第一部・原初の光
ここは、何もない、暗黒と静寂だけの世界。
綾波レイは、一人そこにいた。
(ここは、どこなの……。わたし、どうして、こんなところにいるの……。わたし、生きてるの……。死んでるの……)
シンジを救うため、自爆して死んだ筈なのに、ここにいる。
使徒に取り憑かれ、何もかも奪われた筈なのに、意識がある。
(まっくらで、なにも見えない。……えっ!?)
その時レイは、遥か彼方に微かな光の点のようなものがある事に気付いた。そちらの方をじっと見詰めていると、何と、その光の点は段々大きくなって来るではないか。
(あの光は、なに?……)
暫くすると、その光の点はレイの頭上までやって来た。そして、その微かな光は、柔らかく広がって周りをほの明るくし、暗闇の中にレイの姿を浮かび上がらせた後、薄まるように消えて行った。
(あ、……これは、なぜ?……)
その微かな光の中で、レイは自分が中学校の制服を着ている事に気付いた。プラグスーツで零号機に乗り、自爆して死んだ筈なのに、である。
(どうして、なの?……。ここは、どこなの?……)
その時レイは、妙なことに気付いた。
(わたし、なんでこんなに悲しい気持ちなの……。前のわたしだったら、悲しいって気持ち、よく分からなかった。碇くんを助けるために死んだ時に、初めて悲しい気持ちになったけど、今みたいな気持ちじゃなかった……。わたし、もっと心が冷めてたはずよ。碇くんと一つになりたいと思った時も、そうは思っても、もっと心は冷めていた……。なのに、なぜ今はこんなに悲しいの。これが本当に悲しいってことなの……)
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2016年1月初旬頃。正確な日時は不明。
そこはかつて第3新東京市と呼ばれていた場所である。
「『人類補完計画』=『サード・インパクト』」が発動された後、全ての「ヒト」はオレンジ色のLCLに還元され、原始の海に溶け込んでしまっている。しかし、その渚に、ヒトとしての形をとどめた一人の少年と一人の少女がいた。少女の左腕には包帯が巻かれており、右眼には眼帯をしている。
空には赤い帯が掛かっている。
巨大な「少女の頭の形をした物体」の残骸も見える。
少し離れた渚には、十字架の形になった「トカゲのような怪物」の残骸が数体。
世界の終末とはこのような光景なのだろうか。
少年は涙を流しながら、少女に馬乗りになってその首を締めている。しかし、その腕に力を込めようとしても、どうしても込められない。
少女は抗う事もせず、少年のなすがままになっている。しかし、やがて少女はその右腕をゆっくりと持ち上げ、少年の頬を撫でた。
少年は少女の首から手を離し、激しく鳴咽を始めた。少年の涙が少女の頬に落ちる。
少女はぽつりと呟いた。
「きもちわるい……」
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第三話・無常
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「シンジ、あんた、……なんであたしを殺そうとしたの……」
首に痣を残したまま、惣流アスカ・ラングレーは、渚で膝を抱えて座り、俯いたまま彼女の左で泣きじゃくっている碇シンジを横目で見た。
「ううっ……、うっ……、ええっ……、うううううっ……」
シンジは何も答えられずに、ただ泣いているだけである。
「あんたが補完を拒否してここへもどるのはあんたの勝手だけど……、なんで、あたしをつれてきたのよ……」
「……ううっ、……ううっ」
「なにも答えないの……。しかたないわね……」
「…………」
「あたしたち……、ここにいても、ただうえ死にするだけね……。ほかにはだれもいない……。死の世界だもんね……」
「……ごめん。……アスカ……」
「またあやまるだけなの……。やっぱりあんたはあんたね……。みんな溶けて一つになって……。その中であんた、なにかんがえてたのよ……。
お母さん、ファースト、ミサト、…それから渚カヲルもよね。……みんなをオカズにすることばっかりかんがえてただけでしょ……。それにあきたから、あたしのことを思い出したわけ?
そしたら、あたしとあんただけが人間のかたちをとりもどして、ここに来たというわけ?
