第一部・原初の光




 レイは、暗黒の空間で、なすすべもなく膝を抱えて座っていた。

 あれから、青い光は現れない。

 どれぐらいの時間が経ったのか、いや、そもそも、ここには「時間」と言うものがあるのかさえ、今のレイには判らない。

「シンジ、くん……」

 時折シンジの名を呟いてみる。すると、シンジとの思い出が心に浮かぶ。

 …自分のアパートに、カードを届けに来てくれた時、裸のままでシンジの前に出てしまった自分……。

(…あの時、なんであんなこと、できたの……。今だったら、はずかしくて、とてもできないわ……)

 …「ヤシマ作戦」の後、自分に笑顔を教えてくれたシンジ……。

(…シンジくん、わたしに、笑顔をおしえてくれたのよね……。なんだか、とてもうれしかったな……。あ、わたし、こんなこと、思ってる……)

 レイは自分の心の変化に驚いていた。

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第七話・端緒

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 その時だった。

「あっ!!」

 思わずレイは叫んでいた。眼の前にまた青い光が現れたのだ。その中に、一人、部屋の中で座禅のような姿勢で座っているシンジの姿が見える。

「シンジくん! シンジくん!」

 レイは起き上がって身を乗り出し、青い光に掴みかからんばかりの体勢で叫んでいた。

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 サトシは自室でベッドの上に座り、マントラ瞑想を実践していた。最初に一言「オーム・アヴァラハカッ」と唱え、後はスマートフォンから流れてくる、「アヴァラハカッ」のマントラの波動を織り込んだヒーリング音楽のような曲にひたすら意識を集中すると段々意識が薄れて行く。その時、サトシの脳裏に突然少女の声が響いた。

(「シンジくん.シンジくん」)

「!!!!」

 サトシはぎょっとして我に返った。驚いた事に先日の戦闘中に聞いた北原リョウコの譫言の声によく似ているではないか。

(「シンジくん.シンジくん」)

 声は尚も呼びかけて来る。サトシは恐る恐る、心の中に響く声に、小声で、

「君はだれ? 僕は沢田サトシだ。シンジじゃない」

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(「君はだれ.僕は沢田サトシだ.シンジじゃない」)

「えっ!?」

 レイは驚いた。そのシンジは、自分の事を「さわださとし」だと言うではないか。確かに抑揚こそなく、小さいが、その声も、言葉の感じも、紛う事ない、レイが知っているシンジの声であり、言葉だ。そして、はっきりとシンジの心を感じる。

「いいえ! あなたはシンジくん! 碇シンジくんよ!」

 レイはそう訴えるしかなかった。

(「違う.僕はサトシだ.君は誰なんだ」)

「忘れたの!? わたしよ! レイよ! 綾波レイよ!!」

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(「忘れたの.わたしよ.レイよ.綾波レイよ」)

 その「あやなみれい」と名乗る少女の声は、小さく、抑揚もない。まさにこの前のリョウコの声と同じであるが、何かを強く訴えかけて来るような感じがする。

「あやなみ、れい? 知らない。僕は君なんか知らないぞ。君はなんだ。なんで僕に話しかけて来るんだ?!」

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「おねがい! 助けて! わたしたちを助けられるのはあなただけよ! わたしの心に反して、別のわたしが世界を滅ぼしたの! わたしたちの世界を救えるのはあなただけよ! おねがい! みんなを助けて!」

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「なに言っているんだ! なんのことかわけがわからないじゃないか! 大体、君はどこから僕に話しかけてるんだ。世界が滅んだ、ってなんのことだ? 世界が滅んだのなら、なんで君は僕に話しかけられるんだ?!」

(「わたしは一人で暗闇の中にいるの.あの時、エヴァ零号機で自爆して、そのあと、わたしの心はこの世界に吹きとばされたのよ.それからずっとこにいるわ.さっき、いえ、どれぐらい前かはわからないけど、かすかな青い光が見えたと思ったら、シンジくんが見えて、あなたのの心を感じたわ.その時、わかったの.全ては終わったのかも知れないけど、再生もできるかも知れない.あなたならみんなを助けられるわ.おねがい.シンジくん.みんなを.わたしを助けて」)

