第二部・夏のペンタグラム




 さて、1月5日も夜になった。いよいよ明日からはIBOで実験が始まる。ミサトも夕方に帰って来て、いつも通りに入浴を済ませ、みんなで夕食を取った後、コーヒータイムと洒落込んでいた。

 頬杖を突きながら、アスカが、

「あーあ、いよいよあしたから実験かあ。……なんだかちょっと緊張するなあ」

 ミサトが苦笑して、

「なーに言ってんのよ♪ アスカはトップパイロットだったんでしょ。こんなもんぐらいなんでもないって♪」

「うーん、ま、はじめはたしかにそうだったかもしんないけどさ、あたし、最後のほうはシンジにも負けてばっかだったし、ボロボロだったじゃない。だから、あんまりいばれないのよねー」

「あーら、アスカがそんなこと言うなんて信じられないわねえ。あんたもずいぶん謙虚になったじゃない。ねえ、シンちゃん♪」

と、ミサトに振られたシンジは、流石に一瞬言葉に詰まり、

「……いや、そ、そんな……。なんて言ったらいいのか……」

 しかし、アスカは苦笑して、

「シンジ、そんなに気をつかわなくたっていいわよ。実際そうだったんだし、もうすんだことなんだからさ♪」

「そ、そうなの。……でもさ、アスカが調子を悪くしたのはアスカのせいばっかりじゃなかっただろ。僕も悪かったしね。……なんだか責任感じちゃうな……」

 二人のやりとりに、ミサトもしみじみと、

「そうよねえ。……わたしも悪かったもんねえ……」

 それを聞いたアスカは、軽く頷き、

「そっか……。うん、まあ、シンジやミサトがそう言ってくれるのはうれしいわよね……。うん、まあ元気だしてがんばるわよ♪」

 シンジも頷いて、

「うん、がんばろうね」

 二人の言葉を聞いたミサトは、

「……♪」

 アスカもシンジもずいぶん成長したものだ、自分も頑張らねば、と、思いながら微笑んでいた。

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第二十八話・明鏡止水

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 その時ミサトは、軽くテーブルを叩き、

「あ、そう言えばさ、悪い、ってことで思い出したわ。わたし、レイにちょーっち悪いことしちゃってさ。まあ、大した話じゃないんだけど、なんだか気が重いのよねー……」

 アスカが、興味深げに、

「どうしたの?」

「いや、それがさ、相田君と洞木さんをテンポラリスタッフに採用した件をね、レイに言うのずっと忘れててさ、今日伝えたばかりなのよ。

ほら、なんのかんの言っても、私たち五人さ、隠し立てしないでずっと一緒にやって来たでしょ。たまたま一緒に住んでるからあんたたち二人にはちゃんと言ったし、加持君は仕事柄そんなことすぐわかるじゃない。なのに、あの子にだけ言うの忘れてた、って考えるとさ、なにかレイに申し訳なくてね……」

「そっか……。でもさ、言いわすれてた、ってことはちゃんと言ったんでしょ?」

「そりゃもちろんちゃんと言って謝ったわよ」

「だったらもういいんじゃない。だいたい、レイはそんなこと気にしてないわよ」

 シンジも頷き、

「僕もそう思いますよ。綾波は冷静だし、そんなことでおこらないでしょ」

 所がその時、アスカが、はっとした顔で、

「……あ、でもさ、いまシンジが、レイは冷静だ、って言ったから逆に思ったんだけどさ、あたしがもしその立場だったら、やっぱりちょっとショックかもしんないな……」

 シンジも、改めて、

「……そう言えば、もうすんだことだし、今回とは違うとは思うけど、トウジがフォースに選ばれた時のこと、僕も最後まで知らなかっただろ。それからあんなことになっちゃって、あの時はすごいショックだったよな……」

 ミサトは何度も頷き、

「うん、わたしもそう思うのよね。だからさ、ちょっち気になってんのよ……」

 一瞬の沈黙の後、アスカが、

「……ま、でもさ、いまさら言ってもしかたないし、あたしもシンジもレイに言わなかったんだから、これから気をつけるしかしかたないんじゃないの」

 シンジも、

「たしかにそうだよね。まあ話の流れから言ってさ、僕やアスカが直接綾波に言うことでもなかったのかも知れないけど、言っても悪くはなかったよね……。ま、これから気をつけようよ……」

