第一部・原初の光
ベンチでコーヒーを飲みながら、サトシはおずおずと、
「……山之内さん、……さっき、『情報部をクビになった』、っておっしゃってたでしょう。……もしかして、僕らのために沖縄へ来て下さったことが原因ですか……」
しかし山之内は一笑し、
「ははは、なに言ってんだい。君達とは何の関係もないよ。気にするな」
「でも、…それじゃ……」
「いやあ、ちょっとした事で、本部長や総務省の高沢担当と『ケンカ』してね。それが原因さ」
「え? ケンカなさった、って……」
「うん、まあ、君達には詳しい事は言えないが、要するに、僕が僕の信念に基づいてだな、『命令違反まがいの事』をやったんだよ。それで、『自由に動ける情報担当』を外されて、『本部長の監視の下』に置かれた、ってだけの事さ。ま、ほんとに君達とは無関係だよ。心配するな」
「はい……」
「はい……」
「しかしな、僕は全然後悔してないよ。自分の信念に基づいてやった事だ。そして、結果としてその決断は間違っていなかったと思っている。だからどう言う処分をされても甘んじて受けるさ」
「…………」
「…………」
「なあ、沢田君、形代君……、君達は沖縄での戦闘中、『命令違反』をやってしまった。……しかしな、それが、『確固たる自分の信念に基づいてとった行動』だったなら、少しも恥じる事はないと思うぞ。……だがな、もしそれが、『単なる思い付きの浮ついた行動』だったのなら、その事自体を反省すべきだろうと思うな……。
……でもな、君達の命令違反の原因は、『マーラの精神攻撃』だったんだろ。だったら仕方ないじゃないか。君達にとって気の毒だったのは『仕事に私情を持ち込んでしまう結果になった事』だ。でも、それにしたところで、君達の気持ちを考えてやらずに、こんなシビアな任務を要求している大人達にも問題はあると思うんだ。……少なくとも今回の事に関しては、誰も君達を責められないよ」
「…………」
「…………」
+ + + + +
第二十七話・覚悟
+ + + + +
「……昔、『新スタートレック』と言うテレビドラマがあったんだ。宇宙船に乗って銀河系を探索する話なんだけどね。その中に、こんな話があった。
……ある時、自分達が所属する惑星連邦の存亡を賭けた任務を遂行せねばならない事件が発生したんだな。それで、宇宙戦艦エンタープライズの艦長、ピカード大佐が何隻もの宇宙船で艦隊を組織して任務に向かう。そして、作戦行動中に姿を消した敵の奇襲作戦によって、船隊の隊列を乱されてしまうんだな。その時、一隻の宇宙船を指揮するデータ少佐、彼はピカード艦長の部下で、アンドロイドなんだが、そのデータ少佐が独自の判断で、『一時撤退して態勢を立て直せ』と言う大佐の命令を無視して独自の作戦行動に出た。しかし、その判断はズバリ的中し、敵のカムフラージュを見抜いて見事に任務を成功させたんだな。
しかし、データ少佐は任務完了後、ピカード大佐の所に出頭し、『命令違反の処分を受けます』と言ったんだ。その時、ピカード大佐はこのように言った。
『確かに、君の行動は命令違反には違いない。……しかし、”私は命令に従っただけです”と言う言葉で、どれほど多くの過ちがごまかされて来た事か。……自分の意思や信念を持たずに、ただ命令に従うだけのクルーなら宇宙艦隊には要らない。今回の君の判断は適切で正しかった。記録にもそう残しておく積もりだ。……データ、立派だったぞ』
大体、こんな内容だったよ。無論、『結果さえよければ命令違反をしてもいい』と言う意味ではないのは当然だけどね。
……繰り返しになるがこれだけは言っておこう。何か行動をとる時は、『全ての責任は自分がとる覚悟と確固たる信念を持って堂々とやれ』と言う事だよ。それさえ守れば、自分の行動を恥じる事はないよ」
「はい……」
「はい……」
「ここに、ちょっと面白い本があるんだ」
と、言って、山之内は一冊の古びた本を取り出し、
「この本は、1995年に出版された、『金剛頂経』と言う本だ。著者は津田眞一氏。『金剛頂経』と言うのは、君達が学んでいる『真言密教』の根本経典で、『大日経』と並んで『両部の大経』と称されるお経さ。因みに、君達が学んだマントラ、『オーム・アヴィラフームカハーン』は、『大日経』を根拠とする胎蔵界大日如来のマントラだ。そしてこの本は『金剛頂経』。……この本に面白い事が書いてあるんだ」
サトシとアキコが身を乗り出す。山之内は続けて、
