第一部・原初の光




「大安の日」から一夜明け、8月29日の朝が来た。

(朝か……。あ、もうこんな時間……)

 時計を見ると、もう8:00である。いくら学校が近くにあると言っても、もう支度をせねばならない時刻だ。サトシは慌てて飛び起き、身支度を始めた。昨日は一日中緊張していたし、レイの事を思い出さないようにと無理矢理テレビを見ていたのも祟ってなかなか寝付かれなかったのである。

(……北原に会ったら、どんな顔したら……)

 昨日はサトシもリョウコも自室に篭りっきりだったので顔を会わせていなかったが、今日はそうも行かない。不自然な態度をして嫌われたくない、と言う気持ちはあるのだが、リョウコを見てレイの事を思い出してしまったら、今のサトシには、平静を保っていられる自信はない。

(今日は食堂で食べてるひまはないな……。パンでも買ってくか……)

 サトシが身支度を終え、部屋から出ようとした時、

ピンポーン

「はい。沢田です」

『北原です。おはよう、沢田くん』

「あ……、悪いけど、今日は先に行っててくれるかな……。寝坊しちゃって」

『うん。わかった。じゃ、先に行くね』

「ごめんね」

 サトシは咄嗟に心にもないウソを言ってしまった。リョウコは当然サトシの「夢」の事など何も知らないし、ビクビクする事などないのだが、いきなりリョウコに顔を会わせる勇気はどうしても起きなかった。

(だめだな……。僕は……)

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第十七話・勇気

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(あれ……、沢田くんじゃね……。今日は一人なんかな……。北原さん、一緒じゃないんね……)

 登校中にちょっと立ち寄ったコンビニから出て来たアキコは、向こうから一人早足でやって来るサトシの姿を目に留めた。いつもは早いアキコだが、今日はたまたま少々遅れてしまい、慌てて身支度と朝食を済ませて出て来たのである。しかし、コンビニに寄るぐらいの時間的余裕はあったので、文房具を買い足しておいたのであった。

「あ……、形代……、おはよう……」

「あ、……おはよう。沢田くん。……買いもんね?」

「うん……。パンをちょっと……」

 そう言ってサトシは早足でコンビニに入って行った。アキコがそのまま待っていると、程なくしてサトシが出て来て、

「あれ? ……待っててくれたの?……」

「うん……。せっかくじゃけん……。めいわくじゃった?」

「いや……、そんな、めいわくだなんて、……ありがと」

 二人は早足で学校へ向かう。

(今日は一人なんね、って、きいてみよか……。でも、なんかききにくいね……)

 アキコには、リョウコの事をサトシに尋ねる事が出来ない。

「きのう、マーラ、来んかったね」

「うん……、正直言って心配だったから、来なかったのはよかったけど、次はいつ来るのかな………」

 ほどなくして二人は学校に着き、サトシは、

「あの……、形代、悪いけど、トイレに行くから、先に教室に行っててくれるかな……」

 無論、トイレに行きたい訳ではない。しかし、サトシとしては、偶然とは言え、アキコと登校したので、一緒に教室に入る所はリョウコに見られたくなかった。それに急いで腹ごしらえもしなければならない。

「うん……、じゃ、先に行くけん……」

と、アキコは一人で教室に向かう。

(さてと、急いで食べなくちゃ……)

 サトシはパンとジュースを腹に押し込むべく、校舎の裏に走って行った。

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(あれ? ……沢田くんと形代さん……?)

