人で行くんだ。連絡は忘れずに毎日するから、君達はこっちでしっかり留守番をしていて欲しいんだ」
ミサトも、加持と同じ口調で、
「そう言うことなのよ。わたしからもお願いするわ」
暫しの沈黙が流れた後、シンジが顔を上げ、
「……わかりました」
「!! シンジ……」
「!! シンちゃん……」
と、驚いてシンジの方を向いたアスカとレイには敢えて応えずに、シンジは、力強く、
「しっかり留守番します。加持さんも、ミサトさんも、充分気をつけて下さい」
加持は、
「わかってくれたか。……シンジ君、ありがとう」
と、頷いた後、アスカとレイに、
「アスカとレイはどうだ?」
ここに来て、アスカも、
「……わかったわ。……でも、二人とも、ほんとに気をつけてね」
レイも同じく、
「わかりました。……お二人とも、充分注意なさってください……」
加持は、大きく頷き、
「そうか、アスカ、レイ、ありがとう。……ところで、話は変わるんだが、この際だから、葛城とシンジ君に一つ言っておこうと思うんだ」
シンジとミサトは、
「えっ? 僕にですか?」
「なに? 加持君……」
「JAの事なんだ。今となっては全て済んだ事なんだが、前のJAの暴走事故には、俺も少々関わっていた部分があってな」
「えっ!? どう言うことよ?」
と、顔色を変えたミサトに続き、シンジも、
「加持さん、どう言うことなんですか?……」
加持は、シンジを見て、
「シンジ君、あの事故は碇司令が仕組んだものだった事は前に葛城が言ったよな」
「はい」
「JAの情報を一番最初に碇司令に流したのは、実は、俺なんだよ」
「えっ!!」
「加持さんが!!」
ミサトとシンジは驚きの余り、それだけしか言えなかった。アスカとレイは言葉を失っている。
「!!!!」
「!!!!」
一呼吸置いて、加持は、
「ああ、碇司令に頼まれてな、内務省からちょいと拝借した資料をな、横流ししたんだ。……しかしな、まさかあそこまでやるとは思ってもいなかった。……俺が甘過ぎたんだ」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「俺が碇司令から聞いた話では、政治的圧力をかけて、JAの予算をこっちに回させる、と言う事だったんだ。そのための材料として使うと思っていたんだ。……ところが、一歩間違えれば、炉心融解、放射能汚染の危険性がある事までやらかすとは……。俺も裏切られた気持ちだったよ……」
ミサトが、哀しそうにポツリと、
「加持君……」
「その意味でな、俺は葛城やシンジ君には、この件ではずっと心にひっかかりを持っていたのさ。……でも、あの時点でも、それから後も、俺としてはどうしようもなかった。今更言っても仕方ないが、結果的に二人を危険な目に遭わせてしまった事は謝る。許してくれ……」
またもや暫しの沈黙の後、シンジがゆっくりと顔を上げ、
「……加持さん……」
「なんだ?」
「……今、言ってくださいましたから、僕はもういいです。気にしないでください……」
「シンジ君……」
ミサトも頷き、
「……そうよね。……加持君、いつか言ってくれたわよね。隠し事はしない、って……」
「ああ、確かに言った……」
「……だったら、わたしも、もういいわ。……すんだ事は忘れて、これからの事を考えましょう……」
加持は、二人に頭を下げ、
「葛城……。二人とも、どうもありがとう……」
ミサトは大きく息をすると、顔を上げて背筋を伸ばした。そして、立ち上がり、
「じゃ、この話はもう終わりね。……加持君、行こうか」
加持も立ち上がって、
「わかった。行こう」
と、二人が部屋を出ようとした時、シンジが、俯いたまま、
「加持さん、ミサトさん」
「ん?」
「なに? シンちゃん」
加持とミサトが立ち止まって振り向く。シンジはゆっくりと顔を上げた。ほんの少しだが、眼が赤い。
「……絶対に死なないで下さいね! 絶対に生きて帰って来て下さいね!!」
「シンジ君……」
「シンちゃん……」
アスカとレイも顔を上げ、
「二人とも、絶対に、絶対に死んじゃいやよ!! ぐすっ……」
「お二人とも、絶対にご無事でいてください!!」
加持とミサトが、
「アスカ……、レイ……」
「あんたたち……」
と、言葉を詰まらせた時、
「わああっ!!」
「わああっ!!」
「わああっ!!」
もう我慢出来なかった。シンジ、アスカ、レイは、立ち上がって加持とミサトの所に駆け寄る。
