第一部・原初の光
特別訓練が終わった後、自室に帰ったサトシは、レイの事とリョウコの事を考えていた。
(あの世界に行くと、自分がおさえられなくなってしまう……。なんでなんだろう……)
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第十八話・昇華
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今日山之内から言われた言葉が心に蘇る。
(「女の子の気持ちは今言った通りだから、女の子の立場に立って、本当に好きな子を大切にしてやるんだ。それが男だぞ。だが、君を頼って来た子には、誠実に対応してやれ。心を弄んだらいけないぞ。わかったな」)
(よく考えてみよう。……僕はやっぱり北原が好きだ。でも綾波のことは心配だし、僕に出来ることなら、なんとかしてやりたい。…でも、あの世界へ行くと、自分をおさえられなくなる……。一時の感情だけで綾波をもてあそんだらいけない…。それはしちゃだめだ……。でも、がまんできるだろうか……。自信がない……。とにかく、このことはしっかり考えよう……。それこそ、碇君じゃないけど、逃げちゃだめだ。そして、ちゃんと結論を出すまでは、綾波のところへ行っちゃだめだ……)
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「あの子、行っちゃった……」
リョウコが消え去った後、シンジは一人呆然としていた。とにかく、青い光が何か関係している事だけははっきりしたので、それについて何か考えてみようと思ったのだが、具体的な事はなかなか思い付かない。
「ん? まてよ。あの子、『青い星の光』、って言ってたな。……そうか、星の光のイメージか。……ためしてみよう」
シンジはそこに楽な姿勢で座り、タロットカードを見ながら心に青い星の光のイメージを湧き出させる練習を始めた。
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「きえた……。あの子、かえっちゃったのかな……」
アキコが消え去った空間で、アスカも一人呆然としていた。
「オレンジの補色の青い光ね……。よし、練習あるのみだわ」
アスカも楽な姿勢で座り、カードを見続けた。
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暗黒の次元の中で、レイは一人で考え込んでいた。
「サトシくん……。行ってしまったのね……。これ、サトシくんね……」
レイは呟きながら自分の右手を見る。抱き合っていた時に、たまたまサトシの頭に手をやっていたのだろう。サトシの髪の毛が数本、右手に絡み付いていた。
「あのひとの……、からだなのね……」
レイはその髪の毛を一本ずつ摘まみ上げると、数本の髪の毛を撚り合わせた。そしてそれを大切そうに自分の胸のポケットに仕舞い込み、
「いつも……、いっしょね……」
レイは再び膝を抱えた。
「……わたし……、どうしたらいい……。サトシくんが好き……。マントラを心で感じたら会えるかな……。でも……、シンジくんのことも心配……。こんな気持ちでサトシくんに会うのはこわい……。自分がおさえられないかもしれない……。どうしたらいい……」
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8月30日の朝が来た。
サトシは7:30に目覚め、着替えて食堂へ行った。食事を済ませて部屋へ戻って来ると、程なくして
ピンポーン
「はい、沢田です」
『北原です。おはよう、沢田くん』
「おはよう。今行くよ」
(よかった……。来てくれた)
サトシはほっとした気持ちで部屋を出た。リョウコが微笑んで立っている。
「いつもありがとう。……行こうか」
「うん」
サトシの挨拶に、リョウコもこころなしかほっとしたようだ。
二人が連れ立って歩き出すと、後から、
「おっはよー、いっしょに行こ」
アキコだった。にこにこしながら歩いて来る。
「形代さん、おはよう」
リョウコも爽やかな微笑みを返す。
「形代、おはよう」
サトシも何となくほっとした気持ちで微笑んだ後、三人は一緒に歩き出した。
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それから暫くの間は何も起きなかった。サトシ、リョウコ、アキコの三人は、心に小さな引っ掛かりを抱えながらも、それがために逆に人に優しく出来るのか、結構三人共に仲良くなって来た。特に、アキコとリョウコは女の子同士と言う事もあり、休み時間なんかには言葉を交わすようにもなったし、毎日ではなかったが、三人揃って登下校するようにもなった。
尤も、サトシとしては多少複雑な心境だった。リョウコは全くそんな事を意識していないように見えるが、サトシとしては、女の子二人に挟まれているようで、少々戸惑う事もあったのである。