 その時、リョウコはたまたま窓から外を見ていたのだが、サトシとアキコが一緒に登校した来たところを目にしてしまった。

(あれ? ……なんであんなところで?……)

 サトシとアキコが校門の所で別れたのを目に留めたリョウコは少し不審に思った。今朝サトシを誘った時にはサトシは出て来なかったのに、アキコと一緒に登校して来た事は、リョウコにとっては少々意外であった。

(……今日はどうしたのかな……。沢田くん……)

 リョウコはしばし考え込んだ。彼女自身、何故この事に妙な引っ掛かりを覚えるのか不思議ではあったが、その引っ掛かりを取り除く事は出来なかった。その時、アキコが教室に入って来た。

(あ……、形代さん……)

 その時、

キーンコーンカーンコーン

(あ、本鈴だわ……)

 たまたま本鈴が鳴ったのでウヤムヤになってしまったが、この出来事がリョウコの心の奥底に小さな引っ掛かりを作ってしまった事は間違いない。丁度その時サトシが教室に駆け込んで来た。リョウコはそれを見て、

(沢田くん……。どうしたのかな……)

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 下校の時間となった。

「北原、帰ろうか」

 サトシは思い切ってリョウコに声をかけた。理由もないのに変に避けていると不審に思われる。サトシとしてもそれは避けたい。

「……ごめん。……わたしちょっと用事があるから、先に帰ってて……」

「そう……、じゃ、先に帰るね……」

 サトシは少しショックだった。リョウコに変に思われたのではないか、との思いも頭を駆け巡る。しかしさりとてどうする事も出来ないサトシは一人で教室を出た。

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(わたし、……どうしたんだろ……。なんで沢田くんにこんなウソを言ったんだろ……)

 サトシの去った後の教室で、リョウコは自分の意外な行動に悩み始めていた。

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(あの二人、どうしたんじゃろ……。なんか今日はおかしいね……)

と、アキコはサトシとリョウコの様子を少し変に思ったが、

(まあ、でも、……わたしがどうこう言うことじゃないけん……。帰ろ)

 帰り支度をしようと机の中を探ると、アキコの手に何か触る物がある。

(あれ?……。なんじゃろ。……手紙?)

 取り出してみると、それは白い封筒である。アキコは周囲を素早く見回すと、手早くその封筒をカバンに入れた。

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 ジェネシス本部長室。

コンコン

「どうぞ」

「失礼致します」

と、入って来たのは秘書の細川治美である。

「ああ、細川君か。なんだね」

「沢田、北原、形代の3名に関して学校から連絡が来ています。約1ヶ月後の9月26日から予定されている修学旅行に、この3名を参加させても良いかどうか、という事なんですが」

「おお、もうそんな時期だったのか。旅行先はどこだね」

「沖縄です。4泊5日で、26日から30日までだそうですが」

「無論許可するよ。行かせてやりたまえ。彼等にとっては大切な思い出だ。こちらには四条君、玉置君、橋渡君の三人が残っているし、幸いにして自動戦闘モードも使えるようになった。それに、どうしても万が一、と言う事があれば、オクタを最高速で飛ばせば沖縄まで1時間かからないからな」

「はい、わかりました。では学校に連絡しておきます」

「うむ。そうしておいてくれ」

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 学校から急いで帰って来たアキコは自室で手紙の封を切った。

(これ……、ラブレター?……)

 それは、隣りのクラスの男子からのラブレターだった。アキコの事が好きになったから、よかったら付き合って欲しい、と言う内容である。

(へえ……、わたしのことを、……でも、どうしよ……)

 好意を持ってもらえた事は嬉しかったし、昨日までのアキコだったら、この手紙で心が動いたかも知れない。しかし、今日、サトシとリョウコの仲に微妙な変化があったのではないかと感じてしまった今のアキコには、サトシの事を完全に諦めてこの男の子と付き合ってみようか、と言う気持ちは起きなかった。

(……そうじゃ。ひなたさんに相談してみよ……)

 決断は早かった。アキコはスマートフォンを取り出し、ひなたから聞いていた電話番号を押した。

『はい。川口です』

 ひなたの声だった。

「すみません。形代ですが」

『ああ、アキコちゃん。どないしたん』

「すみません、ちょっと聞いて欲しいことがあって」

『ええわよ。なに?』

 ひなたは明るい声で応えた。

「実は——」

 固有名詞は伏せながら、実は自分に好きな男の子がいる事、その男の子が他の女の子と付き合っているらしい事、しかし、その二人の仲が、今、微妙になっているみたいである、と言う事、更に、別の男の子からラブレターをもらって、以前の自分なら心が動いたかも知れないが、その二人の仲が微妙になったらしい今は、そんな気が起きない事、等を、アキコはひなたに語った。

