第一部・原初の光




 第一訓練室に集まった六人のパイロットの前で、由美子は訓練計画に関して一通りの説明の後、

「…と、言うことで、これから訓練を始めます。私は14時からの会議に出る予定になっているから、後は講師の先生に引き継ぐわね。

 このお二人はあなたたちの訓練をして下さる岩城健太先生と松下一郎先生。岩城先生は実践の訓練が主で、松下先生は理論の方が中心です。

 さっきも言ったけど、カリキュラムの方は松下先生の『理論』が1時間、その後、岩城先生の『実践』が1時間の予定になっています。みんながんばっててね♪ 

 じゃ、先生方、よろしくお願い致します」

と、言い終わると訓練室を出て行った。サトシ達六人がやや緊張した顔をしている中、由美子が岩城と呼んだ、40代半ばと思われる男が立ち上がり、口を開く。

「さて、と、言う事で、これから訓練を始めよう。私が先程紹介にあずかった岩城健太です。私はこれから隣りの道場の方で準備をするので中座させて戴きます。…では、松下先生、後はよろしく」

 そう言うと岩城も部屋を出て行った。その後、岩城と同年輩と思われる、松下と呼ばれた男が立ち上がり、

「では後は私が。…ええと、諸君。私が君達に『理論』の講義をさせて戴く松下一郎です。ま、最初はとっつきにくいかも知れないが、それ程難しい事はやらないから、気楽に構えて下さい」

 松下が手元のコンソールを操作すると、壁のスクリーンにオクタヘドロンの映像が映し出された。

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第六話・安寧

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「まずは、君達が操るロボット、オクタヘドロンについて説明しよう。オクタヘドロンとは、『八面体』の意味の英語だ。私の師匠の中之島浩司郎博士が基本部分と理論を開発し、命名した。身長は12メートル、通常体重は20トンだ。但し、体重に関しては後で説明する反重力システムとの関係で、あまり重要ではないがね。

 現在の所、一応8体完成している。ディーヴァ、アスラ、ガルーダ、ナーガ、ガンダルヴァ、ヤキシャ、キナラ、マホラーガだ。これらの名前は仏法の守護神、『八部衆』に因んで付けられている。

 全体のイメージは見て貰っている通り、昔のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のキャラクターをモデルにしている。但し、こちらの方がずっと小さく、やや肉太だ。実は、この大きさと形状は、これまた有名だったアニメ、『機動戦士ガンダム』のモビルスーツが参考になっている。

 余談になるが、21世紀に入った途端、二足歩行を可能とした人型ロボットが多く発表され、そこからロボット工学は格段の進歩を遂げたのは君達も知っての通りだ。その時、そのロボットを開発した技術者達の頭にあったロボットのイメージは、紛れもなく、『鉄腕アトム』だった。それと同じで、人間が操って戦うロボットの大きさと形状は、兵器としてのイメージが強い『ガンダム』が参考になっている訳だ。

 さて、話を戻そう。オクタヘドロンの体なんだが、基本的には特に余計な突起物は付いていない。但し、いざと言う時には両肩や両腕に武器を外付け出来るようにはなっている。また、胴体内部には空洞があって、操縦カプセルの前半部分がドッキング出来るようになっている。操縦カプセルをドッキングした時は、カプセルのエンジンも動力として使えるようになっているのだ。

 これらの8体の基本構造は全て同じ。違うのは塗装色と頭部の形だけだ。塗装は、全身を基本色で塗った後、首から肩にかけてアクセントカラーが施されている。色と頭部の形はそれぞれの性格を象徴しているのだ。

 ディーヴァの基本色は銀で首から肩にかけて黒のアクセントカラー。頭部はオートバイのフルフェイスヘルメットに螺旋状の溝を入れたような、つまり、太い針金で作ったスプリングの上部をすぼめたような形だ。頭頂部はやや突起している。正面の『ヘルメットの開口部』のシールド越しに内部を見ると、内部には色々と機械が入っているのが判るだろう。

 アスラは紺で首から肩は黄色、頭部は三角錐に三本の角を生やしたようなデザインだ。ちょうど『鉄仮面』のイメージだな。突起している側が顔の正面で、それぞれ三角形の中心部付近には楕円形の穴があいている。これはカメラのレンズのための穴でもあるのだ。

