第一部・原初の光
(ここはどこだ。僕は死んだのか?……)
サトシは上も下も判らない真っ暗な空間の中に一人存在している自分を発見した。しかし不思議な事に、スポットライトが当たったように自分の姿だけは見えている。しかも、ジャンプスーツではなく、白い長袖のカッターシャツに黒い学生ズボンと言う服装だった。
(まわりにはなにも見えない……。やっぱり死んじゃったのかなあ……。北原はだいじょうぶかなあ……)
その時だった。突然サトシの後から、
「シンジくん!!」
+ + + + +
第十話・祈念
+ + + + +
「えっ!!??」
サトシはぎょっとして振り返った。信じ難い事に、そこには、灰褐色の髪をショートカットにし、中学校の制服らしい服を着た一人の美少女が立っている。更に驚いた事には、その少女は北原リョウコに良く似ているではないか。
「シンジくん……。来てくれたのね。うれしい……」
「君は!……。まさか……、綾波レイ?……」
サトシはそれだけ言うのが精一杯だった。
「やっぱり来てくれたのね……。うれしい……。ありがとう」
薄茶色の瞳に一杯涙を溜め、レイはサトシに寄り添って来たが、
「待ってくれよ。僕は沢田サトシだ。シンジじゃないよ。一体どう言うことなんだい。説明してよ」
レイは半歩退き、怪訝そうな眼でサトシをじっと見詰めると、
「わからない……。あなたは碇シンジくんじゃないの?……。わたしはあなたにシンジくんの心を感じてるわ……。でもあなたはシンジくんじゃないと言うし……。わたし、……どうしたらいいの……」
その頬には一筋の涙がかかっている。
「とにかく説明してよ。君のことと、碇シンジ君と言う人のことをさ。すわってゆっくり話そうよ」
サトシは自分のおかれている状況や、自分の生死の事をすっかり忘れてしまい、そこに腰をおろして膝を抱えるように座った。レイもサトシの右側に腰をおろし、同じように膝を抱える。少しまくれ上がったスカートの下に、抜けるように白いレイの太腿がちらりとのぞき、サトシは心臓の鼓動が早まるのを感じた。
(あれっ? 死んだとしても、胸はどきどきするのかな……?)
サトシは不思議に思ったが、それを考えている余裕はない。
「ありがとう。……でも、なにから話したらいいのか……。わたし、口下手だし……」
「じゃ、僕から聞くよ。まず、その、碇君と言う人は、僕と似てるのかい?」
「ええ。よく似てるわ。……あなたから感じるあなたの心も、わたしにはシンジくんの心に思えるの……」
「思い切って聞くけど、前に君が言っていた、君の世界が滅んだ、と言うのはどう言うことなの?」
「わたしたちの世界は、使徒と呼ばれる生き物におそわれていたの。……そして、その使徒によって引き起こされる、サード・インパクトと言う大災害が世界を滅ぼす、と言われていたの……。
でも、そうじゃなかった。……わたし自身も知らなかったわたしの秘密を使って、……別のわたしが、サード・インパクトを起こして世界を滅ぼしたの……」
涙声で語るレイの話を聞きながら、サトシは混乱して、
「ちょっと待ってよ。別の君、って、どう言うこと?」
「わたしは……、わたしもよくわからないけど、……作られた人間なの……。わたしは何人もいたのよ……」
うつむいたレイの瞳から涙がこぼれ落ちる。
「えっ!?……、もしかして、……クローン……、て、こと?」
サトシはレイの言葉に、そして、こんな事を聞き返さなければならない自分の言葉に心が痛んだ。
「ええ……。だからわたしには心がなかったの……。でも、シンジくんとの心のふれ合いの中で、わたしに心が生まれたの……。
ある時、わたしは、人を愛することなんかできないはずのわたしが、……シンジくんを愛していることに気付いたの……。その時、わたしはシンジくんを守りたい、って思ったわ……。
使徒におそわれてエヴァ零号機で戦ってた時、シンジくんがおそわれないように、エヴァを自爆させて、……使徒と一緒に爆発して、……シンジくんを守りたかったの……。
それから、……気が付いたらここにいたの。……どれぐらいの時間が過ぎたかわからないけど、青い光が見えたわ。……青い光が見えた時、元の世界でなにが起こったかを知ることが出来たの……。