「えばぜろごうき? あやなみ、れい? いかり、しんじ? ……なにっ? まさか! おい、君は、まさか……」

(「ああ、青い光が消えて行くわ.もうだめなのね.もう、話しかけられな……」)

「おい! 待てよ! どうしたんだ。返事しろよ! おい、君!」

 サトシは、「あやなみ、れい」と名乗って、自分の心に語りかけてきた少女に、懸命に心の中で呼びかけたが、二度と返事は返って来なかった。

「エヴァ零号機、綾波レイ、碇シンジ……。そんなバカな!」

 サトシは全身から冷汗が流れ出すのを感じていた。

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「…………」

 青い光が消えた後、レイは再び膝を抱えて座り込むだけだった。

「うっ…、ううっ……」

 軽い嗚咽と共に、レイの眼から涙が零れ落ちる。

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「ここは、……どこだ……」

 シンジは、周囲に何もない暗黒の空間に一人漂っている自分を発見した。不思議な事に、周囲は真っ暗なのに自分の姿だけは見える。

「アスカ! アスカ! きこえる?! きこえたら返事してよ! アスカ!」

 呼べど叫べど、全く何の応答もない。シンジは混乱した。何も考えずにしゃがみこむと、足元には何もない筈なのに座れるではないか。

「一体どうなってるんだ。ここはどこなんだ……。おちつけ。おちつくんだ……。さっき青い光につつまれたと思ったら、ここに来てしまったんだ。

  …青い光。…青い光! そうだ! 見たことあるぞ! あの時だ。ジオフロントでエヴァに乗って使徒と戦った時、エネルギーが切れて、そうだ! さけんだんだ! 『動け!』、ってさけんだ時に見えた光だ!

 でも、どうしてなんだ。今度はどうしてこんなことになったんだ。……それに、アスカはだいじょうぶなのかな……。無事でいてよ! アスカ!」

 シンジは自分の置かれた状況に混乱しながらもアスカの事を案じていた。自分の生死については全く考えられなかった。

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「シンジ! シンジ! きこえる!? きこえたらへんじしてよ! シンジ!」

 アスカも、何もない暗黒の空間に漂っている自分に気付いた。

「あたし、なんでこんなところにいるの……。それに、なんでこんなかっこうしてるのよ……。ケガもしてないし……」

 何故か中学校の制服を着ており、おまけに怪我もしていない。しかも周囲は真っ暗なのに自分の姿は見える。アスカも何も考えずにしゃがみこんでしまった。

「シンジ……。どうしてるの……。生きてるの…。無事でいて…、シンジ……。ううっ……。ないちゃだめ……。がんばるのよ、アスカ……」

 アスカは泣きそうになる自分を必死に励ましていた。どう言う訳か、シンジの事で頭は一杯であり、自分自身の生死に関して考えるだけの余裕は全くない。そして、

「シンジ……」

 そう呟きながら、無意識的にシンジの顔を強く心に描いていた。

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 その頃アキコは、自分の部屋の机に向かって、タロット占いの練習をしていた。

 カードを手に取り、何度か繰って一枚抜き出し、机に置く。



 出たカードは「06:恋人たち」だった。そのカードを見ている内に、何故か右側のアダムの顔が気になったと思う間もなく、

「えっ?」

 アダムの顔が何故か沢田サトシに思える。更には、

「んっ?」

 左のイヴから何故か自分を連想してしまった。

「沢田、くん……」

 アキコは連想を中断し、自問自答した。確かにサトシは嫌いなタイプではない。寧ろ、どちらかと言えば好きなタイプと言ってもよかった。確かに普段は優柔不断で引っ込み思案なのかも知れないが、先日のサトシの活躍は、女の子として心惹かれる物がなくもない。