 ガルーダの色は黒と赤で頭部は軍用ヘルメットを被った軍鶏のようなイメージだ。嘴のような突起を持っている。

 ナーガは緑と紫で、頭部はガルーダと同じように軍用ヘルメットを被ったような形になっているが、ヘルメットの頭頂には角が1本あり、顔はドラゴンと言うか、恐竜と言うか、爬虫類のようなイメージだ。

 ガンダルヴァは赤と青だ。頭部はジェットヘルメットを被ってマスクを付けた戦闘機のパイロットのようなイメージだな。

 ヤキシャは黄色と黒だ。頭部は野牛のようなイメージと言うか、大きなタワー形のパソコンのケースを置き、左右に目玉のような半球と角を付けたような形だ。

 キナラは白と赤。頭部は基本的にガルーダと同じ形をしているが、ややおとなしいイメージに作られている。

 マホラーガは青と白だ。頭部は基本的にナーガと同じデザインだが、こちらのほうがややおとなしい」

 松下は一息置くと、スクリーンの映像を切り替えた。ロボットの内部構造が大映しになる。

「これらはロボットとは言うものの、厳密な意味ではロボットとは言い難い部分もある。基本的にはモーターのような動力機構は持たず、手足は電磁石を使った『人工筋肉』で動いている。電磁石を人間の筋肉と同じ様に配列し、コンピュータ制御で動作させる事により、人間のような動きを実現したのだ。

 そして、電磁石を動かすための電力は、反重力エンジンと一体となった反重力発電機によって供給される。オクタヘドロンが飛べるのは反重力エンジンのおかげなのだよ。

 反重力エンジンの原理を説明しよう。質量のある所には必ず重力が存在する。そして重力には、正の質量を持った物同士が引き合う性質がある。

 これは考えてみると実に不思議な話だ。電気でも磁気でも、プラスとマイナス、NとSが引き合い、同じ物は反発するのに、何故か重力だけは、同じプラス同士が引き合う。

 そこで中之島博士は考えた。『自然界では重力の他に、同じ物が引き合い、反対の性質を持つ物が反発する現象はないのか』、とね。そして色々と調べている内に、『螺旋』があるではないか、と言う結論に達したのだ。そこで我々は『重力エネルギーは螺旋状に回転しながら放射されている』と言う仮説を立てた。つまり、ネジのように、右回転している重力波は、同じ右回転の波動と重なって引き合うのだ、と考えたのだ」

 松下の講義を聞きながら、サトシ達はもう一つ良く判らないような顔をしていた。ただ、マサキだけは目を爛々と輝かせながら食い入るように松下の話を聞いている。

「…ならば、もし、何かインバータのような物を作って重力波を逆転させる事が出来れば、その物体は外から見た時、あたかもマイナスの質量を持っているように見えるから、地球の重力に反発されて飛ぶ事が出来る筈だ。

 次に、光と電波は全く違うものに思えるが、性質は良く似ている。同じように、重力波も光や電波と似たような性質を持つ部分がある筈だと考えた。ここから先は専門的になり過ぎるので省略するが、要するに、電気と磁気と光を使って、自分の周囲にフィルタのような物を作る。重力波がそのフィルタを通ると回転方向が逆になって、反重力が発生すると言う訳だ。

 ここまで来れば、それを応用して発電機を作るのは簡単だった。『反重力で飛び上がろうとする物体』がある。次に反重力システムを停止すれば、『物体は落ちる』。それを繰り返せば発電機を動かせる、と言う事だ。実際には物体は動かさず、全て電気的に処理して発電しているがね。

 さて、次は制御システムだ。オクタヘドロンはコンピュータで制御されているが、人間の意志をコンピュータに伝えるインタフェースには、『脳神経スキャンインタフェース』と称するものが使われている。つまり、搭乗者の脳神経とコンピュータをリンクさせるシステムであり、言わば、『テレパシー』なのだ。

 実はこのシステムには大きな問題が一つある。『感情移入』だ。『テレパシーで動かせる』、と言う事は、『ロボットが体、人間が脳』と言うような関係が『結果として』成立してしまい、パイロットの潜在意識に『ロボットが攻撃を受けると自分が痛みを感じる』と言う無意識の概念を植え付ける、と言う副産物を作り出してしまったのだ。『ロボットが攻撃を受けるとパイロットが痛みを感じる』と言うのはこの事なんだよ。