わたしがここに来てから、その後、別のわたしが元の世界を、……わたしも知らなかったわたしの秘密を使って、碇司令と一緒になって、……世界を滅ぼしてしまったの……。
それから、ほかにもいろいろなものが見えたわ。わたしが今まで知らなかったこともよ……。それがほんとうにあったことなのか、わたしがかってに思っただけのことなのか、わからないけど……」
「いかり司令、って、誰?」
「シンジくんのお父さんで、わたしたちの司令官だった人よ。わたしがただ一人、信頼していた人だった……。でもそれはまちがいだったの……」
「それからは青い光は見えなかったのかい?」
「ええ、それきり青い光は見えなくなったわ……。それで、その後ね、どれぐらい時間が過ぎたかはわからないけど、すこし前に青い光があらわれて、シンジくんとわたしが見えたのよ……。
そのとき、シンジくんは迷っているように思ったわ……。なにか、わたしが苦しんでるのを見て、わたしをたすけようとしてくれてるんだけど、どうしたらいいのかわからないみたいだったの……。
それで、わたし、その時、思い出したの……。前に、シンジくんがわたしをたすけてくれた時のこと……。
そしたら、なんだか自分でもよくわからないんだけど、夢中で、いろんなことさけんでたの……。そしたら、シンジくん、困難を切り抜けられたみたいだったわ……。それで、わたしが前に経験したことのないことがいろいろと見えて、みんなにこにこ笑ってて、その後、青い光は消えてしまったの……。
でみ、その時、思ったわ……。もしかしたら、シンジくん、みんなをたすけてくれるかも知れない、って……。
それからしばらくたって、また青い光が見えたわ……。シンジくん、一人ですわってた……。その時、わたし、はっきりシンジくんの心を感じたの……。とてもうれしかった……。それで、いっしょけんめい、話しかけたの……。そしたら、話ができたのよ……。うれしかった……。でも、それが、あなただったのね……」
レイは、訥々とではあるが、サトシに彼女自身の思いを語った。
「……うん……。そうみたいだね」
「……その後は、さっきのことよ。また青い光が見えて、シンジくん、見たこともない機械にかこまれて、すごくこわそうにしてたわ。それで、わたし、また前のこと、思い出して、シンジくんが、わたしのこと、たすけにきてくれたこと、思い出して、それで、さけんでたの。逃げちゃだめ、戦うのよ、って……」
「うん、そうそう。それで、僕が、じゃましないでくれ、って、言ったよね」
「ええ、それで、青い光は消えたわ。……その後、また光があらわれて、今度はわたしが見えたのよ」
「うん、それで?」
「その時、そのわたしは、シンジくん、いえ、あなたなのかな。さっき、機械にかこまれているところが見えた、って、言ったでしょ」
「う、うん」
「それと同じような機械にかこまれてて、やっぱり、苦しんでたの」
「えっ!?」
(まさか…、北原…)
リョウコとレイの「関連」に連想が及び、顔色を変えたサトシの様子にレイは気付き、
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもないよ。…それで、どうなったの?」
「わたし、その映像の中のわたしが、いまここにいるわたしと別だとは思えなかったのよ。それで、いっしょけんめい、祈ったの。……そしたら、そのわたし、しばらくして、楽になったみたいだった。それで、安心したら、光は消えてしまったわ。……そのあとは、後の方で青い光が光って、そこにあなたがいたのよ……」
「そうだったのか……」
サトシはそう言うしかなかった。レイとリョウコの「関連」については、今のレイの話を聞く限りではどうにも否定しようがない。しかし今のサトシには、それをレイに告げ、深く追求する事は、とてもではないが、恐くて出来る事ではなかった。
一瞬の沈黙の後、レイは続けて、
「……でも、ふしぎだわ……。わたし、前はほとんど人と話なんかしなかったのに、こうしてあなたといると、自分の心の中に生まれた思いが言葉になるのよ。……どうしてかしら……」