(わたし、沢田くんのこと、好きになっとるのかな……)

 アキコは椅子に座ったまま頬杖を突き、しばしサトシの事を思ってみた。

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 サトシはベッドの上に座り込んだまま、ずっと考え込んでいた

(…わからない。あれはどう言うことなんだ…)

 アニメの登場人物が自分に対して語りかけて来る等と言う事は、到底考えられる事ではない。しかし「魔物が堂々と出現する」と言う、現在の状況を考えれば、それと何か関連があるとも考えられる。

(…どうしたらいいんだろう……)

 その時、

トゥル トゥル トゥル

 突然部屋の電話が鳴った。サトシは一瞬固まったが、すぐに慌てて受話器を取り上げると、

『もしもし、沢田くん。わたし、形代アキコ。ちょっといい?』

 電話はアキコからだった。

「…ああ、形代さん。どうしたの?」

『ヒマだったんでちょっと電話したんよ。どう、がんばっとる?』

「うん。なんとか……。でも、なんで僕なんかに電話くれたの?」

『なに言うとるんよ。仲間じゃないの。うふふ。それに沢田くんは実戦では先輩じゃけんねえ。もっと元気にせんと。男でしょ。うふふ』

 サトシはアキコの明るさと積極さに少々圧倒され、赤面してしまった。

「あ、ありがとう。…でも……、なんだかそんな事言われると……、なんて言っていいのか……」

『あーあ。沢田くんらしいなあ。うふふ。ま、いっか。じゃ、また電話するけんね。沢田くんも電話して来てよ。待っとるけんね』

「うん……。じゃ、また」

 電話の後、さっきの事についてもう一度考えてみたが、どうにも疑問は拭い切れない。

(あれは一体なんだろう。どう言うことだろう。……綾波レイ、碇シンジ……、エヴァ零号機……)

 サトシは昔見たアニメ、「新世紀エヴァンゲリオン」の事を改めて思い出していた。最初に放送された当時は大評判になり、社会現象まで起こした程の作品だったらしいが、サトシが見たのは再放送であり、おまけにマハカーラの混乱がまだ尾を引いている時期だったために大した話題にもならなかった上、当時のサトシは小学校の低学年だった事もあり、2,3回見ただけで見なくなってしまったのだった。

 そのため、登場したキャラクターも、エヴァンゲリオンこそ何となく覚えてはいたが、他の登場人物に関しては殆ど記憶になかったのである。だから、「碇シンジ」と言う名も、「綾波レイ」と言う名も、最初は思い出さなかったのだが、「エヴァ零号機」と言う言葉を聞いた途端に「エヴァンゲリオン」の事を思い出したのである。

 とは言っても、サトシ自身は「新世紀エヴァンゲリオン」に関して大した知識がある訳でもなく、この時点でも何が何だか判らなかった。

(そう言えば、岩城先生が言ってたな……)

(「マントラ瞑想の実践中には、色々な幻覚を見たり、幻聴を聞いたりする事がある。ましてや、君たちも判っているように、現在は精神界と物質界の隔壁に穴が開いている状況だ。かなりおかしな事が起こる可能性がある。幻視や幻聴は、それ自体は何の意味も無く、害も無いが、それに囚われると有害だから、幻視や幻聴が起こっても気にせずに受け流す事だ。そのあたりは、もし起こったら相談してくれたらいいから」)

(まあ、気にしないでおこう。明日先生に相談すればいいことだ。もう寝よう)

 サトシは気を取り直して眠りに就いた。

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 その翌日の8月19日、サトシがジェネシス本部で岩城に昨日の事を話すと、

「…ふーむ、…つまり君は、マントラ瞑想の最中に、綾波レイと名乗る少女の声を聞いた、と、そして、彼女は君の事を碇シンジと呼んだ、と、更に彼女が言うには、自分達の世界は破滅したが、再生させる道があるかも知れないから、助けて欲しい、と、…そう言う事だな」

