第二部・夏のペンタグラム
「母親が碇マイ! 名前がレイ! おまけに2001年6月6日生まれ!? そんなバカな! この日は確かに『あの子』の……。
どう言う事だ……。まさかそんな事が……。
データが訂正されたのは、11月29日か……。そうだ! 加持の報告書!」
レイの個人データを食い入るように見詰めていた五大は、大急ぎで机の引出しを探り、加持が内務省に提出した「報告書」のコピーを引っ張り出した。
(……これには綾波君の個人データに関しては詳しく書かれていなかったはずだ。気の毒な話だが、綾波君は六分儀、いや、碇によって無理矢理作られた体外受精児であったような事は書いてあったと思うが……)
報告書を改めて見てみたが、確かにレイの母親や誕生日に関する事は何も書かれていない。
(……すると、碇の個人記録のメモリカードに……)
五大は引出しから一枚のメモリカードを取り出した。これも加持が提出したもののコピーである。それを手早くパソコンにセットすると、即座に検索ソフトを走らせた。
「……!!!!!!! なんて事だ!!……」
画面に現れた文章に五大は顔色をなくした。確かにそこには、
「急死した碇マイの卵子を取り出し、精子銀行から入手した精子を受精させ、人工子宮で育てたのがレイである」
との記述があるではないか。
(……見落としていた。……綾波君がマイの「娘」だったとは……。ん? いや、待てよ……)
モニタを食い入るように見詰めていた時、五大は奇妙な事に気付いた。
(もしこの記述通りだったとしたら、なぜ11月29日に、誕生日が2001年6月6日と認定されたんだ。……この日は確かに「あの子」の誕生日だ……。
……そうだ。確か、綾波君の過去の経歴は「抹消済み」とされていたはずだ。それならこの記述とも一応は合致する。人工的に作った女の子の経歴なんだから、下手にデッチ上げるよりも「抹消済み」としておく方が無難だからな……。しかし、もしこの訂正されたデータが正しいとしたら……。
……このメモリカードは言わば碇の「個人記録」だ。全面的にウソを書くとも思えないが、全面的に真実を書いたと言う証拠もない。万が一人に見られた時に備えて一番肝心な事は敢えて記述を曖昧にしている事は充分考えられる。疑ってかかる必要はあるな……。
しかし……、六分儀……、碇の奴……、もしあいつが「あの子」の行方不明にも一枚噛んでいたのだとしたら……、生きていたら絶対に許さんのだが……。まあ、今は何を言っても仕方ないな……。
……うむ、真相がどうあれ、今ここでジタバタしても始まらん。……それに、綾波君の事は今の我々の行動とリンクさせる事ではない。……とにかく考慮に入れておくだけの事だ……)
五大は暫く画面を見ていたが、やがて淡々とログオフし、パソコンを終了させた。
(こっちのカードは今はJAだけか……。エヴァンゲリオンを使わずにすめばありがたい事なんだが……。なにしろ今は相手の出方が五里霧中だからな……)
机に向かって暫く考えた後、意を決したような表情で五大は立ち上がった。
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第二十五話・愛別離苦
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さてこちらはミサトのマンション。みんなが帰った後、ミサトは自室で昼寝を決め込んだため、シンジとアスカは暫くの間リビングでテレビを見たり雑誌を見たりしながらボケッと過ごしていた。
しかし時間が経つに連れ、二人ともどうにも落ち着かなくなって来た。やはり昨日みんなで楽しく騒いだ余韻が体に残っていたのだろう。どうにも我慢が出来なくなったアスカが口を開いた。
「……ねえシンジ、きょうはこれからどうする? ……なんだか、間がもたなくってさ……」
「……そうだよねえ。……まだお昼前かあ。……でも、これと言ってなにもすることないよねえ……」
「そうよねえ……。あ、そうだ! 本部に行ってみない?」
「え? どうして?」
「エヴァを見に行くのよ」
「え? エヴァを!?」
「うん、どうせ正月休みだからさ、いまだったらじゃまになることもないじゃない。ひさしぶりにエヴァの顔を見に行くのもいいんじゃないの」
「うーん……、でも、あとでミサトさんにおこられないかな……」
「だいじょうぶよ。べつにいたずらしに行くわけじゃないんだからさ」
「そうか……。まあ僕らもIBOのスタッフなんだし、もともとはエヴァパイロットだったんだから、だいじょうぶかな。……じゃ、行ってみようか」
「そうそう、そうこなくっちゃ♪ じゃさ、かんたんにお昼ごはんたべちゃって、それから本部に行こうよ♪」
「うん、そうしよう」
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(みんなでわいわい楽しむって、なんだかいいな。……こんなこと、前はぜんぜん思わなかったのに……)