レイの話を聞いた後、サトシは、心の中に交錯する色々な思いを整理出来ないままではあったが、思い切って口を開いた。
「……ねえ。信じられない話と思うかも知れないけど、聞いてくれる?」
「うん……。なに?」
「かなり前、僕が生まれる前の話だけどね。『新世紀エヴァンゲリオン』と言うテレビアニメがあったんだよ」
「!!!!!!……」
余りの驚きにレイは絶句するしかなかった。サトシは続けて、
「僕が見たのは再放送だったんだよ。僕はその番組をあんまり見てなかったし、ほとんどおぼえてないんだけど、その中に、綾波レイ、碇シンジ、と言う登場人物がいたことぐらいはおぼえてるんだ。君の話と同じだよ。だから、君が話しかけて来てくれた時ね。最初はなんのことかわからなかったけど、その後でそのことを思い出してね。ほんとにびっくりしたんだ」
「…………」
「それとさ、これは、僕たちの世界の話なんだけど、あることがきっかけで、魔界と現実界の壁がこわれてね。魔界から、マーラと言う怪物が攻めて来ると言うことがわかったんだ。それに対抗するために、ジェネシスと言う組織ができてね。オクタヘドロンと言うロボットを使ってマーラと戦うことになったんだ。僕はそのパイロットなんだよ」
「そうだったの……。ふしぎね……。わたしたちの世界とあなたたちの世界はだいぶちがうけど、同じようなことがあるのね……。それに、そのテレビアニメのこともふしぎだわ……」
その時、サトシはふと思った。
(あれ……。なんで僕はこんなに楽に女の子と話してるんだろう。いつもはあがってしまって、ちゃんとしゃべれないのに……。あ、そうだ。思い出した……)
「一つ思い出したよ。最初にマーラと戦うことになった時、僕の声にそっくりな声の誰かが僕の心に話しかけて来てくれて、勇気づけてくれたことがあったんだ。それで僕は戦うことができたんだよ。もしかして、なにかおぼえてない?」
「それ、どんな言葉だったの?」
「『逃げちゃだめだ』、って」
「ええっ!? …そ、それ、シンジくんの言葉よ! わたし、それ、聞いたわ!」
「えっ!? じゃ!?」
「う、うん……。わたしが聞いた、シンジくんの言葉が、あなたに、つたわった、って、言う、こと、なの……?」
「そ、それは……、わからないけど、もしかしたら、そうかも知れないね……」
「ほんと、ふしぎね。……でも、もし、そうだったとして、わたしがあなたの力になれたんだったら、うれしいわ……。ねえ、さっき話してくれた、あなたの世界のテレビアニメね。……それ以上は知らない?」
「うん……。知らないんだ……。ごめんね」
「ううん……。いいの。むり言ってごめんなさい」
サトシは、これ以上何を話したらよいのか判らなくなり、そっと顔を上げてレイの方を見た。レイも気付いたらしく、サトシを見る。
「…………」
「…………」
二人は何を話したらよいのか判らないまま、しばらくお互いを見詰め合っていた。
(どうしよう。なにを話したらいいんだ……。こんな時、どうしたらいいんだ……)
+ + + + +
「!!!」
暗闇の中でずっと考え込んでいたアスカの脳裏に、突然奇妙な映像が浮かび上がった。
「シンジ!! ファースト!?」
それは、驚くべき事に、「駅のホームで、シンジとレイが仲良く寄り添っている光景」だったのだ。
「なんでこんなものが見えるのよ!!??」
アスカは顔を上げて思わず叫んだ。すると、不思議な事に、その映像は消えてしまったのである。
(……なんで、なんでよ。なんで、シンジとファーストが……)
訳が判らないまま、アスカは再び顔を自分の膝にうずめて考え込む。
「あ! そう言えば、あれは……」
その時アスカは思い出した。かつてアラエルに精神攻撃を受けた時に見たその映像の事を……。
「あのとき、あたし……」
その時の映像が、事実として起こった事なのか、自分の妄想なのかは定かはでない。しかし、その映像の中で、自分はシンジとレイに悪態をついていたのだ。自分は加持に思いを寄せている筈なのに、シンジがレイと仲良くしている事が何故か許せなかった。これはどう言う事だろう……?