「…………」
「…………」
「わああっ!!」
「わああっ!!」
「わああっ!!」
ミサトと加持は、三人を無言で抱き寄せるだけだった。
+ + + + +
松代の例の会社の倉庫。
水槽を見ながら、ゲンドウが北叟笑み、
「もうかなり大きくなったな」
リツコは無表情のまま、
「ええ、全ての個体ともに、目測で100グラム近くありますわ。そろそろ運び出さないとだめですわね」
祇園寺は、感心した顔で、
「いやしかし、大したもんだ。僅か一晩でこれだけ大きくなるとはな。『倍々ゲームの恐ろしさ』と言うヤツだな。『エサ』も殆ど食い尽くしたじゃないか。これなら後始末の手間が省けるな。わはははは」
ここで、ゲンドウが、
「ではそろそろここを出る準備にかかるか。リツコ君、アダムとリリスに服を着せてくれ」
「はい。……でも、第壱中学校の制服まで用意なさったなんて、結構なご趣味ですわね……」
「ふっ、この二人に着せるとなればこれしかあるまい」
祇園寺は、
「では私は車を用意して来よう。ここのワゴン車でいいな」
「無論だ。そのための『この会社』だからな。後部座席は倒してベッドのようにしておけよ」
「わかっている。クルーザーのキーも忘れないようにしないとな」
それを聞いたリツコは、呆れ顔で、
「そんなものまでありますの」
ゲンドウは、ニヤリと笑い、
「無論だ。糸魚川郊外のマリーナに置いてある。こんな会社だから、船は必需品だ」
+ + + + +
リニア新幹線で一路第2新東京へ向かう中、前を向いたままの加持が、
「渡には連絡しておいた。迎えに来てくれる事になっている」
「わかったわ。……お弁当、食べる?」
「ああ、もらうよ」
+ + + + +
第2新東京市駅前。
加持が、周囲を見回し、
「渡が来てくれている筈なんだが……」
そこに、渡が現れ、
「お、加持」
「お、すまないな。休日にわざわざ来てくれて」
「ふふふ、何を今更。……しばらくです。葛城さん」
ミサトも一礼し、
「しばらくです。お世話になります」
渡は頷くと、
「じゃ、行こうか、車に乗ってくれ」
+ + + + +
松代。
祇園寺と一緒に社長室に戻って来たリツコが、現金をかき集めていたゲンドウに向かって、
「準備完了です。アダムとリリスは車の後に寝かせました。必要な器材も全て積み込みましたわ」
「では行こうか。祇園寺、道はわかるか?」
「無論だ。私は『芦屋ユキミツ』だぞ。わははは」
「そうだったな。では道案内を頼む。リツコ君、運転してくれ」
「はい」
+ + + + +
加持、ミサト、渡の乗った車は一路松代へと向かっていた。
松代は元々は長野市の一部である。しかしセカンドインパクト後、首都が長野市に遷都され、長野市中心部が行政特別区の「第2新東京」となってからは、周辺の自治体と共に「松代市」となって現在に至っている。
後部座席右側に座っていたミサトが、ふと、
「松代か、ひさしぶりねえ……」
「そうだよなあ。……色々あったよなあ……」
加持の口調もやや沈んでいる。それを聞いた渡が苦笑し、
「……ふふ、どうやらお二人とも、松代には余りいい思い出がないようだな」
「……そうなんだ。……色々とあり過ぎてね……」
「…………」
助手席の加持は苦笑しながら語ったがミサトは無言のままである。渡も「エヴァ参号機の件」は知っているだけに、それ以上は何も言わない。
(……ほんと、いろいろとあり過ぎたのよねえ……)
ミサトはかつての「松代実験場での悲惨な出来事」を思い出し、暗い気持ちで何気なく対向車線を見ていた。
(……リツコ……。どうしてんの……)
その時だった。反対車線の一番中央寄りを向こうから走って来た白いワゴン車の運転手の顔を見たミサトは、余りの驚きに、思わず振り返りながら叫んだ。
「リツコ!!!!」
それを聞いた加持と渡は血相を変え、
「何っ!!! リッちゃんだって!!!」
「何だって!!」
「リツコよ!! 間違いないわ!! あの車を運転してた!!」
続く
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。
BGM:'夜明け -Short Version- ' composed by Aoi Ryu (tetsu25@indigo.plala.or.jp)
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