 この点に関しては現在も改良は続けられているのだが、まだ解決出来ていない。今の所は、パイロットに『過剰な感情移入をしないように訓練してもらう』しかないのだよ。申し訳ないが、『こんなもの、所詮はセンチメンタリズムだ。ロボットが攻撃されても自分に痛みが伝わる訳が無い』と割り切って貰う事が一番肝心だ。必ず改良するからそれまで辛抱してくれ。……さて、次は武器システムと防御システムだ」

 松下の話が『感情移入』の件に及んだ時、サトシは昨日の戦闘の事を思い出して少々恐怖感に襲われていた。そっとリョウコの方を見てみると、相変わらず無表情で講義を聞いている。その時、後に座っていた橋渡タカシが耳打ちして来た。

「松下センセイって、ものすごか『オタク』じゃねえ……」

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「さてこれから会議を始める。始めに情報担当の山之内君から、外国の情報に関して報告して貰いたい」

 伊集院の言葉に山之内は書類を手にして立ち上がった。

「南北アメリカ大陸諸国のリーダーたるアメリカの組織、名前は『カオス』と言いますが、基本的には国防総省が全て仕切っています。何しろ、世界最強の軍隊を擁するアメリカの事ですから、対怪物攻撃に関しても、基本的にはオクタヘドロンのような兵器はさほど重要視していませんね。

 但し、武器そのものは脳神経スキャンで操作出来るレーザーやメーザーを既に完成しており、通常の戦闘機や戦車にそれらの武器や反重力エンジンを追加する事で対応しようとしています。ただ、カリブ諸国の『ブードゥー教』の呪術師やインディアンの呪術師をメンバーに入れています。

 後、他国の状況ですが、ヨーロッパのリーダー格、イギリスの『円卓の騎士団』は、イギリス流の魔術の伝統がありますから、それをベースにして組織を編成していますが、これも実戦部隊はイギリス軍の中に設けています。

 北アジアのリーダー格、ロシアの『アレキサンドライト』は、経済情勢からオクタヘドロンのような新兵器を開発する余裕はありません。しかし、超能力に関する研究はソ連時代から盛んでしたから、『サイコウォリアー』と称する部隊を編成しています。

 南アジアのリーダー格はインドの『ソーマの杯』ですが、何しろインドは魔法の本場中の本場ですから、かなり優秀な呪術師集団を編成しています。魔法で怪物を弱体化させ、通常兵器で止めを刺す戦法ですね。

 西アジアはイスラエルの『ソロモンの指輪』が中心になっていますが、こちらはカバラの本場であり軍隊も強力ですから、インドと同じパターンですね。ただ、この地方はアラブ諸国とイスラエルの関係が微妙でして、アラブ諸国も独自にイスラム教神秘主義のスーフィズムをベースにした『エニアグラム』を組織しています。もっとも、具体的にはインドやイスラエルと同じく、『魔法使いと通常兵器』の組み合わせです。

 北アフリカのリーダー格はエジプトの『イシス』ですが、こちらも魔法の本場ですので、『魔法使いと通常兵器』です。後、アフリカ諸国ではなにしろ経済が経済ですので、各国が共同して呪術師集団を編成し、これも軍隊と共に『大地の渦巻』と言う組織を作っています。ただ、南アフリカが経済的に比較的余裕がありますので、なんとかやって行けそうですね。

 後、オセアニアは、オーストラリアの『深海の真珠』が中心になっていますが、魔法と言いますとアボリジニの呪術ぐらいしかないので、呪術師の確保にやや苦労しているようですね。

 次に、昨日襲来した怪物に関する情報は、全て国連を通じてオンラインで送信していますので、向こうでも分析をしている事と思います。…ええとそれから、先程までに入った情報を総合した限りでは、現在の所、他国には怪物は出現していません。以上です。…あ、それから、国連からの連絡ですが、怪物の呼称は『マーラ』、サンスクリット語の『悪魔』ですが、それで統一する事に決定しました」