「この本の事を説明する前に、まず言っておこう。君達は現在『魔法使い』としての訓練を受けている。しかし、この用語には少々誤解される点があるんだ。『魔法使い』と言うのは、英語の『マジシャン』を翻訳した言葉だが、これは当然、『マジック』を『魔法』と翻訳した言葉に対応している。
この『魔法』と言う言葉は、日本では何かおどろおどろしいイメージがあるが、元々『マジック』には『魔』と言う意味はないんだよ。正確に訳せば『秘法』であって『密教』と言う言葉と何ら変わらない。『マジシャン』も、『秘法の求道者』と言う意味なんだ。
ところが、君達が学んでいるのは『真言密教』と言う仏教だ。仏教で『マジシャン』に該当する言葉は、『ボーディ・サットヴァ』、つまり『菩薩』、即ち、『悟りを求める求道者』の事だ。
だが、世界的なネットワークにおいて、『菩薩』では少々判り難いので、君達のような『霊的戦士』の事を『マジシャン』と呼ぶ事になり、それで、君達は『魔法使い』と呼ばれているんだが、意味としてはそうだ、と思って欲しい。
この本の話に戻ろう。君達も学んだと思うが、仏教と言う宗教は、一般的にはキリスト教のような『神』の観念を持たない宗教と言われている。しかし、この本の著者の津田眞一氏は、『はじめに』と銘打った前書きの中で独自の見解を述べている。その見解を『開放系』と呼び、それまでの仏教の見解を『閉鎖系』と呼んでいる。そして、その『開放系』の見解を採るならば、『仏教は、ゴータマ・ブッダの最初から、一貫して”神”を原理とする宗教だったのである』としているんだ。そして、その『開放系の神の存在』と言う『恐るべき秘密』を暗示しているのが、この、『金剛頂経』だ、と言っているんだな。
この本の内容は極めて難解で、僕にも到底完全には理解出来ない。しかしな、『解説』の中に、僕の心を捉えた一文があったんだ。いいかい。
”その神は、多分、この世界を、それが全体的に消滅してしまわない限度において(人間が全体としてギリギリの線で堪えられる程度において、より具体的に言うなら、全面核戦争を起こさない程度において)、できるだけ困難な、すなわち、苦しく、悲惨で、不条理なものにしておきたいのである。なぜならその困難の度合いが、われわれ人間がそれを転回し得たときの強度を構成するのであり、(華厳的な空の論理をそこに適用するなら、そしてそれは、事実、適用できるのであるが)その困難を転回するわれわれ人間の努力ないし実践によって生起するその強度が、即、神自身の存在の強度をなすからである。すなわち、神はそれ自体、或る困難を背負った、危機的な存在なのであり、その存在が、われわれ人間の、困難の転回をその本質とする存在、つまり、運命の観念における実存を必要としているのである。われわれ個々の人間の側の運命(困難の転回)がその神を刻々に生かしめ、存続せしめるのである。”
これでもかなり難しいけど、僕はこのように理解している。つまり、この『開放系の神』と言うのは、僕達人間の世界を司る神であり、僕達人間はその神の『細胞』なんだ、とね。
辛い事や苦しい事、不条理な事を乗り越えて行くのが人間の運命であり、それが神にとっての『健康』なんだ、と言う事さ。徳川家康の遺訓じゃないけど、『人の生涯は重荷を負うて遠き道を行くが如し』だよ。……もっとも、この言葉は偽作らしいけどね。ははは」
二人は山之内の話に聞き入っていた。確かに内容は難しいが、何か心に染み入るものがある。山之内は、一呼吸、言葉を区切った後、
「なあ、沢田君、形代君、……君達は今大変な時代に生きているんだ……。
……確かに現在、マーラがやって来る事も恐怖には違いないが、僕はそれは見せ掛けに過ぎないと思う。その証拠に、『人類の存亡を賭けて戦っている』にしては、何だか世界中、あまりにも緊張感がないだろ。マハカーラのせいで、少々の事件では堪えなくなっているんだね。世界中が……。
しかしね、『魔界の穴』を塞がない限り、恐らく最終的には我々人類は自分で自分を制御出来なくなって滅ぼす事になるだろうと思う。
……一番恐ろしい事は、人類が自分で自分を節制出来なくなり、暴走して滅亡する事、……それなんだよ。
でもね。人間の歴史を振り返ってみれば、平和だった時代なんてほんの少しの間だけだ。いつの世も人間は不条理に苦しみながら生きて来たんだ。そう思えば、今の世の中もそう大して変わらんよ……」