「……シンジ……、あたし……、ほんとは、あんたのこと、……ずっと前から、好きだったのかな……」
シンジに聞こえる筈もないのに、アスカは思わずそう呟いていた。
+ + + + +
「綾波!!??」
シンジの脳裏にも突然レイの映像が現れていた。ずっとアスカの事ばかり考えていたのに、である。しかもその上、その映像は「三人目のレイ」ではなかったのだ。「ヤシマ作戦直後の、二人目のレイの笑顔」だったのだ。
「どうして!?」
思わずそう叫んだ直後、レイの映像は消えてしまった。シンジは混乱したまま呆然とする他なかった。
+ + + + +
+ + + + +
ジェネシスの医療部では、ICUに担ぎ込まれたサトシの治療が懸命に続けられていた。
「脈拍、血圧共に低下! 危険な状況です!」
「ジギタリス注射して! 酸素流量も10パーセント上げて!」
医療部長の木原美由紀は思わず怒鳴っていた。
(絶対に死なせないからね。がんばるのよ! 沢田君!)
+ + + + +
「うううっ! 沢田くん! 死なんでよ! 死んじゃいや! ううっ!」
アキコは泣きながらICU前の廊下のソファに座って祈り続けていた。そばには蒼白な顔をした由美子と、うつむき加減で両手を組んで瞑目しているリョウコの姿があった。
(サトシ君! ごめんね! ごめんね! 私が馬鹿だった! 死なないで!)
由美子は無言のまま自分を責め続けていた。その時、突然アキコが泣きながら立ち上がり、
「北原さん! 沢田くんがこんなになったんは、あんたにも責任があるんじゃけんね! もうちょっと心配したらどうなんよ!」
それを聞いた由美子は顔色を変え、
「アキコちゃん! なにを言うの! 全ての責任は私にあります! 仕事に感情を持ち込むのは上司として許さないわよ! 責めるなら私を責めなさい!」
「うわあああっ! だって! だって! わああああっ!」
アキコになじられても、リョウコは黙って瞑目したままマントラを心の中で聞き続けていた。
(
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
………)
+ + + + +
+ + + + +
サトシはレイを見詰めた。レイは瞳に一杯涙を溜めている。思わずサトシは右腕を伸ばしてレイの肩を抱き寄せた。レイは少しびくっとしたようだったが、そのままサトシに寄りかかってきて、サトシの右肩に頬を置いた。サトシは全身が火のように燃えるのを感じ、何も考えられなくなって、そっとレイの顔を覗き込んだ。
「…………」
レイは眼を閉じていた。頬には一筋の涙がかかっている。サトシは全身が心臓になったような鼓動を感じながら、左手でそっとレイの顔を持ち上げ、彼女の端正な唇に自分の唇を重ねた。
「…………」
「…………」
レイの唇は、柔らかくて、あたたかくて、この上なく甘かった。サトシが夢中でレイを抱き寄せると、レイもサトシの背中に両腕を回して来た。サトシは、全身の血が激しく流れ、下半身が熱く充血するのを感じた。
「…………」
「…………」
ややあって、サトシは重ねた唇を離した。ほんのわずかな時間だったのだろうが、いや、この空間には時間という概念は通用しないのかも知れないが、サトシにはそのわずかな時間が殆ど無限に感じられた。そしてサトシは再びレイの頬を自分の肩に置き、レイの肩に自分の腕を回して抱き寄せた。レイは無言でサトシに従っている。
「ごめんね……。こんなことしちゃって……。おこってる?」
「ううん……。うれしかった……。ありがと……」
「ごめんね。君は碇君が好きなんだろ。僕は碇君じゃない。…なのに、こんなことになっちゃて………」