 言い終わると山之内は着席した。

「うむ。判った。次に処理班からの報告を聞こう。山上機関部長、怪物の、おっと、あのマーラの分析はどうだったかね」

 山上は立ち上がり、

「信じられない話ですが、我々が『ヤマタノオロチ』と名付けたあの怪物、…マーラは、『単なる土』でした。鉄分こそ多く含んでいますが、どこをどう調べてみても、『タダの土』です。まるでミミズのような形をしており、動きもミミズそのものでしたが、分析結果からみる限り、生物ではありません。無機物でした」

「うーむ。成程。まあしかし、生物であろうとなかろうと、『悪魔』だからなあ……。確か、以前に仕留めた鵺は動物だったな」

「ええ、あれは『キメラ』生物でした。それぞれの部分はそれぞれの動物そのものであり、しかも、全体としての『能力』は到底動物とは言えず、まさに魔物でした。今にして思えば、ピストルの弾を受け付けなかったのもバリヤーでしょうかねえ」

「それから、ガルーダの損害状況はどうなっている?」

「昨日の戦闘で多少破損しましたが大した事はありません。通常のメンテナンスの範囲です」

「ガルーダのフライトレコーダに関してはどうだった? 何か変わった事はなかったかね?」

「フライトレコーダの記録に関しては、戦闘時に発生した電波障害に関係したと思われるノイズのせいで、かなりの部分が解析不能です。今後の事を考えればノイズ対策を強化すべきでしょう。ただ……」

「ただ、何だね」

「本部で受信した映像でも判るように、ガルーダとの戦闘時、マーラは明らかにバリヤーを張りました。あれが何かはまだ良く判りませんが、物理的な物とは思えません。この映像を見て下さい」

 山上が手元のコンソールを操作すると、昨日の戦闘の映像がスクリーンに映し出された。

「一応、機関部ではあれを『サイコバリヤー』と名付けましたが、そのバリヤーとガルーダが接触した時、その部分のマーラのサイコバリヤーが消失しています。ガルーダの反重力システムにそう言う効果があるのかどうか、調査の必要がありますね」

「よし、判った。では松下先生と一緒に研究を進めてくれたまえ。次に、中畑君。昨日の戦闘に関する分析はどうなっている? 戦術的には問題はなかったかのかね」

「これは戦術主任として恥ずべき事ですが、昨日の作戦は大失敗だったと思います。北原リョウコちゃん、いえ、北原を搭乗させたのは、素質的に彼女が一番適当と判断した他に、彼女の意志を尊重した結果ですが、彼女の体質的特性、…低血圧症が判明致しまして、それゆえに、戦闘中に失神したと思われます。偶然にも沢田サトシ君が搭乗し、結果的にはマーラを倒しましたが、今後パイロットの健康状態にはもっと注意を払わねばならないと思います」

「成程。で、どうなんだ? 北原君の健康状態の方は。これからの搭乗に耐えられるのかね」

「オクタヘドロンは基本的に遠隔操縦ですから、その範囲で搭乗する分には大丈夫だろう、と言うのが木原医療部長の見解です。…実はその点も問題点でした。彼女には遠隔操作を指示していましたが、最初の一撃の時、彼女はドッキングしたままで戦いました。その点は彼女に、『何故分離しなかったのか』を問い質す必要があると考えています」

「うむ。よかろう。まあ、本来なら私が一番の責任者としての責を負わねばならないし、戦術主任の君も無傷では済まない事だがな。…まあ、今回は『結果オーライ』と言う事で良しとしておこう。しかし今後は出来るだけ危ない橋を渡るような事がないように、充分作戦を練ってくれたまえ。では次の議題に移る……」

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 松下は講義を終え、

「…と、言う事で、本日の理論の講義は終わりにしよう。諸君、お疲れ様。何か質問はないかね。…ない、と。では5分休憩してから岩城先生の実践の訓練を受けてくれたまえ」

と、言うと、部屋を出て行った。入れ違いに岩城が部屋に入って来る。

「えーと、君達。5分後に実践の訓練を始めるから、トイレに行きたい人は今の内に行っておいて下さい」

 サトシとリョウコ以外の4人は席を立って部屋を出て行った。

「君達はいいのか? 訓練中はトイレに行きにくい事もあるから行っておいた方がいいぞ」

 松下に言われ、サトシは慌てて席を立つと、

「ぼ、僕は……、行ってきます」

 しかし、リョウコの方は、

「わたしはだいじょうぶです」

と、凛とした言葉で答える。

(北原って、なんかとっつきにくいな……。きのうはそう思わなかったけど……)