自室に帰って来たレイはベッドの上で膝を抱え、昨日の事を思い出しながら物思いに耽っていた。ふと気付くともう昼前である。
(あ、もうこんな時間……。お昼ご飯作ってたべようかな……)
ベッドから降りようとした時、レイの心に、昨日初詣に行っておみくじを引いた時のカヲルの笑顔がふとよぎった。
(……渚くん……。やっばりあの人は「使徒・渚カヲル」なんかじゃない。わたしたちと同じふつうの人間なんだ。
……えっ? わたし、昔は、自分のことを、「ふつうの女の子」だ、なんて考えたことなかったな……。ずっと、碇司令のために作られた「もの」だって思ってたし。……ううん、そんなことさえ考えてなかったんだ。……自分のことなんてなにも考えてなかった。
……でも、わたしが元気に明るくしてたら、みんなもよろこんでくれる……。わたしも楽しいんだ。……シンちゃん、わたし、渚くんとなかよくなってもいいのかな……。サトシくん、もし相談したら、なんて言ってくれるだろ……)
ひとしきりカヲルの事を考えた後、ふと窓から外を見ると、青空に雲が流れている。レイはベッドから降りて窓際に歩み寄った。
(……きれいな空……。お昼ご飯食べて、それから今日はなにをしようかな……)
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さてこちらはカヲルである。アパートに帰って来てからベッドの上に寝転んで昨日の事を思い出していたが、やはり何となくレイの事を考えてしまった。
(「綾波さんは?」)
(「中吉です……。渚くんは?」)
(「僕も中吉、なんだ……」)
(「そう、……うん、中吉だから……、ま、幸せになれるわね……。きっと…………」)
(……綾波さん……。一緒に引いたおみくじは二人とも「中吉」だったよな……。「一緒」、か……)
レイの事を意識するようになってからと言うもの、彼女の事を考えると心が温まる思いがする。しかも、何となく懐かしい気さえしてしまう。
(……このあたたかい気持ちは一体なんなんだろう……。なつかしい感じ……。なんでこんな風に感じるんだろう……。……なつかしい……。あれっ? そう言えば……)
その時カヲルはシンジと昨夜一緒の部屋で寝た時の事を思い出した。
(碇君にも、なつかしい、って気がしたんだよな……。それに、今考えてみると、なんだか、前にも碇君と一緒の部屋で寝たことがあったような気がする……。なんでなんだろう……)
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「エヴァ……、これ見るのもほんとにひさしぶりのような気がするわ。……まだ2ヶ月半しかたってないのにね……」
「……うん……」
初号機ケージにやって来たアスカとシンジは目前のエヴァンゲリオン初号機を見て、改めて感慨に浸っていた。
正月休みと言っても、IBOの設備が全て停止している訳ではないし、当直者も警備員も交代で来ている。更には今年から始まる機械制御の実験の最終準備のために出勤しているスタッフもいるので、元パイロットの二人が本部に来ても、移動に困るとか、特に何か問題があると言う事もなかった。
しかし流石にエヴァの格納庫には誰もいないし、無論機械の音もない。薄暗く巨大な静寂の空間に響くのは二人の声だけだった。
上を向いたまま、アスカが、
「こうやって見るとさあ、エヴァってやっぱり大きいわねえ」
「そうだよねえ。……僕ら、こんなものに乗って戦ってたんだよねえ……」
どうしても起動出来なくなった初号機は、今、二人の前で立ったまま永遠の眠りに就いている。言葉にこそ出さないものの、もう二度と動かす事もないし、また、そんな事があってはならないのだ、と二人とも思っていた。
その時アスカが、急にシンジの方を向き、
「……ねえシンジ、この中にさあ、あんたのお母さんがいるのかな……」
「えっ? ……どうなんだろ。……わからないよ……」
アスカの言葉に、シンジは小さな心の痛みを覚えた。初号機に母の存在を感じたのは、「かつての歴史」で、量産型エヴァが攻めて来て、アスカの弐号機がボロボロにやられた時である。幾ら「歴史が変わった」とは言え、シンジにとっては決して消し去る事の出来ない「辛い過去」であった。
(あの時、僕がもっとしっかりしていれば、アスカもあんなことには……)
「……シンジ、どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。……ちょっとむかしのこと考えちゃってさ……」
「ま、シンジの場合、エヴァにはいい思い出ないもんねえ」
「うん。……アスカはどうなの?」
「あたしはさ、人類を守るエリートパイロットにえらばれた、って、思ってたから、その点ではたしかにうれしかったけどさ、いまとなってみたら、あまりいいことなかったような気がするわね……。だからさ、シンジとにたようなもんよ……」