休日にはサトシはリョウコと二人で出かける事もあった。ただ、レイの事について自分の心の中で完全に決着がつかない内に、リョウコに対してベタベタする事は控えておこう、と言う気持ちもあり、デートしても時々手をつないで歩くぐらいに止まっていた。リョウコはそう言う事には「淡白」な子だったので、それがために、特にリョウコの態度が変わる事がなかったのは、サトシにとっては幸いだった。
アキコは良い意味での開き直りが出来たのか、あまりサトシとリョウコの仲には拘らなくなった。マサキやひなたと一緒に遊びに行く事もあったし、明るく、元気に毎日を送っていた。サトシに対する気持ちには少々複雑な部分がある事は間違いなかったが、それも自分の中で少しずつ消化しているようだった。
タカシとサリナは相変わらずマイペースであった。休日には二人で釣りに行ったりしていたし、結構仲良くやっているようである。
マサキはひなたに突っ込まれながら、相変わらずの毎日を送っていた。藤倉しおりには全く相手にされていないようである。
マーラは相変わらずなりをひそめているようだった。8月22日以降は全く何も起きない。伊集院も由美子も少々の不安を抱えたまま毎日を送っていた。
六人の少年少女達の「魔法修行」と「操縦訓練」の方は、ゆっくりとしたペースではあるが着実に進んでいた。マーラがやって来ない事も幸いし、落ち着いて訓練に打ち込めたのである。
松下と山上は毎日コツコツとシステムの改良を行っていた。
そして9月も25日まで流れた。いよいよ明日からはサトシたちの修学旅行である。
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(いよいよ明日からは修学旅行か……)
サトシ、リョウコ、アキコの三人は、8月30日に担任の先生から修学旅行について説明された。彼等は8月22日に転校して来たばかりなので、事情が良く判らなかったからである。
学校で説明を受けるまでは、全く意識していなかった修学旅行だが、いざ前日になってみると、結構ウキウキしてしまう。特に、リョウコと一緒に沖縄へ行ける、と言うのも嬉しかった。
(修学旅行の内に、考えに決着をつけよう。いつまでもこんなこと考えてちゃいけない……)
あれから4週間あれこれ考えたが、レイの事は結論が出なかった。しかし、幸いにして、リョウコには変に思われなかったようなので、特にリョウコとの仲にヒビが入る事もなかったのである。
(沖縄か……。沖縄の海を見て決断するんだ)
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その日、伊集院は妙な感覚に囚われていた。何と言うか、不安と言うか、イライラした感じである。
(どうもいかん……。なんの根拠もないのに、胸騒ぎがする。……しかし、だからといって下手に動く事は得策でない……。しかし悩んでいても仕方ない……。よし! 決めた!)
伊集院は電話の受話器を取り上げた。
「……ああ、中畑君か。伊集院だ。四条君、玉置君、橋渡君の三人を呼んでくれ。……そうだ。一緒に本部長室へ来るように。……では頼む」
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「『10:運命の輪』か……」
サトシは自室でタロットの練習をしていた。あれ以来、マントラ瞑想をするだけの勇気がなかったので、代わりと言うのもおかしいが、ずっと占いを練習していたのである。今日は日曜日だが、明日からは修学旅行と言う事もあって、何となく自室でおとなしくしていようと言う気になっていた。
(物事は全て変化し続ける。変わらない物は何もない。逆に言えば、止まった時点で全ては終わる。常に変わり続けていなければならない……)
しかし、この4週間、タロットの練習ばかりしていたおかげで、結構占えるようにはなったのは、言葉としては悪いが、ある意味『拾い物』ではあった。
(あれ、もう16時か……。もう一度荷物を確認しておこう)
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「……と、言う訳だ。四条君は、学校を休ませて申し訳ないが、26日から5日間、よろしく頼むぞ。玉置君と橋渡君も、常時出動出来る態勢をとっておいてくれ」
「はい、了解しました」
「はい、了解しました」
「はい、了解しました」
マサキ、サリナ、タカシの三人は本部長室を出て行き、入れ替わるように、岩城が入って来た。
「失礼します……。ああ、中畑主任もおいででしたか。これがパイロットの訓練成績の今月分の報告書です」
伊集院は岩城から書類を受け取ると、やや不安気な表情で、
「岩城先生。どうも御苦労さまです。日曜日なのにわざわざ申し訳ありませんね。……彼等の成績はどうですか」