 サトシがトイレに向かうと、さっき部屋を出た4人がトイレを出てこちらにやって来た。マサキがニヤリと笑って話しかけて来る。

「おっ、センセイもおトイレかいな。そらやっぱり行っとくべきやでえ。なんせ、トイレは人生最大のいこいの場やさかいなあ。わはは。トイレなくしてなんの人生ぞ、ってな。…ところで、北原は来えへんのかいな」

「北原は……、北原さんは、いいって言ってた」

「ふーん。なんやあの子、とっつきにくいなあ。よーわからんなあ」

 マサキの苦笑に玉置サリナが、

「そやねえ。ウチもなんかようわからんわ。あの子。なんや暗いしなあ」

 形代アキコも、

「そうじゃねえ。わたしもそう思うけんねえ。でも、まあそれも北原さんの個性じゃけんね。なかよくしようよ」

 橋渡タカシも、

「ま、おかしな縁じゃけんど、僕らは仲間たい。みんななかよくやりまっしょ」

「…おっと、もうすぐ時間やんけ。先に行っとるわ」

 マサキ達は訓練室へ戻って行った。

(みんな明るいなあ……。僕、だめだなあ。もっとみんなにとけこまないと……。それにしても北原は僕以上に暗いのかなあ……)

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 サトシが部屋に戻って席に着くと、岩城が、

「さて、全員揃ったので実践の方の訓練を開始しよう。では隣りの道場へ移動する」

 全員は隣りの道場に移った。「道場」と言う言葉から何か厳めしい物を連想していたサトシは、そこに置かれている物を見て少々拍子抜けし、

(なんだ?……。これは……)

 そこにあるのは椅子だけだった。大きな部屋に椅子が置かれているだけである。ただ、奥の壁には8つ扉があり、小さな個室になっているようだ。確かに道場と言われれば道場なのかも知れないが、魔法の訓練や儀式を行う部屋だとはとても思えないす。マサキがすかさず、

「ありゃ? こらえらい殺風景でんな。先生、ここが『魔法』とどう関係しまんねん?」

と、素っ頓狂な声を発した。岩城は笑い、

「ははは、驚いたかね。君達に行ってもらう訓練は、根本的には2つしかない。占いとマントラ瞑想だけだ。

 占いについては、タロットカードを使ってもらいたい。

 で、マントラ瞑想だが、マントラについては、これからの君たちにとっては一番大切な概念なので、今から詳しく説明する。取り敢えずはそこにある椅子に座ってくれ」
 六人は椅子に腰掛けた。岩城も椅子に座って手に持ったリモコンを操作する。横の壁全体がモニタと化し、文字、記号、画像の類が表示された。

「まず、マントラとは何かについて説明する。マントラとは、極論すれば呪文の事だ。ただ、呪文と言うとやや聞こえが悪いので真実の言葉、即ち真言と言ったり神の呪文で神呪と言ったりするが、ここでは全てマントラに統一する。

 そして、これについて詳しい説明をすれば本当にきりがないので、根本的な部分だけ説明すると、マントラは『アヴァラハカッ』と言う言葉、取り敢えずはこれ一つだけ覚えておけばいい。多くのマントラがあるが、このマントラは全てのマントラの根本で、万能のマントラなのだ。真言密教では、全てのマントラは最終的にはこのマントラ一つに集約されると言っても過言ではないから、とにかくこれ一本で行けばいい。他に余計な事を考える必要はない」

 それで、具体的にはどうするか、だが、半跏趺座に座って、手は座禅のように組む。但し左手が下、右手が上だ。背筋を伸ばして目は半眼にし、約2メートル先の床を見る。そして、まず一度『オーム・アヴァラハカッ』と言うマントラを唱える。そして心の中で『アヴァラハカッ』と思い浮かべる。それだけだ。

 但し、この『アヴァラハカッ』と言うマントラについては絶対に理解しておかないといけない概念がある。少々難しいがこの後説明するのでしっかり覚えて欲しい。

 次に、タロットについて説明する。これも理論的な事や他のオカルト概念との関連について、色々とあるのだが、取り敢えず根本的な事を最初に言うと、タロットは『直感と連想』だ。それだけ覚えておけばいい。