 ミサトも、改めて、

「そうよね。これからはわたしももっと注意するわ」

 その時アスカが立ち上がり、

「……あ、あたしちょっと思い出したことがあるから、部屋にもどるね」

 シンジも同じく、

「あ、僕も思い出したことが……」

 何故か、ミサトまでが、

「わたしもちょーっち用事を思い出したわ……」

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 アスカは部屋に戻ると、すぐさまスマートフォンを取り出してベッドにもぐり込み、毛布をかぶってボタンを押した。

(……まだおきてるわよね……)

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 さてこちらはレイ。

 カヲルとの「初めてのデート」の後、アパートに帰って来てからシャワーを浴び、それから「いつものレイらしく」、ずっとベッドで物思いに耽っていた。

 夜になっても、いつも通りの簡単な食事を済ませた後は、またもやベッドで「物思い」である。

(……今日は楽しかったわ……。こんな気持ち、生まれて初めて……)

 今日のカヲルとの一日の事を思い出すと心が温まる。レイは今まで感じた事のない自分の感情にずっと思いを馳せていた。

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

「あ、電話だ。…………はい、綾波です」

『あ、レイ? あたし、アスカ』

「あ、こんばんは。どうしたの?……」

『いやそれがさ、さっきミサトに聞いたんだけど……』

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(……話し中だ。……綾波にしちゃめずらしいな……)

 シンジも毛布をかぶってレイに電話をかけていた。

(……後でまたかけるか……)

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(……あちゃー、タイミング悪いわねえ。話し中だわ……)

 ミサトも自室でこっそりレイに電話をかけていた。

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『……と、言うわけなのよ。あたしもシンジもちゃんと言わなくてわるかったわ。ごめんねレイ』

「そんな……、全然気にしてないわよ。……かえって心配かけてごめんね……」

『そっか、ありがと。……ま、これからは気をつけるからさ、今回はカンベンしてよね』

「ううん、そんなこと気にしないで。……でも、どうもありがと。……とってもうれしいわ……」

『そう言ってもらえるとありがたいわ。じゃ、これでね。あしたからがんばりましょ。おやすみ』

「うん、明日またね。おやすみ……」

 レイは少し驚いていた。まさかこんな事でアスカが電話して来るとは思ってもいなかったからだ。

(……でも、わたしだけ知らなかったのよね。……そう言われてみたら、ちょっとショックだな……)

 今朝ミサトから電話を貰った時は全く意識していなかったし、その後カヲルと出かけていたからそんな事を考える余裕もなかったのだが、こうして改めてアスカに言われてみると、「自分一人だけ爪弾きにされた」ような気がしないでもない。かつてのレイならそんな事は全く気にも留めなかっただろうが、今の彼女には小さな心の傷となっても無理はない。しかし、そう考えていた時、ふとレイの心に浮かんだ事があった。

(……あ、そう言えば、前に鈴原くんがフォースに選ばれた時、シンちゃんは最後まで聞かされてなかったんだ………)

 シンジも同じようなショックを、いや、トウジの件ではもっと強いショックを受けたのだ、と考えると、レイの心にも後悔の念が湧き起こって来た。

(……そうなのよね。……わたしもあの時シンちゃんに言わなかったんだから、人のことは責められないのよね。……それに、今回はみんな忙しかったりして忘れてただけだったんだしね……。こうやってアスカも電話してきてくれたんだもんね………)

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

「あ、また電話だ。…………はい、綾波です」

『あ、綾波? 僕だけど……』

「あ、シンちゃん……」

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(……うーん、まだ話し中だわ……)

 アスカやシンジがレイに電話している事など知る由もない。少々イライラしながらミサトは電話を切った。

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『……と、言うわけなんだ。ごめんね、綾波……』

「ううん、そんなことちっとも気にしてないわ。だからシンちゃんも気にしないで」

『そう。……どうもありがと。……これから気をつけるからさ。……じゃ、おやすみ』

「うん、おやすみ……」

(アスカ、シンちゃん、ありがとう……)

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

「あ、まただわ。…………はい、綾波です」

『もしもし、レイ? 葛城です』

「あ、部長……」

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「……と、言うことなのよ。わたしもさっきさ、シンちゃんとアスカにその話をしててさ、ちょーっち反省してたのよね。ごめんねレイ……」

『いえそんな、わざわざどうもありがとうございました。お気になさらないでください……』

「うん、ま、これからはもっと気をつけるからさ、今回はカンベンしてよね。じゃ、おやすみ」

『はい、おやすみなさい』

「……さーって、と、まあ、とりあえずはこれでいいかな。……うーん、えーい、ビールでも飲んじゃえ♪」

 ミサトは少し晴れやかな表情で部屋を出た。

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(……アスカ、シンちゃん、部長……、みんな、ほんとにありがと……)