その時、アキコがおずおずと、
「山之内さん……。ちょっと聞いていいですか」
「なんだい。僕のわかる事なら何でも聞きたまえ」
「……あの、さっき、『この世が不条理なのは神の意思に基づくものだ』と言うようなことをおっしゃったでしょ。……だとしたら、わたしたち、つらい思いを一生していかんといけん、言うだけのことになるんですか……」
「うん。その点に関しては、津田氏は一番最後にこう書いているよ。
”しかし、このわれわれ人間の側の力行とそれによる困難の転回が神の意図によるものであるとしたら、その代償は何であるのか。私はそれを、現実にこの世に生きる上での高貴と尊厳、そして、死に向かっての安心であると想像する。そして、この代償はある、論理必然的にあるのである。ここにわれわれが今日において『金剛頂経』の秘密を道(い)う理由が存するのである。”
判るかな……。結構難しいけど、僕はこの言葉に賛成するよ。ひとりよがりの自己満足かも知れないけどね……。いくらこの世の中が不条理であっても、その不条理を乗り越えようとする努力、そこに人間が生きる価値があると思ってる。……僕はそう思いたいね……。
さ、そろそろ行こうか。帰りに軽く何か食って行こうぜ。僕の奢りだ。……ははは……」
「はい、ありがとうございます」
「はい、ありがとうございます」
サトシとアキコは少し元気を取り戻したようだった。
+ + + + +
医療部長の木原美由紀が、由美子に、
「精密検査の結果を見ても何も問題ないわねえ。二人とも何ともないわよ……」
「困ったわねえ……。あの二人のスランプはかなり深刻だわ。どうしたらいいのかしら……」
次の週、サトシとアキコは休息を挟みながら訓練を続けたがどうにも回復しなかったので、13日に至って、由美子は医療部長の木原美由紀と相談の上、二人に精密検査を受けさせていた。
美由紀はカルテを見ながら、
「……どう見ても肉体的には全く問題ないわよ。MRIで脳まで調べたけど、少なくとも物理的異状は見当たらないわ。……申し訳ないけど、医者としては、匙を投げた、ってやつね」
「困ったわね……」
二人とも、激しい胃痛や嘔吐感こそ起こらなくなったが、脳神経スキャンが上手く行かず、手動操作も音声操作もぎこちなかった。もしマーラが出現してもこのままでは到底出撃させられない。
苦悩する由美子に、美由紀は、お手上げ、と言った顔で、
「とにかく気長に構えるしかないわよ。なんて言ってもあの子達、まだ中学生なのよ。大人の感覚で義務を押し付けるわけにはいかないわ」
「そうね、わかったわ。どうもありがと」
「ああ、それからね。沖縄の病院から連絡があったんだけど、北原さん、一応明日の朝一番に退院の予定よ。本部から迎えに行くらしいわ。高速機だから、午前9時ぐらいまでにはこっちに着くと思うから、後はこちらで暫く療養して貰うわね」
「そう、よかったわ。よろしくたのむわね」
美由紀の言葉に由美子はようやく安堵の息をついた。
+ + + + +
(綾波……、どうしてるだろ……。あやまっておかないとだめなんだけど……)
サトシは自室のベッドに寝転んで天井を見ていた。無論、あれ以来、レイに会いに行く勇気など全く起きない。「謝らなければいけない」と言う気はあるのだが、何と言えばいいのかも判らなかった。
その時だった。
トゥル トゥル トゥル
「……はい、沢田です」
『もしもし、沢田くん。形代です』
「ああ、形代、どんなぐあい?」
『そのことで、ちょっと相談したいんよ……。あってくれるじゃろか……』
「うん、いいよ。……今からでいい?」
時計を見ると、14:00を示している。
『ありがとう……。じゃ、中庭のベンチのところで』
+ + + + +
「わたしね。……いろいろかんがえたんじゃけど、やっぱり、パイロットやめよう、思うとるんよ」
「え……。やめるの……」
薄々予想はしていたものの、サトシはアキコの言葉にやはり少々ショックを受けた。
「うん。……この前、山之内さんからいろいろとはげましてもろうたけんど、この一週間やってみて、やっぱり、だめじゃね、て、思うたんよ。……ジェネシスに来て、まだ一度もまともに役に立っておらんけん、心苦しいんじゃけど、このままおってもだめじゃしね……。広島へ帰ろう、思うとる……」
「……そう……」