 使うのは大アルカナ22枚だけでいい。逆位置も使わない。とにかく何か占いたい事を見つけ、それに対する回答を求めるつもりでカードを適当に引いたり並べたりし、絵柄から感じる印象を直感的に捉えると共に、絵を見て連想を広げて行けばいい。カードの意味も覚える必要はない。習うより慣れろで、取り敢えずカードを触ればいい」

と、言った後、岩城は微笑んで、

「まあ、これらの訓練をやれとは言っても、特に強制的に肩に力を入れてやるのではなく、楽な気持ちでやってくれたら良い。来週からは君達も学校だから、空いた時間に適当にやればいいんだよ」

 そこでマサキがおずおずと、岩城へ、

「あのー、すんまへん。そんな簡単なことでよろしいんでっか。僕は、魔法ちゅうたら、もっといかめしい儀式をやるんかと思うてましたけど、なんかあんまり単純明快すぎて、ちょっと拍子ぬけしましたんやけんど」

「うむ。こんなもんだよ。大体、複雑な物や厳めしい物を有り難がる『信仰道楽』のオカルトマニアが多いが、良く考えてみたまえ。そんな複雑な事を、普通の人間が毎日の生活の中で実践出来ると思うかね。出来ないわな。『実践不可能なものは無価値に等しい』、と言うのは私の師匠の中之島博士の言だけど、中々味のある言葉だろ。

 簡単に見えても、これらの訓練は全てツボは押えてあるものばかりだ。取り敢えず実際にやってみる所からスタートしてもらおう。追々説明して行くから。では、さっき言った、マントラの根本的な部分から説明しよう。まず、これを見てくれ」

と、言いながら、岩城はレーザーポインタでスクリーンの一部を示した。



「これが、『アヴァラハカッ』だ。梵字で書くとこうなる。アルファベットで書けば、『a va ra ha kha』だ。これは何を意味しているかと言うと、密教の宇宙観である、五大元素を象徴している。五大元素とは、地、水、火、風、空、の事で、密教ではこの5つの元素から宇宙の全てが成り立っていると考えている。

 元々は地水火の三大元素とか地水火風の四大元素からスタートした概念だが、密教ではそれに空を加えて五大元素とした。更に識、意識の識だが、これを加えて六大元素とする事もあるが、今は『アヴァラハカッ』との関係で、我々は五大元素を基本としている。

「日本ではこれを昔から『アバラカキャ』と発音している。どうして発音が変わったのか説明すると、推定だが、古代日本語ではハヒフヘホはパピプペポであったので、古代の日本人はおそらくハヒフヘホと言う音をうまく認識できなかったのだと思われる。それでハヒフヘホはカキクケコに変化してしまった。次に、『アバラハカッ』の『カッ』だが、これはどちらかと言うと、喝を入れると言う言葉があるが、この『喝』に近いような音で、喉から吐き出すように『カッ』と発音する。これも日本人は上手く発音できないので『キャ』に変化したと思われる。次に、これを見てくれ」



 これは、日本では『アビラウンケン』と読んでいるが、できるだけ正しい発音に近づけようとすると、『アヴィラフームカハーン』となる。真言密教の根本仏、胎蔵界大日如来のマントラだ。さっきの『アヴァラハカッ』と見比べてくれ。梵字の基本的構成は同じだろう。つまり、『アヴィラフームカハーン』とは、五大元素の根本の象徴なのだよ。このマントラは真言密教の根本経典の一つ、大日経に出てくるのだが、そこには、『ノーマハサマンタブッダナム・アヴィラフームカハーン』と書かれている。この、『ノーマハサマンタブッダナム』は、これまた日本では音が変化して、『ノーマクサーマンダボダナン』と発音されている。で、これは『全ての尊い諸仏に帰命する』の意味であり、単に『帰命する』の『オン』に置き換えられた。それで、日本では一般的に胎蔵界大日如来のマントラは『オン・アビラウンケン』と唱えられている。この『オン』も、できるだけ正しい発音をしようとすると、『オーム』になる。ここで考えてみよう。マントラはいわば呪文なのだから正確に発音しないとダメなのではないかと言う疑問が湧く筈だ。しかし日本では古来より変化した音で問題なくマントラを唱えている。これはどう言う事か。ここから先の話は中之島博士の独自研究に基づく理論で、真言密教で一般的に認められたものではない。しかし、我々はこれが正しいと考えている。そう断った上で説明すると」