「——と、言うわけなんじゃけど……」

『ふーん。そんで、アキコちゃんはその男の子のこと、結局はなんのかんの言うても、やっぱり好きなんか?』

「うん……。やっぱり、好きですけん。それで、どうしよかな、と思うて」

『それやったら話は簡単やないの。ほかの人のこと好きやのに、さみしさまぎらわすために別の人と付き合うても、結局は、さみしさなんかなくならへんよ。わたしかて、まだ16なんやさかい、えらそうなこと言えへんけど、わたしやったら、もうちょっと好きな人のこと、見守ってるわ。ましてや、アキコちゃんはまだ中2やんか。あせってだれかれなしに付き合うことなんかないと思うよ。もちろん、待ってたから言うて、好きな人と絶対に仲良くなれるとは限らへんし、その、手紙くれた子と、おともだちになるのは悪いことやないとは思うけど、その子がアキコちゃんのこと好きなんやったら、中途半端に付き合うたら、二人ともしんどいだけやで。わたしやったら、正直に、ごめんなさい、言うて、ことわるけどな』

 ひなたの答は単純明解だった。

「うん……。そうじゃね……。そのとおりじゃね……。ありがとう。ひなたさん。……わたし、がんばるけん」

 アキコは心が晴れる思いだった。

『そうやで。がんばってな』

「ありがとう。……じゃこれで……」

『うんうん。そんならまたね』

 アキコは電話を切り、机に向かって返事を書き始めた。

(「おてがみありがとうございます。せっかく言ってもらったのに、ほんとに悪いんですけど……」)

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(修学旅行……。沖縄か……。ん、待てよ)

 伊集院はふと思い付き、机の上のパソコンを操作してオモイカネに接続した。

「『シナリオの存在を前提とした時、9月26日から30日までに、沖縄にマーラの出現する可能性は』、と。…………やはり、”データ不足”か。当然だろうな」

 伊集院は電話の受話器を取り上げた。

『……はい、中畑です』

「伊集院だ。今どこだね?」

『ラウンジの前です』

「そうか、じゃ、コーヒーブレイクの後でいいから本部長室に来てくれ」

『いえ、すぐ参りますが』

「いやいや、構わんよ。それほど急ぎの話じゃない」

『そうですか。ではお言葉に甘えて、10分後に参ります』

「うむ、では10分後にな」

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(やっぱり、あんな態度とっちゃだめよね……。でも、なんでなんだろ……)

 リョウコは今日サトシについた「小さなウソ」の事を考えていた。

(沢田くんと形代さんがたまたま一緒に学校へ来たからと言って、べつに不思議でもなんでもないわよね……。なのに、あんな態度とっちゃった。……こんなことは忘れて、明日からふつうにしよう。……あ、そう言えば今日は17時から特別訓練があったのよね。……そのときへんな顔しないようにしなくちゃ。……でも、わたし、なぜこんなことをあれこれ考えてるんだろ……)

 リョウコは自分の心理に起こった微妙な変化に気を揉んでいたが、その理由が、「土曜日の失神」にあるのかも知れない、と言う事には、その時の事を全く覚えていない彼女には全く気付かない事だった。

(今何時かな……。あ、もうこんな時間……)

 時計は16:50を指している。

(そろそろ、行かなくちゃ……)

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(どうしよう……。北原、今朝のこと怒ってるのかな……)

 サトシは本部のラウンジでコーヒーを飲みながら、一人悩んでいた。「たまたまアキコと一緒の所を見てしまったのが、リョウコの不可解な行動の原因である」、と言う事を知らないサトシは、「もしかして、レイの事を考えているのがバレて、リョウコに嫌われたのではないか」、と、あらぬ事を思い悩んでいたのである。