「はい。そうです。…それから、その子は自分の心が、自爆後、その世界に飛ばされて、今、暗闇の中にある、と言うようなことを言っていました」

「綾波レイ、碇シンジ、エヴァ零号機。これらは全て『新世紀エヴァンゲリオン』に登場するキャラクターだな。…まあ、僕が思うには、単なる幻聴だと判断するけどねえ。オクタヘドロンのモデルはエヴァンゲリオンだから、それでそんな事を連想してしまったんだと思うよ。それに、現在の情勢が情勢だからねえ、増してや、君たちは『魔法使い』としての素質を見込まれてここへ来た訳だから、そう言う現象が起こってもさほど不思議とは思わないな。まあ、余り酷いようだと、それなりの対策を打つけど、今のところは気にしない事だ」

「はい、わかりました」

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「ふぉっふぉっふぉっ。まだまだ青いのう。山上君も」

 伊集院と機関部長の山上は、大津市雄琴の山中に隠棲して研究を続けている中之島博士のもとを訪ねていた。中之島博士は白髪をもじゃもじゃと逆立て、牛乳ビンの底のような眼鏡をかけ、乱杭歯がニコチンに染まった、如何にも「マッドサイエンティスト」に見える人物である。

「青い、と仰いますと?」

「オクタヘドロンのプログラムには元々学習機能がある筈ぢゃ。増してや、現在の情勢を鑑みるに、『何が起こっても不思議とは言えない』のではないのかの。プログラムの変更ぐらいでうろたえるとは、まだまだぢゃよ。儂が思うに、もっと予想も付かない事が起こっても不思議とは言えないと思うがのう……」

 山上は、恐縮し、

「はあ……。さようで……」

「ま、これは冗談としてぢゃな。ガルーダのプログラムがどう変更されていたと言うんぢゃな?」

「具体的には『動作効率の向上』ですが、実は、昨日再点検しましたらもう一つ重大な事が判りました。ガルーダがマーラと接触した際、マーラのサイコバリヤーが消滅したのですが、どうも気になりまして、反重力システムの制御プログラムを再検査してみましたところ、反重力システムを応用してサイコバリヤーのようなものを形成出来るようになっていたのです。我々にとっては全く未知の技術でして、そのサイコバリヤーのようなものを利用してマーラのサイコバリヤーを打ち消したらしいのです。ただ、それはあくまでもサイコバリヤーを打ち消すためのもので、こっちがバリヤーとして使えるものではありませんでしたが」

「ふーむ。成程のう。動作効率の向上だけならまだしも、未知の技術とな……。そのあたり、松下は何て言っておった?」

「いえ、実は松下先生にはまだ話しておりません。本部長の指示で、直接博士に申し上げろ、と」

「ええ、博士。私が山上に直接指示しました。とにかく博士に申し上げるまでは誰にも話すな、と」

「ふぉっふぉっふぉっ。それはそれは光栄な事ぢゃが、もし松下に話しておれば、こうまでうろたえなかったかも知れんのう……。いや、案外、松下の事ぢゃから、もっとうろたえたかも知れんがのう……。ふぉっふぉっふぉっ。のう、伊集院君、ジェネシス本部のメインコンピュータの名前は何と言ったかのう。もう忘れたのかの?」

「はあ……。確か、『オモイカネ』と言う名前だったと思いますが……。山上君、間違いないな」

「はい。その通りです。でも、博士、それがこの件とどう関係が?」

「オクタヘドロンに搭載されているコンピュータはジェネシス本部のメインコンピュータ、『オモイカネ』と同じアーキテクチャで作られている事は当然知っておるの? そして、『オモイカネ』とは何を意味する言葉ぢゃな? 山上君。知っておるかの?」