 岩城はまた一息置き、

「結局つまるところ、マントラは波動であって、その波動を心の耳で聞く事が根本である、と言うのが我々の考えだ。だから、マントラの発音を絶対視する必要はなく、もっと言えば必ずしも唱えなければならない訳でもない、と言う事だ。そして、『アビラウンケン』が胎蔵界大日如来を象徴するマントラなら、その波動を使う場合、更に根源に遡った『アヴァラハカッ』の方を使うべきだ、と、中之島博士は考えた」

 この岩城の言葉に六人は少なからず驚いた。無理もない。「呪文は必ずしも唱える必要はない」と言うのである。まさに意外そのものであった。岩城は続けて、

 だから、マントラの波動を波動としてコンピュータに発生させ、それを耳から聞けば良い、と言うのが我々の現在の方針だ。コンピュータやスマートフォンが無い時は、心の中で『オーム・アヴァラハカッ』と一回唱え、それを呼び水にしてマントラを思い浮かべる。ある時は『オーム・アヴァラハカッ』と一回唱えた後、波動を織り込んだ音を聞く事に集中すればいい。そして、さっきの梵字、あれは五大元素の象徴として、心の眼で見ればよいのだが、流石に梵字を象徴として使うのもやや煩わしいので、これは五大の象徴を記号にし、それを心の眼で見るように思い浮かべればいい、と言うやり方にした。で、その象徴だが」



「このように、黄色の方形、水色の円形、赤色の三角形、灰色の和集合記号、青色の積集合記号、に定義した。左から地、水、火、風、空、だ。色を付けにくい時は単に『□○△∪∩』で構わない。紙に書いたりパソコンやスマートフォンの画面に表示する時はそれでいい。で、これは横に書いたが、縦書きにする時は、下から地水火風空の順だ。取り敢えずはこれを根本として覚えておいてくれればいい。重要な点の説明は以上だ。では、実際にやってみよう」

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 翌日、政府は非常事態宣言を行い、マーラが襲来した時の備えとしての本格的な防災・避難態勢を発表した。幸いにして、「マハカーラ」と言う大災害を経験した国民が多かったため、今度の事態も比較的冷静に受け止めた国民が多かったのは皮肉ながら不幸中の幸いだった。マハカーラ以降、首都の京都を始めとして、各都市部にはシェルターが多く建設されていた事もあり、避難態勢は比較的整っていたのである。マーラ襲来の際は自衛隊とジェネシスが緊急出動する事も正式に発表された。

 一方、ジェネシス本部は相変わらず慌ただしかった。この日、サトシたち六人は朝から訓練に追われていたし、伊集院を始めとする職員達も忙しく動いていた。しかし幸いにしてこの日はマーラは出現せず、慌ただしいながらも一日は暮れて行った。

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「さーて、終わった終わった♪ 今日はうれしい飲み会だ、っと♪ おまけに五山の送り火も見られてラッキー、っと♪」

と、由美子がウキウキと退出しようとした時、

「おうおう。きょうはずいぶんとゴキゲンだねえ。おデートかな」

 振り返ると、山之内が微笑している。由美子はムキになって、

「あんたなんかに関係ないでしょっ! 大体ねえ。私はあなたとはもうなんの関係もないのよっ! いつまでもなれなれしくしないでよっ!」

「おうおう。元気のいい事で。ふふっ。まああんまり飲み過ぎないようにな。何しろ君は酒癖が悪いからな。わははははっ。じゃこれで失礼。今日は情報部で僕の歓迎会をやってくれるって言うんでね。これから祇園なんだ。じゃあね」

「なんって奴! ほんっとにもう。最っ低ねっ!」

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「うぉ〜い。もーいっぺー飲ませろ、ってんだあ。な〜にが『マーラ』よお。ヤマタノオロチがなんぼのもんじゃいっ! こっちにゃあなあ。オクタヘドロンっつー、つえー、つえー味方がいるんじゃいっ! ひっく、マーラでもヤマタノオロチでも持ってこいっ、つーんじゃあ」