 「『夢』の中でのレイとの出来事」に関しては、考えたくはないがどうしても考えてしまう。何しろ「『レイのもの』ではないかと思われる『髪の毛』」を「持って帰って来てしまっている」のである。当然、岩城に相談すべきなのであろうが、「レイとの出来事」を話さねばならないと考えると、とてもではないが、岩城に相談する勇気は起きなかった。

「よう、沢田サトシ君じゃないか。どうしたんだ? シケた顔して。ふふ」

 顔を上げると、そこに立っていたのは山之内である。

「あ、山之内さん……」

 山之内は手にしたコーヒーをテーブルに置くと、サトシの前に座り、

「どうした? 女の子の事で悩んでいるのか? わははは」

 サトシは思わずドキリとした。山之内に全て見透かされてしまっているのかと一瞬思ったのだ。しかし、それが返ってサトシに「思い切り」を与え、

「はい、……実は、そうなんです……」

 山之内は、意外だ、と言うような顔で苦笑し、

「おっ? なんとなんと、それはそれは。……何と言ってあげればいいのかな。……もし、僕でよかったら相談に乗ろうか? ふふ」

「はい。ありがとうございます。実は……」

 自分でも意外な程の素直さで、サトシは山之内に悩みを語った。具体的な固有名詞は避けたが、自分には好きな女の子がいる事、その子とも結構仲良くなれた事、ところが、その子によく似た女の子が現れて、自分を頼って来て、その子に少し心が動いてしまった事、しかし、仲良くしている子の事を考えると、どうしたらいいか判らない事、等を語った。

「……と、言うわけなんです」

「……成程ねえ。で、サトシ君は、一体どっちが好きなんだ?」

「え? ……それは、……よくわからないけど、やっぱり、き……、いや、なかよくしてる方の子です。……でも、僕をたよってくれる子のことも、見捨てられなくて……」

 山之内は、サトシが思わず「北原」と言う言葉を発しかけたのを見抜いたのか、ニヤリと笑い、

「そうか。……なあ、サトシ君。男と言う物は、本質的には『浮気者』なんだぜ」

「え?、……でもべつに僕は、浮気なんて……」

「そんなに深刻に考えるな。生物学的に見ても、男性と言う物は、あちこちの女性に子供を作るように出来ているんだ。つまり、1年の間に何人も子供を作れるから、手当たり次第に自分の遺伝子をばらまいて、その中で優秀な子供が残ればよいと言う考え方だ。ふふ。……しかし、女性は違う。1年に一人しか子供を産めない。だから、優秀な男性をじっくり探し、その男性の子供を産もうとする。……それが本能なんだ」

「はあ……。そうですか……」

「そうだよ。だから、女は、優秀であり自分にとって大切だ、と思う男を見つけると、その男を独占しようとする。当然だろ。その『優秀な男の遺伝子』で、他の女性に『優秀な子供』を産まれたら、自分の子供に不利になるからな。それが女の本能なんだよ」

「……はあ……」

「だから、男があちこちの女に手を出す事はだな、女の方から見れば、『許し難い』事になるんだよ。……つまり、男と女は、元々そう言う矛盾を抱えているんだな」

「はあ……。なるほど……」

「しかし、さっきも言ったように、男としてはあちこちの女の子に気が向くのは仕方ない事だ。本能だからな。……で、何が言いたいかと言うとだな、要するに、だな……」

 その時、サトシがおずおずと、

「あの、山之内さん……。うしろ……」

「なに?」

 山之内は後を振り向いた。そこに立っているのは鬼の形相をした由美子である。

「あら……、やべ……」

 バツの悪そうな顔で「この上もない苦笑」をした山之内に、由美子は青筋を立て、

「あんたねっ! なにくっだらないこと講釈してんのよっ!!! 中学生になに教えるつもりっ!! いい加減にしなさいよっ!!」

「おー恐い恐い。こりゃだめだ。サトシ君、取り敢えず話は中断だ。しかし、結論だけは言っておくよ。つまり、女の子の気持ちは今言った通りだから、女の子の立場に立って、本当に好きな子を大切にしてやるんだ。それが男だぞ。だが、君を頼って来た子には、誠実に対応してやれ。心を弄んだらいけないぞ。わかったな。じゃ、俺はこれで。わははは」