「はあ、確か、古事記に登場する、『智慧』を司る神の……、あっ!」

「ふぉっふぉっふぉっ。やっと気付いたようぢゃのう。その通りぢゃ。『オモイカネ』は、史上初の、『基本プログラムのみ与えてやれば、後は勝手に自分でものを考えるコンピュータ』なんぢゃよ。ならば、ガルーダが勝手に自分のプログラムを書き換えたとて、別に不思議ではなかろ。無論、普段はその機能は動作しないようにしてあるがの、いざと言う時にはその機能が働くようになっているんぢゃよ……。しかしのう、山上君。確かに少々気になる点はあるのう」

「と、仰いますと?」

「うむ。儂の考えでは、動作効率の向上に関しては充分想定出来る事ぢゃが、未知の技術まで生み出したとなると、少々想定から外れる事ぢゃ……。まあしかし、少なくとも我々にとっては『悪い』事ではない。よってぢゃ。今回はその技術に関しては素直に『貰って』おきたまえ。そして、今後どのような事が起こるかに関しては充分注意しておく事ぢゃ。いいかの?」

「はい。了解致しました」

「ところで、伊集院君。マーラの撃退も大切な事ぢゃが、我々のもう一つの目的を、よもや忘れてはおるまいな? そちらの方はどうなっておるのぢゃな?」

「いえ……。それが、真に申し訳ない事ですが、正直申しまして、『魔界と現実界の分離』の方に関しては、今のところ五里霧中でして」

「いかんのう。君たちの本当の使命は寧ろそちらではないのかの。……それに関しては、伊集院君、君の戦略はどうなっておるのかね」

「現在の所、魔界と現実界の隔壁に開いた穴がどこにあるかをまず探さねばならないと考えておりますが」

「ふぉっふぉっふぉっ。伊集院君、君もまだまだ青いのう。ジェネシスの本部長がそんな事ではいかんのう」

「と、仰いますと?」

「いいかの。魔界には『場所』とか『時間』とか言う概念はないのぢゃよ。ならば、その『穴』と言うものは、今現在我々が存在しているここにも厳然と存在し、かつ、無限の過去から無限の未来に至るまで、宇宙の隅から隅まで探しても存在しない、と言う事も同時に成立するのぢゃよ。ならば、『どういう状態になった時に、我々は我々の能力の範囲で穴を認識出来るのか』、と言う事を寧ろ考えねばならないのではないのかの。つまり、極端な言い方をすればぢゃな、『魔界の穴』を眼前に呼び寄せて『原因を取り除く』事が肝要なのぢゃ」

 中之島の冷徹な指摘に、伊集院は一瞬言葉を失ったが、気を取り直したように言った。

「…しかし、博士。それは余りにも危険なのでは……」

「確かに危険かも知れん。しかしのう。現在我々は後手に回っている事を忘れてはならんぞ。祇園寺の行動がここまで影響を及ぼすとは考えてもおらなんだ事は事実ぢゃが、さりとて、我々が後手に回っているだけでは問題は解決せん。どこかで先手を取り返さんとのう。

 …のう、伊集院君、儂は天涯孤独の上、もう齢百を迎えんとしておる老いぼれぢゃ。例え、ここで世界が滅びようとどうと言う事はない。寧ろ、『世界の破滅』を見る事が出来る等と言うのも一興ぢゃろう。しかし、君たちは別ぢゃ。何としても生き延びねばならぬ。生物と言うものは、生きるためにはなりふり構ってはおれんのではないのかの。

 無論、何の勝算もなしに無謀な事を冒すのは愚行以外の何物でもなかろう。ぢゃが、危険であっても有効な戦術は、常に手段としては視野に入れておかねばならぬ。それでこそ戦略ぢゃろう。

 大体、現在我々はここでこんな話をしておるが、魔界と現実界の融合が進行している以上、我々の思考も敵に既に読み取られている可能性もあるのぢゃ。もしそうならば、小手先の戦術などは無用の事になるやも知れぬ。正面突破あるのみではないのかの。それを忘れてはならぬぞよ。