「そんなことないわ……。わたしもあなたをシンジくんにおきかえてるもの……。わるいのはわたしよ……。ごめんね……」
サトシは、こんな状況下に置かれながらも自分の欲望を押さえ切れなかった自分を嫌悪した。その嫌悪感からか、サトシは自分が現在置かれている状況を改めて思い出した。
(そうだ。僕は一体どうしたんだろう……。どうしてここにいるんだ? やっぱり死んだのか? それとも夢なのか? これからどうしたらいいんだ)
「これから……、どうしよう……」
「わからないわ……。でも、わたしはずっとここにいるけど、あなたはどうやってここに来たの?…… どうやって帰るの?……」
「僕にもわからないよ……。でも、僕がもし元の世界に帰っても、ここにいることになっても、ずっとなかよしでいてくれる?」
「わたしとなかよくしてくれるの? ……うれしい……。ありがとう……」
サトシは改めてレイの顔を見た。レイは眼に涙を一杯浮かべて微笑している。その表情を見て、サトシははっとした。
(あの時の北原と一緒だ!)
サトシがマーラと戦った後にリョウコがちらっと見せた微笑を思い出した時、突然サトシの心にマントラの波動が湧き上がった。
(
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
………)
その瞬間、サトシの周囲は青い光に包まれた。驚いてレイの方を見ると、レイは暗黒の闇の中へ消えて行く。サトシは思わず叫んだ。
「綾波っ!」
+ + + + +
+ + + + +
「脈拍、血圧が正常に戻りました! 呼吸も回復しました! 意識も戻っています!」
「よかった! もう大丈夫ね!」
美由紀は安堵の息を漏らした。
「表のお三人さん! 沢田君の意識が戻ったわよ」
+ + + + +
「サトシ君!! 大丈夫!? 私がわかるっ!?」
(あれ……、ここはどこだ……)
サトシはすっかり意識を取り戻した。ふと気がつくと、目の前に由美子の蒼白な顔があった。
「あ…、由美子さん……。ここはどこ……」
「集中治療室よ! 私がわかるのね! よかった! ほんとによかった!」
「沢田くん! わたしがわかる!? アキコよ! だいじょうぶ?!」
「わかるよ……。心配かけたね」
「よかった! ほんとによかった! うわああああっ!」
由美子は真剣に蒼白な顔をしているし、アキコは傍目も気にせず泣いている。横を向くと、無言ながらも心配そうな顔をしたリョウコの姿があった。
「北原は……、だいじょうぶだったの?……」
由美子は努めて明るく振る舞い、
「リョウコちゃんは全く無事だったわ。心配しないでゆっくり休んでちょうだい」
「さあさあ、お三人さん。もうおしまいよ。沢田君をゆっくりと休ませてあげなくちゃ。あとはこちらにまかせてちょうだい。ああそれから、由美子、北原さんも念のため精密検査をするわ。準備が出来たら言うから来て貰ってね」
「わかったわ。……リョウコちゃん。そう言うことだからよろしくね」
「はい、わかりました」
美由紀に促されて三人は表へ出た。サトシは最後に部屋を出て行ったリョウコの後姿を見て、綾波レイの事を思い出した。
(あれは……、夢だったのかな……、でも……、そんな……)
サトシは自分の右手を持ち上げてじっと見た。右手にはあの時のレイの肩の感触がはっきりと残っている。眼を閉じればあの時のレイの微笑がはっきり浮かび、レイの声がはっきりと耳に響く。更には、唇にさえ甘さが蘇って来るのだ。サトシにはレイと過ごした一時が夢だとはどうしても思えなかった。
「どうしたの? 手が何かおかしい?」
美由紀の声でサトシは我に返った。
「いえ。なんでもありません。だいじょうぶです」