「ええ。この一月の間、マーラが来なかった事もあって、訓練は順調に進んでいます。瞑想と占いはみんなかなり上達しましたし、『魔法使い』としての認識能力もかなり上がっていますね。中畑主任も良く御存知の通り、手動操縦の方も順調ですし、この調子で行けば、そう遠くない内に『反撃』を開始出来るレベルに達するでしょう」
由美子もほっとした様子で表情を緩めると、
「ありがとうございます。本当に、先生にはいつもよくして戴いて……」
「中畑君、まあいずれにせよ、自衛隊の方も『対マーラ戦闘』の研究はかなり進んでいるようだし、我々も気を抜かずに頑張ろう。よろしく頼むぞ」
「はい、了解しました」
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「キーカードは『審判』。『因果応報』、ね……」
リョウコは自室でタロットの練習をしていた。あれ以来、練習はしているものの、失神するような事はない。
(みんな、カルマをせおってるのよね……。わたしも、沢田くんも、形代さんも……。わたしたちの宿命、って、どんなだろ……。これから、どうなるのかしら……)
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アキコはひなたとデパートに来ていた。今日は珍しくマサキ抜きで女の子二人である。
「じゃ、わたし、今日はそろそろ帰るけん。どうもありがと。明日の準備しとかんといけんし……」
「ああそう。そう言うたら、アキコちゃん、明日から修学旅行やったね。楽しんで来てや。ふふ」
「うん。沖縄のおみやげ買って来るけん。まっててね」
「へえ。ありがとお。楽しみにしてるわ。ふふ。じゃね」(アキコちゃん。元気になったやんか。ほんと。よかったわあ。ふふふ)
ひなたは自分の事のように喜んでいた。
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「青い星の光……」
シンジは暗黒の次元の中、カードを見て連想しながら、心の眼で青い星の光のイメージを見ようと努力していた。この空間には絶対的な時間と言う概念が存在しないらしく、リョウコが去ってから一体どれぐらいの時が流れたのかシンジには全く判らなかったが、「楽に座る姿勢」をあれこれ工夫している内に、自然に座禅のような座り方になっていたのである。奇妙な物で、イメージの想起に集中していると、湧き上って来る「雑念」や「過去の嫌な思い出」すら、自分の一部として消化してしまえるようなのだ。
シンジは時折無意識的に「青い星の光」と呟いていた。
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「オレンジの補色の青ね……」
アスカも暗黒の次元の中で、カードに描かれた太陽の絵をぼんやり見つめていた。時折チラ付く補色の青い光を見ていると、不思議な事に、それが「呼び水」となって、アスカの心の奥底に潜んでいた「澱」のようなものが意識の表層に浮かび上がって来るのである。
(そう……、こんなこともあったわね……。そうそう、この時はつらかったなあ……。ちくしょう……、あいつ、こんどあったらぜったいに負けないんだから、……って、あうわけないわよね……)
本来ならこんなイメージは思い出したくもない映像のはずだが、その時のアスカには何故かその「嫌な思い出」すら、「自分の本当の姿」として変に懐かしく思えた。やはり、一度とことんまで落ちてしまうと、後は上るしかなくなる、とでも言えばいいのだろうか。そして、そう言う風に思えるようになると、妙に安心してしまい、使徒と戦って負け、プライドをズタズタにされた事さえ、自分の糧としてしまえるような気持ちになって来たのである。
(ふふ。そうよねえ……。あたし、まだ14歳なのに、今までいろんなことがあったなあ……。こんな14歳もめずらしいよねえ……)
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「オーム・アヴァラハカ……」
(
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○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
………)
レイは膝を抱えたまま手を組んでマントラを唱え、心にマントラのシンボルを描いていた。
(わたし……、どうしたらいいかわからない……。わからないけど、今のわたしにできるのはこれだけ……)
胸のポケットにしまい込んだサトシの髪の毛の事を心に留めながら、レイは、小さな声で、
「オーム・アヴァラハカ……」
続く
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。
BGM:'アヴェ・マリア(カッチーニ) オルゴールバージョン 'mixed by VIA MEDIA
原初の光 第十七話・勇気
原初の光 第十九話・意地
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