「そうか……。ね、弐号機見に行こうか……」
「うん」
+ + + + +
二人は弐号機ケージにやって来た。薄暗い空間に浮かび上がる巨大な赤い顔はこうして見るとやはり迫力充分だ。とりわけアスカにしてみれば、「エヴァに乗って戦い、他人に認められる事が何よりの誇り」だっただけに、感慨もひとしおである。
「あたしの弐号機……。これに乗ることがあたしのすべてだったのよね……」
「アスカはエヴァパイロットであることにプライドかけてたもんね……」
「うん。……でもさ、結局はママにたすけてもらってただけだったような気もするわ。……この中にママがいるのかな……」
「……『作戦会議』の時さ、加持さんが言ってたよね。……どうやってアスカのお母さんの魂をやどらせたのかな……」
「そうよね。……ママ、自殺しちゃったんだもんね……」
「考えてみればさ、初号機だってそうなんだよね……。母さんが実験してた時はまだエヴァはできていなかったんだから、もしやどっていたとしたら、零号機でもおかしくないもんなあ……。やっぱり、人の魂がやどらせてある、って話、ウソなのかな……」
語るつもりはなかったのだが、こうしてエヴァの前に来るとどうしてもその話題になってしまう。シンジもアスカも、不遇だった「母親との関係」を改めて思い出し、心を少し曇らせていた。
「ねえシンジ、ついでだからさ、零号機も見に行こうよ」
「うん。……そうだね」
+ + + + +
零号機ケージにやって来たシンジとアスカは、薄暗い中に浮かぶ人影に目を留めた。
シンジは思わず、
「あれっ! あそこにいるの、綾波じゃないか」
「あ、ほんと。……レイもあたしたちとおんなじことかんがえてたんだ……」
直立不動の姿勢のまま静かに眠る零号機の前に立ってその顔を見上げているのは紛れもなくレイである。
「綾波」
「あ! シンちゃん、アスカ」
レイはシンジの声に驚いて振り返った。
「レイもきてたんだ……」
「うん。……アパートに帰ってから、いろいろと考えごとしてたの。……窓から空を見てたら、なんとなくエヴァに会いたくなっちゃって……」
「そう。……でもさ、レイもエヴァにはあまりいい思い出はないんでしょ……」
「うん。……あの時は、エヴァに乗ることだけがわたしのすべてだったから、なにも考えてなかったけど、今考えてみたら、ちっともいいことなんかなかったわね……」
その時、シンジが真剣な顔で、
「ねえ綾波、アスカと話してたことなんだけど……」
「どんなこと?……」
「僕らはエヴァに母親の存在を感じた事があったけど、綾波は、零号機にはなにも感じなかったの?」
「……うん、……なにも……」
アスカも、静かな声で、
「さっきシンジと話してたの。……シンジのお母さんが実験してたときは、まだエヴァはできてなかったんだから、もし、エヴァの中にいるのなら、零号機でもおかしくないはずなんじゃないかな、ってね……」
しかしレイは、
「そう……。でも、わたしにはわからないわ。……ごめんなさい……」
と、少し顔を曇らせた。シンジは慌てて、
「いやそんな……。別に綾波が悪いわけじゃないんだから……。気にしないでよね……」
「うん。……ありがとう、シンちゃん……」
シンジは改めて零号機を見上げ、
「零号機か……。これが最初にできたエヴァなんだよな……」
「…………」
「…………」
シンジの言葉につられるように、アスカとレイも揃って零号機を見上げた。
その時、
「誰だ。そこにいるのは」
「!!」
「!!」
「!!」
三人が驚いて振り向くと、薄暗い中に背の高い四十代半ばと思しき男が一人立っていた。男も三人の顔を見て少々驚いたようで、
「おや、君たちは……」
三人とも一瞬言葉に詰まったが、最初にアスカが口を開いた。
「あたしたちはIBOのチルドレンよ。あんたこそ誰なのさ」
男は苦笑して、
「碇シンジ君、綾波レイ君、惣流アスカ・ラングレー君、だね。私はここの本部長の五大アキラだよ」
「ええっ?!……;」
「ええっ?!……;」
「ええっ?!……;」
「ははは、驚かせてすまなかったな。……正月早々からここに来てくれるとは意外だったよ。……どうかね。こんな所ではなんだから、ラウンジにでも行かないかね。コーヒーぐらいはご馳走するよ」
「はい……;」
「はい……;」
「はい……;」
突然現れた五大の言葉に、三人は冷汗をかきながら従うだけだった。
続く
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。
BGM:'月の光 ' mixed by VIA MEDIA
夏のペンタグラム 第二十四話・以心伝心
夏のペンタグラム 第二十六話・二世三世
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