「気分の方はどう?」
「もうなんともありません。起きてもいいですか?」
「だめだめ。精密検査をするから、それが終わるまでおとなしくしていてちょうだい。私がいいと言うまで安静にしてなくちゃだめよ」
「はい、わかりました」
+ + + + +
矢橋帰帆島では、例によって処理班によるマーラの後始末が行われていた。今回は山上機関部長と松下一郎顧問も現場に赴き、状況を確認している。
「松下先生。やっぱりそうですね」
「間違いないな。しかし、これは一体どう解釈したらいいのか……」
「マーラがまさかただの淡水クラゲだったとは……。こんな馬鹿な事があるんでしょうか」
「しかも、あの光による攻撃も『作為的』だったとすると、これは一体どう言う事なのかねえ……。いずれにせよ、今はデータを収集する事に全力をかけよう。……それから、今回私は自分の愚かさをつくづく実感したよ。遠隔操作、脳神経スキャンインタフェース、……一から出直しだな」
「まあ、その件は帰ってからにしましょう」
「うむ。そうだな」
+ + + + +
「各務原基地か。ああ、私だ。『E作戦』は発動の必要がなくなった。通常の警戒態勢に戻すように。そうだ。うむ。そうだ。それでいい」
自衛隊統幕本部司令室では、ジェネシスから送られてきた映像を見ながら、幹部が苦り切っていた。
「やれやれ。今回もこう言うオチか。しかし、まさかこんな事になろうとはな」
「うむ。怪物め。我々の切り札、『神経破壊パルスメーザー』と同じような事をやってのけるとは、恐るべき奴だ」
「まあ、『E作戦』を発動しないで良かったのか悪かったのか。どちらにせよ、ジェネシスのケツを叩いて情報を提供させんといかん。それを元にして、緊急に兵器の改良を進めるんだ」
「当然だな。とにかく、すぐに情報を提供させるように手を回しておこう」
+ + + + +
中央制御室に戻って来た由美子に、伊集院が、
「中畑君、沢田君が意識を回復したそうだが、容体はどうなんだね」
「はい。元気を取り戻したようです。念のために北原と共に精密検査を受ける事になっています」
「そうか……。しかし今回の件は、君も私もただでは済みそうにないな。作戦上やむを得なかったとは言え、始末書はたっぷり書いて貰わねばならんだろう。……無論私もだが……。まあしかし、沢田君が助かって何よりだった。今後の対策を急がねばならんな」
「はい。戦術主任としての責任を痛感しています。……自分の出所進退は心得ている積もりですが、せめてその前に、今後の戦術の改善に関してだけは、手がけさせて戴きたく存じます」
「まあ、こう言う困難な状況下で、全員がベストを尽くそうとしたんだ。君にだけ責任を押し付ける気は毛頭ない。第一、君をクビにした所で解決する問題でもあるまい。……とにかく今は全力で今回の戦いの問題点を洗い出し、改善を急ぐ事だ。まあ、しんどい作業になると思うが、頑張ってくれ」
「はい。了解致しました。御高配感謝致します」
「ああそれからもう一つ、中畑君」
「何でしょうか」
「君の気持ちはよくわかるが、パイロットの前では、極力蒼い顔は見せんようにな。……誰だって死にたくはないが、このままではみんな死ぬんだからな」
「!! ……はい、了解致しました」
+ + + + +
由美子は自室で塞ぎ込んでいた。
(「君の気持ちはよくわかるが、パイロットの前では、極力蒼い顔は見せんようにな。……誰だって死にたくはないが、このままではみんな死ぬんだからな」)
「…………」
元々由美子はこんな仕事に就くべき人間ではなかった。争い事が嫌いで、戦争を人一倍憎んでいる。おまけに涙もろく、他人の痛みを自分の痛みとして感じてしまう性格である。