 それともう一つ、一番肝心な事はぢゃ、『この問題のそもそもの発端は日本にある』と言う事ぢゃ。祇園寺が日本で起こした行動が全世界に影響を及ぼしたのぢゃぞ。我々日本人はその責を負うておる事を忘れてはならぬ。ジェネシスが何故日本にあるのか、使いようによっては最終兵器ともなりかねないオクタヘドロンの実用化に関して、何故諸外国が黙認してくれているのかを、常に肝に銘じておかねばならぬぞよ」

 伊集院は蒼白な顔で暫く考え込んでいたが、顔を上げると、静かな、しかし冷徹な声で言った。

「わかりました。今の博士の御意見、肝に銘じておきます。早速、松下先生と岩城先生に相談し、『魔界の穴』を呼び出す方法の検討にかかります」

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 伊集院と山上は、帰り道の車の中で、真顔で話し合っていた。

「しかし、本部長。博士は何故我々にオモイカネやオクタヘドロンのコンピュータの事を我々に初めから言ってくださらなかったのでしょうか。あんな重要な事なのに……」

「うむ。私も博士の事は良く知らないのだが、松下先生に聞くと、昔から暗喩を多用する人だったらしい。言われてみると、博士の今までの話から、オモイカネが『ものを考えるコンピュータ』であった事は充分推理出来た事だ。今回のような非常時には困った話だが、あの人のキャラクターなのかねえ。……それと、あの人の口癖は、『まず、事実をあるがままに受け入れよ。さすれば、光明が射さん』だからねえ」

「どちらにせよ、博士の世間話や冗談には充分注意しておく必要はありますねえ。……ただ、今回の件も、『ブラックボックス』と考えておけば、別に損害がある話ではない訳ですから、それはそれでよいのかも知れませんが……。しかし、エンジニアとしては内心忸怩たる思いではありますが、言われてみると、全てのメカニズムの全ての部分に精通出来るかと言うと、それはやはり無理です。特に今回などは、我々の準備が不充分な内にマーラと戦う事になってしまったのですから、『簡にして要を押さえる』と言う発想で、『如何に使うか』と言う事に集中すべきなのかも知れませんねえ……」

 +  +  +  +  +

 その頃、サトシたち六人は訓練に励み、由美子は対マーラ戦術の検討と二日酔いに頭を痛め、山之内は情報の分析を他の男子部員に任せ切りにして女子部員にジョークを飛ばしていた。そしてその日も、翌日の8月20日も特に何もなく過ぎて行った。

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「ふっふっふっ。おぬしもなかなかのワルよのう」

「何を仰せになります。これもお殿様の御指導御鞭撻があればこそ。この雄琴屋金左衛門、ほとほと感服仕りまして御座います」

「何を言うか。この悪徳商人めが。わはははは。ところでそこに縛ってある女ども、どう始末を付けてくれよう」

「阿片漬けにして南蛮にでも売り飛ばしてやりましょう。それに関しては、全てこの雄琴屋にお任せを」

「まあしかし、これでこの件を知っておるのは我等二人だけ。万事うまく運んだな。わっはっは」

「そううまく行くかな」

「ああっ。貴様は徳田新之助! どうしてここへっ!」

「何奴じゃ! 雄琴藩主、中洲雄琴守の屋敷と知っての無礼かっ!! 曲者じゃっ! 出会え出会えっ!」

「雄琴、その方、余の顔を見忘れたか」

「何っ? こ、これは、上様、ううううっ」

「出入り商人と結託して抜け荷を働いた上、命を懸けて悪事を暴かんとした藩士を殺すとは以ての外の振る舞い。この場にて潔く腹を切れ」

「うううっ。ええい、上様とて構わぬっ! 切れっ! 切り捨ていっ!」

どかっ。 ばすっ。 ばきっ。

「成敗っ!」

「ぎゃああああああっ!」

 +  +  +  +  +

「あーあ。マサキ君も大したものねえ。ふふっ。こんな古い時代劇を完全に演じ切れるなんて、ホント、大したものだわ」

 8月21日は日曜日だったので、由美子はサトシ達を連れて、東映太秦映画村に遊びに来ていたのであった。みんなこんな事はなかなか経験出来ないので、コスプレコーナーで、「暴れん坊将軍」の1シーンを演じていたのである。