「まあ、広島へ帰っても、親戚からはじゃまものあつかいされるだけじゃけん、施設に入れるよう、たのもうと思うとるけんどね。……ごめんね。こんな話で、でも、やっぱり、沢田くんには聞いておいてほしい、思うたんよ。……ごめんね……」
「いや、そんな。……僕こそごめんね。なにも力になってあげられなくて……」
サトシは心苦しい思いで一杯だった。結局、何もアキコの力になってやれなかった自分の不甲斐なさが悔しい。しかし、今のサトシには何も出来ない事も事実である。
「ううん、そんな。……沢田くん、わたしの話を聞いてくれたけん……。それだけで、わたし、うれしいよ……」
と、アキコが今にも泣き出しそうな声で言った時、サトシは一瞬迷ったが、次の瞬間、思い切って言っていた。
「僕もやめるよ。このままいてもしかたないし……」
「えっ! そんな……。あかんよ。……そんな、わたしのせいで……。ぐすっ」
アキコは泣き出してしまった。
「形代のせいじゃないよ。僕が自分で考えて決めたことだよ。気にしないでよ」
「でも……、ううっ」
「……ねえ、よかったら、広島での連絡先、教えてくれる?」
「えっ?!……」
「僕も長野の連絡先を言っておくからさ。……僕たち、なにもできないかも知れないけど、せめて、この間の東寺のお坊さんみたいにさ、できる限りお参りに行こうよ。……それから、なにかあったらさ、おたがい、連絡して、助け合おうよ。……だから、よかったら、教えてほしいんだ」
「沢田くん……、ありがと……。わあああああっ!!」
アキコはサトシの膝にすがって泣いた。サトシはアキコの肩に手を置き、
「元気出して。……泣くなよ……。僕たち、結局こうなったけど、逃げるんじゃないんだ。……自分にできることを精一杯やったと思うし、これからもやって行こうと思うんだ……。逃げたらいけないけど、決して逃げるつもりはないし、これからもがんばろうよ」
アキコも泣きながらではあるが顔を上げ、
「うん、……ありがと……。ううっ、ぐすっ……」
(綾波にもきちんとあやまろう。……北原にもちゃんと言おう。……僕は僕にできることを精一杯やるしかないんだ……)
サトシは決心していた。
+ + + + +
二人から辞意を聞かされた由美子は、
「えっ!! やめるって……。あんたたち……」
「はい。……申し訳ないですけど、このままの状態が続いたら、ここにいてもしかたないとおもいますから」
サトシは淡々と言った。最早「覚悟」のようなものが出来ている。
「でも、私はあなたたちのスランプに関しては無理させるつもりはないわよ。ゆっくり回復させたらいいじゃない」
由美子は何とか二人を思いとどまらせようと言う思いで一杯だったが、サトシは同じ口調で、
「お気持ちはうれしいんですけど、ここにいると余計につらいんです。でも、決して逃げるつもりじゃありません。長野に帰っても、教えてもらった『魔法の訓練』は続けようと思ってます。お寺にもお参りに行って、事件解決のための祈願もしようと思ってます」
「でもねえ……。アキコちゃんはどうなの?」
アキコもまた、淡々と、
「はい。わたしも同じ気持ちです。ここにいてもかえって苦しいんです。でも、広島に帰っても、ここで教えてもらった訓練は自分で続けようと思うとりますけん」
「……そう……」
由美子は苦悩していた。しかし、二人の様子を見ていると、「すねて言っている」のでない事は良く判る。ここで無理強いする事は得策ではないと考え、
「……わかったわ。じゃ、一つ提案があるんだけど、一応聞いてくれるかしら」
「はい……」
「はい……」
「あなた達の気持ちはよくわかったわ。でも、私としては、完全にやめてしまうのは得策じゃないと思うのよ。だから、『休職』と言うことで、一時的に任務を離れてもらう形をとりたいの」
「はあ……」
「はあ……」
「もちろん、期限を切ってどうこうしろ、とは言わないわ。納得出来るまで休んでもらったらいいと思うし、そのままやめてしまうことになっても、それはそれで仕方ないわ。……それと、こちらから組織として催促はしないけど、私が個人的に様子伺いの電話させてもらうぐらいのことは許して欲しいんだけど、だめかな」
「…………」
「…………」
「こうして一緒に仕事したのもなにかの縁でしょ。私があなた達の力に充分なってあげられたとは思わないけど、これでも一応、私はあなた達のお姉さん代わりとして頑張ってたつもりよ。だから、勝手な言い分かも知れないけど、お姉さんの気持ちもわかって欲しいのよ」