その根本的な原因は、マハカーラで家族を全て失ってしまった事だった。更にその後の世界的な混乱と戦争で多くの人々が死んだ事が、それに拍車をかけたのである。
彼女がそもそもこの仕事に就く事になったのは、戦争が憎いだけに、戦争をなくすためには逆に深く戦争と軍事を研究する必要があると考え、大学卒業後アメリカへ留学し、本格的に軍事に関して勉強した経験があったからである。本来はその経歴を活かし、ジャーナリストになる積もりであった。
当然アメリカでは好奇の目で見られ続けたが、そこは意地で頑張り通し、優秀な成績を修めて帰国した。その経歴故、ジェネシス発足時に白羽の矢を立てられたのである。
無論最初は固辞したが、他に人材がいない上、人間との戦いではない、と言う事でやむなく引き受けた。しかし彼女自身、この任務には向いていない事は充分承知していたので、普段は必要以上に明るく振舞う事を無意識的に自分に義務付けていたのである。その反動で、「子供達を危険な目に遭わせてしまった」と考えると、いてもたってもいられなくなり、つい涙を流しそうになってしまうのであった。
(……やっぱり私には、この仕事は無理なのかな……。でも今更言っても仕方ないわ。……元気を出して頑張らなくっちゃ……)
+ + + + +
「はい。じゃこれで二人とも検査の方は終りね。夜遅くまでお疲れ様でした。今のところ、特に異状は見当たらないわ。特に沢田君の方は一時意識不明になってしまったから心配したけど、少なくとも今の状態を見る限りはこれと言って心配する事もなさそうね。でも、二人とも今夜は念のため、ここに泊ってちょうだい。いいわね」
サトシとリョウコは医療部長の木原美由紀の指示に対し、
「はい、わかりました」
「はい、わかりました」
と、ほぼ同時に返答した。それを見た美由紀は、微笑んで、
「あら、合唱するなんて、仲のいいこと。うふふ」
美由紀にからかわれて、サトシは少し赤面した。そっとリョウコを見ると、普通の表情をしている。
(北原って、てれないのかな……)
その時、リョウコが淡々と、
「先生、屋上にあがって、外の空気をすって来てもいいですか」
「いいわよ。沢田君もそれぐらいは構わないと思うから、屋上へでも行って気晴らししていらっしゃいな。ただし、これを身に着けておいてね」
と、言って、美由紀はサトシに腕時計のようなものを差し出した。
「なんですか? これは」
「腕時計型モニタよ。これを着けておくと、あなたの体調の変化が医療部のコンピュータでわかるの。弱い電波だから大丈夫。屋上にもアンテナがあるから受信出来るのよ。じゃ、ごゆっくり。と、言っても、適当に戻って来てね」
「はい、わかりました」
+ + + + +
屋上へ上がると、素晴らしく美しい夜空だった。まるで星が降るように見える。サトシは清々しい思いで一杯になった。リョウコも屋上のベンチに座って、ずっと星を見ている。その端正な横顔を見て、サトシはまたもやリョウコにレイのイメージを重ねている自分に気付いた。
「ねえ、北原、きいてもいいかな」
「なに?」
「今日の戦闘の時ね。マーラが発光した後で、しばらく呼びかけにこたえなかっただろ。あれ、一瞬気を失ったの?」
「それが……。一瞬気が遠くなったみたいなんだけど、すぐ気がついたの……」
「だいじょうぶだった?」
「うん。……でもね。あの時、たしかに少し変だった」
「なにが?」
「まるで、自分の中になにかすごく強いものが生まれたような気がして……。すごく勇気がでたの……。それで、中畑主任にあんなこと言っちゃったの……。ドッキングさせて、って……」
サトシは愕然とした。自分がこわごわ想像していた、「綾波レイがリョウコに乗り移ったのではないか」との思いに暗合していたからだ。