「いやいや。由美子さんもなかなかのもんでしたで。特に、あの御庭番のくノ一なんか、ピッタリ過ぎまんがな」

「へっへっへ、ちょっとしたもんでしょ。……ところで、どう、サトシ君の御感想は♪」

と、にっこり笑って話しかけて来た由美子に、サトシは、

「ええ……、僕は、こんなこと苦手で、みんなの足を引っ張ったようで……、ごめんなさい…」

と、真顔で答えた。それを見たサリナは苦笑し、

「何言うてんねんな。うふふっ。こんなん、遊びやんか。そんなに大袈裟に考えんと、アホになって楽しんだらええのよ。もっと気楽にしいな」

 タカシも汗をぬぐいながら笑い、

「僕は、こんなことは始めてでしたけんど、楽しめたです。時代劇は楽しかですねえ」

 アキコは少々残念そうな顔で、

「でも、なんで北原さんは来んかったんじゃろねえ。来たらよかったのに」

 由美子が振り返り、こちらも少し苦笑して、

「うん。誘ったんだけど、リョウコちゃんは、読みたい本があるからいいって言ってね。来なかったのよ」

「ふーん、そうじゃったんですか…」

 二人の会話を聞きながら、サトシは思った。

(北原……、どうしているかな)

「…………」(沢田くん……)

 やや遠い眼でリョウコの事を少し案じていたサトシは、自分を見詰めるアキコの熱い視線には気付かなかった。

 +  +  +  +  +

 翌日の8月22日の月曜日から学校が始まった。マサキだけは地元の人間であり、既に高校に入学していたのでその学校に行ったが、サトシたちはジェネシス本部のすぐ近くにある中学校に通い始めた。サリナも京都の中学生だったが転校して来た。

 ジェネシス関係者は全て本部に併設された住居に住んでいるので、この中学校はジェネシス関係者の子供のために、隣りの小学校と共に建設されたようなものだったのである。

 +  +  +  +  +

(あ、北原……)

 その朝の通学途上、リョウコの後姿を見たサトシは、勇気を奮って彼女に話しかけた。

「おはよう。北原」

 リョウコは振り返ったが、表情を変えず、

「おはよう」

「昨日どうしてたの……。けっこう楽しかったから、北原も来たらよかったのに」

「…うん。わたしはいいの。部屋で本読んでたから……」

 その時、「ヤマタノオロチとの戦闘」を思い出したサトシは、思い切って、リョウコに、

「ねえ、北原、…この前マーラと戦った時ね、『ドッキングして戦え』って言っただろ。あれ、どうしてあんなこと言ったの?」

 しかし、リョウコは訝しげに、

「?……。わたし、そんなこと言ったおぼえないけど……。気を失ってたから、わからない……」

「えっ!? ……そ、そうなの。じゃ、僕のかんちがいだね。変なこと聞いてごめん。……じゃあ」

 サトシは少し赤面して早足で学校に向かった。

(あんなこと、聞かなきゃよかった……)

 +  +  +  +  +

 1時間目の授業が始まり、担任の教師が、

「今日からみんなと一緒に勉強する、沢田サトシ君、北原リョウコさん、形代アキコさんです。みんな、仲良くして下さい。……では、あなたたち三人は席に着いて。これから授業を始めます」

 その時だった。

ウウーーーーーーーーーッ!!!

『本日午前8時50分、滋賀県大津市を中心とする近畿地方全域に、緊急避難警報が発令されました。住民の方々は、直ちに所定のシェルターに避難して下さい。繰り返します。本日午前8時50分、………』

 続く



この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。

BGM:'アヴェ・マリア(カッチーニ) オルゴールバージョン 'mixed by VIA MEDIA

原初の光 第六話・安寧
原初の光 第八話・激流
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