 山之内は立ち上がってそそくさと去って行った。由美子は相変わらず「恐い顔」をして山之内をにらんでいた。

「あの……、由美子さん、どうしてここに?」

「たまたまコーヒーを飲みに来たら、あんたたち二人が話してるのが目に入ったのよ。……もう、しかたないわね。あんなやつの『女性論』なんかまともに聞いちゃだめよ」

「はい……」

(由美子さん、って、山之内さんのことになると、なんか恐いんだな……)

 サトシは由美子の意外な一面を見た思いだったが、それが「山之内に対する愛情の裏返し」だとは、その時のサトシには判らなかった。

「そう言えば、17時から特別訓練でしょ。もうそろそろよ」

 サトシは壁の時計を見た。16:50を指している。

「はい。……じゃ、行って来ます」

「うん。頑張ってね♪」

 +  +  +  +  +

「さて、と、手紙も書いたし、切手も貼って、と、……明日出したらいいけんね」

 アキコは自分に言い聞かせるように独り言を言っていた。

「……そうじゃね。先のことはわからんのじゃし、まだわたし子供なんじゃもん。沢田くんにも北原さんにも、明るく、にこにこ、ふつうにしてよ……。ほんと、これからどうなるかわからんもんね……。がんばろ。……あ、そう言うたら、今日は17時から特別訓練じゃったね……」

 時計は16:50を指していた。

「さ、行こうか。がんばらんとね。アキコ」

 +  +  +  +  +

(あ……)
(あ……)
(あ……)

 訓練室前の廊下の十字路で、サトシ、リョウコ、アキコの三人はたまたま出くわしてしまった。三人は一瞬言葉に詰まったが、その直後、アキコがにっこり微笑んで声をかけた。

「こんばんわー、北原さん、沢田くん。今日もがんばろね」

 アキコの明るい挨拶に、リョウコとサトシは救われたような顔をして微笑んだ。

「こんばんは、がんばりましょ」

「こんばんは、がんばろうね」

 三人の間に爽やかなミントの風が吹いたような雰囲気が流れた。

 +  +  +  +  +

 本部長室にやってきた由美子に、伊集院は一通りの事情を説明し、

「……と、言う訳だ。オモイカネの判断でも予測は不可能だったし、沢田君、北原君、形代君の三人は、9月26日から4泊5日で沖縄へ修学旅行に行かせてやろうと思っている。こちらの態勢は、四条君、玉置君、橋渡君の三人に留守を守って貰う積もりだ。バックアップとして自動操縦モードも活用する。そして、万が一の緊急時には沖縄へオクタを飛ばす予定にしているから、その積もりでいてくれ。但し、この事は沖縄行きの三人には言うなよ。余計な心配をさせたくないからな」

「はい。了解致しました。……ところで本部長。結局昨日はマーラは出現しませんでしたが、今後の見通しはどうなるのでしょう」

「まあ、いつも通りの回答で申し訳ないが、当分の間は、様子を見ながら進むしかあるまい。……六人の『魔法使い』としての修行が進めば、『魔界の穴』を認識出来るようになる。そうなった時が、我々の反攻の時だ。それまで、君にも、彼等にも苦労をかけるが、頑張ってくれたまえ」

「はい。了解致しました」

 +  +  +  +  +

 岩城が、まだ20代半ばと思われる若い僧侶を連れ、訓練室に現れた。

「さて、これから訓練を始める。と、言っても、今日は仏教に関する勉強だ。それで特別に講師を御願いしてある。加山先生だ」

「加山龍光です。みなさんよろしく」

「加山先生は、私の師匠の中之島博士のお師匠さんにあたる、真言宗智山派の阿闍梨、加山龍海先生の息子さんで、やはり同じく智山派の阿闍梨でいらっしゃる。私も中之島博士も在家の俗人だし、仏教の事は専門家に御願いしようと言う訳で頼んだのだ。まだお若いし、お兄さんみたいに気軽に思って下さい。では、加山先生。御願いします」