(そんな……。いや、偶然だ。そんなことがあるはずがない)
サトシはその思いを無理矢理振り払った。
「でも、そのために沢田くんを危険な目にあわせちゃったのね……。ごめんなさい……」
「ううん、北原のせいじゃないよ。僕が悪いんだ。気にしないでよ」
「ありがとう……」
サトシはリョウコを見た。薄明かりに照らされたリョウコの横顔は、見れば見るほど綾波レイに似ている。サトシはレイとの事を思い出して赤面してしまったが、幸いにして夜だったので、リョウコには気付かれなかったようである。
(だめだ。あれは夢なんだ。いくら今魔界と現実界の融合が始まっていると言っても、あんなことが起こるはずがない。あれは夢なんだ。あのことは忘れよう)
「でも、ふしぎね……。わたし、人付き合いがすごく苦手で、友達もいないの。……なのに、あなたといるとなんでも話せる気がするわ………」
「……あ、ありがとう。……でも、それは、一緒に戦った仲間だからじゃないかな……。僕なんか、……こんなだめな人間だし、……そんな、ねえ」
サトシはリョウコの言葉に急に照れ臭くなり、慌てて照れ隠しのセリフを吐いてしまった。しかしその時、レイの言葉を思い出し、
(そう言えば……、綾波も同じこと言って……、ええい、だめだ。忘れるんだ!)
サトシは自分で自分に言い聞かせた。
+ + + + +
「すみません。木原先生」
「あら、形代さん。どうしたの」
「沢田くんの、いえ、沢田くんと北原さんのことが心配で、ちょっとようすを、と思いまして……」
「あら、優しいのね。うふふ。二人とも検査が終わって、気分転換に屋上へ行っているわよ。あなたも行ってみたら」
「そうですか……。どうもすみませんでした」
アキコは心にチクリとする痛みを感じた。
(なんよ。さんざん心配かけたくせに、もう北原さんとイチャイチャしちゃって。もう心配なんかしてやらんけんね)
しかしそう思いながらも、アキコは自分の心の動きの不自然さを感じていた。
(……わたし、……なんでこんなに急に沢田くんのことが気になりだしたんじゃろ……。なんで急に好きになってしもうたんじゃろか……)
+ + + + +
「ねえ、北原」
「なに?」
「北原はさあ。星を見るのが好きなの?」
「うん」
「じゃ。プラネタリウムは?」
「大好き」
サトシは清水の舞台から飛び降りるつもりで、
「もしよかったら、今度の休みに、プラネタリウムに行かない?」
「ほんと? うれしいわ。ありがとう」
サトシはリョウコの顔を見た。特に表情が豊かと言う訳ではないが、何とも優しく微笑んでいる。
(これでいいんだ。綾波のことは、僕が北原を好きだから勝手に重ねて想像した夢なんだ。早く忘れよう)
サトシは「自分が急にリョウコの事を好きになった」と思い込んでいた。しかしその時のサトシには「その不自然さ」には考えが及ばなかった。
その時、アキコが階段を昇って屋上にやって来た。
(沢田くんと北原さん……、あんなになかよさそうにして……)
アキコは、サトシとリョウコが仲良さそうに話しているのを見て、そこに立ち止まってしまった。思い切って声をかけようとしたが、アキコにはどうしても出来なかった。
続く
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。
BGM:'アヴェ・マリア(カッチーニ) オルゴールバージョン 'mixed by VIA MEDIA
原初の光 第九話・同調
原初の光 第十一話・暗澹
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