 レイは三人からの電話の後、心の中で手を合わせていた。何のかんのと言ってもこうやって親身になって心配してくれるのはとても有り難かった。

(あ、そう言えば、アスカからの電話のこと、シンちゃんや部長に言わなかったな……。ま、いいわよね……。こうやってみんながそれぞれ電話してきてくれる、って言うことは、みんなこっそり電話してる、ってことだもんね……。うふふ……)

 恐らく三人はお互いに他の二人には言わず、密かに電話して来たに違いない。そう思うと少し苦笑が浮かんで来るが、レイはとても温かい気持ちになっていた。

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 偶然にも、ミサト、アスカ、シンジの三人は同時にリビングに出て来た。

「あら……」
「あらっ……」
「あれ……」

 ミサトが、努めて陽気に、

「……へへっ♪ ビールビール、っと♪」

 アスカもわざわざ平然と、

「……あたしもコーラ飲もうかな、っと♪」

 シンジも明るく、

「……じゃ、僕はアイスコーヒーにしようかな……♪」

 無論三人とも、他の二人がレイの所に電話をしていた事など知らない。何となく照れ臭い思いを抱きながら揃って台所に行き、それぞれ冷蔵庫から飲み物を取り出した。

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 さてこちらは松代の例の会社。

 拉致された冬月弘隆(コウゾウ改め)と赤木律照(リツコ改め)の二人は、手錠をはめられ、目隠しをされた上、猿轡を噛まされたまま椅子に縛られて倉庫に入れられていた。

 お互い、近くに人の気配がする、と言う事までは判るのだが、無論そこにいるのが誰か、と言う事など知る由もない。散々もがいたがどうにもならず、諦めて座っているしかなかった。

(……一体どうなっているんだ。私をどうするつもりだ……。これは内務省の差金なのか……)

(……どうなってるの……。誰がこんな事を……)

 その時、ドアが開く音がして、数人の人間の足音と話し声が聞こえて来た。

「おい、目隠しと猿轡を取ってやれ」

 倉庫に例の「社長」の声が響く。

「おとなしくした方が身の為だぜ」

 この声の主は間違いなくあの「リーダー」だ。

「!!……うぐっ!」
「!! うくぐっ!!」

 冬月と律照は目隠しと猿轡を外された。前を見るとそこには数人の男が立っている。二人は恐る恐る周囲を見渡し、お互いに気付いて愕然とした。

「!!!! 赤木君!!」
「!!!! 冬月副司令!!」

 冬月も律照も、余りの驚きにそれだけ言うのがやっとだった。その様子を見ながら、「社長」はニヤリと笑い、

「お二人さん。手荒な真似をして申し訳ないが、これも浮世の義理だ。もうしばらく辛抱してくれ」

「私達をどうするつもりだ!! 仕組んだのはお前か!!」

「どうするつもりなのよ!!」

「まあまあ、そう吠えるな。さるお方からお前達を連れ出すように依頼されてな。そのお方は明日ここへ来る。それまでの辛抱だ。……ま、トイレの事もあるだろうから、この檻付きのコンテナに入れておいてやる。ちゃんと携帯トイレも付いてるから心配するな。但し、手錠だけは付けたままだ。……おい、二人をそれぞれコンテナに入れろ」

「へい。……まずジイさんからだ」

「やめろ!! やめんか!!」

「うるさいぞジジイ!! おとなしくしろ!!」

 逆らってはみたものの、両側から屈強の男二人に掴まれてはどうする事も出来ない。冬月はあっさりと椅子から外されてコンテナに入れられてしまった。

「さて、次は尼さんだな」

「やめて!! 放して!!」

「へっへっへ、騒いでもどうにもならないぜ」

 律照も逆らったがこれまたどうしようもなかった。

「では、お二人さん、ゆっくり休んでいてくれ。明日またな」

 そう言うと、「社長」は他の男達と共に倉庫から出て行ってしまった。

「……赤木君、大丈夫かね……」

「はい、なんとか。……副司令は大丈夫ですか……」

「ああ、なんとかな……」

「どう言う事なんでしょう……」

「わからんが、明日には何か判明するはずだ。それまで体力を温存すべきだよ。苦しいとは思うが、横になっておきたまえ……」

「……そのようですね……」

 続く



この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。

BGM:'パッヘルベルのカノン ' mixed by VIA MEDIA

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