「はいはい。承知しました。さて、僕は一応僧侶ですけど、難しい話は苦手なんで、気楽に行きましょう。ほらほら、リラックスして」

 にこやかな調子の加山に、六人はほっとしたようである。

「いきなりの話なんだけど、みんなは色々な理由でここにいるのだと思います。でも、『なんで自分は自分なんだろう』、って、考えた事があるかな」

 六人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「仏教では、その原因を『業』とか『カルマ』とか言います。

即ち、『カルマ』と言うのは、思いっきり判り易く言うと、『宿命』と言ってもいいと思う」

 加山はホワイトボードに字を書きながら説明した。

「ただ、一般世間で言われている『宿命』と少し違うのは、『今、自分が自分であるのは自分のカルマのせいだ』と言う言い方と共に、『自分のこれからの行為が全て自分のカルマとなって蓄積される』と言う言い方もする。即ち、『自分自身のすべての記録がカルマなんだ』と言う事だね。

 カルマの事を詳しく説明すると何ヶ月もかかってしまうし、とてもじゃないけどそんな事はしてられないから、一つだけ肝心な事を言います。

 とにかく、『自分が今あるのは、自分のカルマ故だ』、と言う事だけを頭に入れておいて下さい。これは生まれながらに背負っているカルマもあるし、生まれてから自分が蓄積したカルマもある。特に、生まれながらにして背負っているカルマと言うものは、自分では認識出来ないし、納得も出来ないだろうと思う。でもとにかく、今は納得出来なくてもいいから、そんなもんだ、と思っていて下さい。

 世の中には色々な境遇の人がいます。しかし、何故その人がその境遇にあるのか。これは誰にもわからないし、本人にもわからない。それを、『逆から考える』のが『カルマ』です。つまり、『理由はどうあれ、今の自分があるのは自分の背負っているカルマのせいだ』と言う事をまず自覚する事から始めるんです。

 特に、君たちのように、精神力を要求される任務に就いている人々は、自分の置かれている状態を客観的に見なければならない。そのスタートが『カルマの自覚』なんです。カルマがある、と言う事を自覚すれば、自然と、『仏の導き』としか言いようのない流れで、自分を認識するようになる。それが肝心だと言う事を、取り敢えず頭の片隅にでいいから、入れておいて下さい。

 さて、カルマの話は取り敢えずこれぐらいにして、次はマントラの話をします。君たちは、岩城先生から『マントラ瞑想』について教えて貰ったと思う。その時のマントラは、胎蔵界大日如来のマントラ、『オン・アビラウンケン』だね。で、君たちはそれを中之島博士の研究に基づいて、サンスクリット語で、『オーム・アヴィラフームカハーン』と習った。それで更に、実際にはこのマントラを源流まで遡った『オーム・アヴァラハカッ』と言う形で使っていて、更にはマントラの波動を心で感じる訓練をする時は、『オーム』を付けずに『アヴァラハカッ』を心で受け取るようにしていると思います。そのやり方で何の問題もないんだけど、一つだけ覚えておいて欲しいのは、『オーム』を付ける時は、『帰命します』の意思表明だから、これはまず自分から大日如来に働きかけるきっかけとしての『オーム』なんだと思って下さい。そしてその後の『アヴァラハカッ』は、大日如来そのものの象徴だから、自分と大日如来が一体になる事を示しているのだと思って下さい。これを『能動・受動』と言うとやや語弊はあるけれど、感覚的にはそう言う意味なんだと思って戴いていいです」

 六人は結構熱心に聞いていた。カルマの話にしても、マントラの話にしても、何か彼等の心に響く物があったのである。

 続く



この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。

BGM:'Moon Beach ' composed by VIA MEDIA(arranged by Singer Song Writer(有限会社インターネット))

原初の光 第十六話・接触
原初の光 第十八話・昇華
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