サトシは由美子の心遣いがとても嬉しかった。それで、少々迷ったが、由美子の申し出を素直に受けようと言う気になり、
「はい。……ありがとうございます。……じゃ、それでおねがいします」
「そう、ありがとう。……アキコちゃんもそれでいいかな」
「はい、ありがとうございます。お気づかいいただいてほんとにすみません」
「そう。……よかったわ。……じゃ、学校のことも含めて、来週早々に手続きをしてもらえるように頼んでおくから、二人ともゆっくり休んで元気を取り戻して来てちょうだい。……プレッシャーはかけないけど、二人とも元気になって戻って来てね。待ってるわ」
「はい、ありがとうございます」
「はい、ありがとうございます」
+ + + + +
(北原には手紙を書こう……。綾波には、長野に帰って落ち着いてから会いに行こう……。あっちの世界は時間の進み方がちがうみたいだから、僕が落ち着いてからの方がいい……)
その日の夜、部屋で荷造りをしながらサトシは考えていた。そして机の引き出しから「レイの髪の毛」を取り出すと、ティッシュの上からハンカチで丁寧に包んでバッグの底にしまった。
(……そうだ。……このメモリカードも返さなきゃな……)
サトシは岩城から借りた「新世紀エヴァンゲリオン」の動画ファイルが入っているメモリカードを丁寧に紙に包むと、表に『岩城健太先生。ありがとうございました』と書いて机の上に置いた。身の回り品以外の荷物は箱詰めしてあり、後で送って貰う事になっている。その時に一緒に岩城に渡して貰えばいいだろうと考えたのだ。本当は岩城に直接手渡したかったのだが、明日と明後日は岩城は休みだと聞いていたので仕方なかったのである。
+ + + + +
(ひなたさんにはなんて言うたらいいじゃろか……。せっかくお世話になったのに……)
アキコは荷造りしながらひなたの事を考えていた。
(今あれこれ言うたら、かえって心配かけるだけじゃしね。……広島へ帰ってから、あらためて連絡しよ……。もう完全におわかれ、言うこともないじゃろし……)
+ + + + +
翌日の10月15日、サトシとアキコは二人で京都駅に向かった。由美子と相談の上、「完全にやめる訳ではなく、一時的な『休職』だから」と言う事で、特に見送りもしてもらわない事にしたのである。
二人は八条口に到着した。サトシはアキコに、
「ねえ形代……、由美子さん、ああ言ってくれたけど、僕たち、帰って来られるかな……」
「わからんよ……。でも、もし、あのときのことを思い出しても苦しゅうないようになれたら、そのときはもう一度考えてみよう、思うとるけん、沢田くんもがんばってね……」
「うん……、そうだね。……それから、これ、連絡先……」
「ありがと……。これわたしの連絡先じゃけん、一応渡しておくね。……施設に行くことになったら、またすぐに連絡先知らせるけん……」
「ありがとう。……じゃ、行こうか……」
二人は改札口を通ってエスカレータに乗った。サトシは上りの新幹線だし、アキコは下りだったので、新幹線改札口を通った所でお別れである。
「それじゃ、元気でね。……連絡待ってるから」
「ありがと。……沢田くんも元気でね」
二人はそれぞれのプラットホームに向かう。
(とりあえず、京都ともおわかれか……)
サトシはこの2ヶ月の事を考えていた。事件が解決して帰るのではないのが心苦しいが、今までの自分の人生で最も激動の2ヶ月であったのだ。感慨もひとしおである。
(……形代……)
ホームに立って向かい側を見ると、アキコもホームに立っている。もうすぐ電車が到着したらこれで完全にお別れである。サトシは複雑な気持ちになった。
(まさか形代といっしょにジェネシスを去ることになるなんて……)
運命とは皮肉な物である。今後自分はどうなるのだろう、と、サトシは不安を打ち消す事が出来なかった。
(もうすぐ電車が来るな……)
その時だった。
ウウウウーーーーーーーーーーーッ!!!
『本日午前8時50分、京都府京都市を中心とする近畿地方全域に、緊急避難警報が発令されました。住民の方々は、直ちに所定のシェルターに避難して下さい。繰り返します。本日午前8時50分、……』
続く
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。
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