 完全に出来上がってクダを巻いている由美子を見て、木原美由紀は思わず苦笑を漏らした。

「あーあ。またはじまった。ふふっ。しょうがないわねえ。飲み過ぎるとこれだから。……ちょっと。由美子、しっかりしなさいよ」

 細川治美も苦笑して、

「まあ、中畑さんも大変な仕事を引き受けたからねえ。すごくストレスが溜まってるんでしょ。たまにはいいじゃないの。そんなに大声上げている訳でもないんだから」

 京都御所付近のビルの21階にある瀟洒なスカイラウンジのカウンター席に、ジェネシスのメンバーの中畑由美子、木原美由紀、細川治美、末川真由美、加藤由美、そして情報部の上野麻里が座っていた。窓の外には京都五山の送り火が燃えている。本来なら五山の送り火の日は予約で満席になり、到底入れる店ではないのだが、送り火が今日に延期になったので、たまたま予約していた由美子たちは入れたのである。無論の事、流石にこの日は満席だった。

 加藤由美が上野麻里に向かって、

「ねえねえ。麻里さん。新任の情報担当の山之内さんねえ。どんな感じの人? けっこう素敵な人にみえるけど。あたしねえ、ちょっとチェック入れてるんだ」

「うーん、なんて言うか、ちょっと見には、すごく軽い感じねえ。でも、すごい物知りだし、ジョークはちょっとキツいけどうまいし、ルックスもなかなかだもんねえ。情報部の女性陣には受けはいいわよ」

「へえー、やっぱりアメリカ帰りは違うのかなあ。でも情報部はいいなあ。大体、ウチの部署にはいい男なんかいないもんねえ。あーあ、なんでこんな部署に入っちゃったのかなあ」

 それを聞いた木原美由紀は、笑って、

「なに言ってんの。部署なんか気にしないでゲットしに行けばいいじゃないの。うふふっ」

 その時、ステージの方から哀愁を帯びたサックスのメロディーが流れて来た。

「ずいぶん哀調を帯びた物悲しい曲ねえ。なんて言う曲かしら」

 末川真由美が呟きながらステージの方を見ると、サングラスをかけ、立派な髭を生やしたサックス奏者が演奏していた。

「あら、あのサックス奏者の人、機関部長の山上さんにそっくり♪」

 真由美がちょっと驚いたような笑い声を上げ、カウンターに突っ伏している由美子以外の四人は一斉にステージの方を見た。

「ほんとねえ。サングラスと髭をとったらそっくりだわ」

 治美も笑った。その時、

「この曲は、マル・ウォルドロンの『レフト・アローン』と言う曲さ。ビリー・ホリデーの追悼の曲としても有名なんだな」

と、カウンター越しに聞こえて来た声に、四人が一斉に振り返ると、山之内が微笑を浮かべて立っていた。バーテンのスタイルが板に付いている。麻里は驚き、

「あらっ! 山之内さん!」

 山之内はニヤリと笑った。麻里が続ける。

「山之内さん! なんでこんなところにいらっしゃるんです? 今日は祇園で歓迎会じゃなかったんですか?」

「うん。歓迎会はさっき終わってね。で、ちょっとここに寄った、って訳さ。この店のマスターは僕の親友でね。昔はよくここで手伝いをしたもんだよ。今日は満席だったんで帰ろうとしたんだけど、マスターにそそのかされて、『昔取った杵柄』ってヤツさ。ふふふっ。どうだい。似合うかな」

 それを受け、由美がにこにこしながら、

「よくお似合いですよ。山之内さん! はじめまして! 私、通信部の加藤由美です。よろしく♪」

 山之内は魅力的な笑顔で由美に微笑み、

「ああ、あなたが評判の通信部のベッピンさん、加藤由美さんだね。よろしく」

と、言った後、突っ伏している由美子を見て苦笑し、

「あーあ、相変わらずだなあ……。おい、しっかりしろよ」

と、肩を揺すぶった。

「…なーによー。さけもっとお……」

と、由美子が顔を上げ、山之内と目が会うと、

「?………」

 理解不能の事態に、由美子はしばし「石化」した。

「ふふ……」

「…………」

 苦笑する山之内と呆気に取られる由美子。

 暗い店内で、二人の横顔を五山の送り火が微かに照らしていた。

 続く



この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。

BGM:'Moon Beach ' composed by VIA MEDIA(arranged by Singer Song Writer(有限会社インターネット))

原初の光 第五話・涼風
原初の光 第七話・端緒
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