……まあ、もうどうでもいいわ。…あたしは弐号機で戦って、トカゲに食い殺されたんだもんね…。その時点であたしは、アスカはおわったのよ……。
ここにいるあたしはもう、セカンドチルドレン、エヴァンゲリオン弐号機パイロット、惣流アスカ・ラングレーじゃないわ……。あんたの自由になる人形だもんね…。殺すなり、犯すなり、オカズにするなり…、好きにすれば……」
「アスカ……」
「でも、こうなってしまったら、なんかサバサバしたわ。むかし、本で読んだんだけどさ、『人に欲望があるのは欲望の対象があるからであって、なにもない所には欲望もない』んだってさ。……そのときはなんのことかわからなかったけど、今となってみると、なんとなくわかるわね……」
その時、シンジが突然大声で、
「…なんで、…なんでアスカを殺そうとしたのか、わからないよ……。わからないよ! 僕は最低の人間なんだ! ずるくて、ひきょうで、おくびょうで、どうしようもない奴なんだ! アスカ! 僕を殺してよ! こんな自分のままで死んで行くのはいやだ! アスカに殺された方がよっぽどいいよ!! おねがいアスカ!! 僕を殺してよ! 僕を殺して助けてよ!!」
それを聞いたアスカは顔色を変え、
「なに勝手なことをいってるのよ!! なんであたしがあんたを殺してやらなきゃならないのよ! そんな祝福をあんたにあたえてやるなんてまっぴらよ! あんたなんか、うえ死にするまで自己嫌悪の中で苦しんだらいいのよ! あんたって、ほんとにきもちわるいやつね! だいっきらい!」
「…………」
「……さっきね。あたしがあんたに、『なんで殺そうとしたの』ってきいたでしょ。……もしその時あんたが、『アスカを殺して僕も死ぬつもりだった』って言ってくれたら、……あたしはあんたのことをすべてゆるそうと思ってたのよ。
人として生きのこったのはあたしとあんただけ……。『人として、アスカといっしょに死にたかった』って言ってくれたら……。でも、あんたはそれさえも言ってくれなかった……。
だけど、もういいわ……。もうなにを言ってもしかたないもんね……」
「…………」
「もうしかたないわ……。中国ではこういうときのことを『メイファーヅ』って、言うんだってね……。ほんとに、もうどうしようもないわ。ふたりでうえ死にしましょ……。これじゃ、たべるものもみつかりそうにないしね……」
「…………」
アスカは全てどうでもよくなり、絶望の中で、
「シンジ……。だいてよ……」
「!! アスカ!……」
シンジは驚きの余り、それだけしか言えない。
「さむいの……。だいて……。キスして……」
そう言いながら、アスカは妙に醒めた眼で自分自身を見ていて、
(なんであたし、シンジにこんなこと言うんだろ……。だいっきらいなはずなのにさ……。でも、言ってしまったら、なんかほっとしたみたい……)
極限状況の中で、自分のプライドさえもどうでもよくなったせいか、アスカは、奇妙に幸せな気持ちになっている自分に気付いた。
(いったい、どうしたんだろ……、あたし……、やけくそなのかな……。でも、もう、どうでもいいわ……)
シンジは混乱の極致にあった。何も考えられず、どうしていいかも判らない。そっとアスカの方を盗み見ると、アスカはシンジの方を向いて目を閉じていた。眼帯をしていない方の眼からは一筋の涙がこぼれている。シンジは頭の中が真っ白になったまま、アスカを抱き寄せて唇を重ねた。
「…………」
「…………」
アスカを抱きしめると、そのふくよかな胸のふくらみがシンジの胸元で柔らかくつぶれた。アスカの胸のぬくもりが薄いプラグスーツを通じてシンジの胸にはっきり感じられる。シンジの心臓は激しく鼓動し、全身の血は激しく流れた。シンジは、「こんな状況なのに、自分の肉欲がむくむくと首をもたげて来る」のをはっきりと自覚し、自分を嫌悪した。
「…………」
「…………」
ややあってシンジは重ねた唇を離した。その途端、シンジは自分の余りの情けなさに思わず涙をこぼし、
「アスカ……、ううっ」
「ううっ、ぐすっ、……シンジ……」
二人はただ泣きながら、互いのぬくもりを求め合って抱き合うしかなかった。
(こんな時なのに、僕はアスカに欲望を感じている……。僕はなんていやな人間なんだ……。本当に最低だ……。僕は自分の勝手でここへもどって来た……。アスカには関係なかったはずだ。……なのに、最後の瞬間、アスカのことを考えたから、アスカをつれて来てしまったんだ……)
シンジが、これほどの絶望的な状況下でも消えていない自己の肉欲を素直に自覚した時、
(あれっ! なんだ……。いまの感覚は……。青い光みたいな……)
シンジは、自分の頭の中に一条の青い光が走ったような妙な感覚を覚えた。その時、不思議な事に、心の中に「開き直りのようでそうでもない、奇妙な勇気」が湧き起こるのを感じ、
(でも……、どうせいやな人間なら、とことんアスカにきらわれてもいいから、自分の気持にすなおになって、やるべきだと思ったことをやってから死のう。いまさらきどってもしかたない……。僕は僕でしかないんだ……。自分を美化するためにあやまるのはもうよそう)
シンジはアスカから離れて立ち上がり、蛮勇を振るって言った。
「アスカ……」
「なによ……」
「食糧と薬をさがしに行って来るよ」
「えっ!……」
「たとえこのままここで死ぬにしてもさ、なにもしないで死ぬのはいやなんだ。いまさらアスカにゆるしてもらおうとは思わないけど、アスカがけがをしたまま苦しんで死ぬのは見たくないよ。……いままでの罪滅ぼしになるとは思わないけど、僕にできることはなんでもするよ……」
「シンジ……、あんた……、あんた……」
「アスカはここでまってて。動いちゃだめだよ。食糧と薬が見つかったらもどって来るから。……それから、寝る場所も探さなくちゃ……」
「シンジ……」
淡々と、しかし、今までにない様子で語るシンジに、アスカは今にも泣き出しそうな顔で、
「シンジ……、あんたバカよ……。でも…、でも…、ううっ……。あたし……、あたし……、うれし……」
その時だった。
「うわっ!」
「きゃあああっ!」
突如二人の周囲を眼も眩む程の青い光が包み、シンジは思わず目を閉じた。恐る恐る薄目を開けると、周囲はこの上もなく美しいサファイアブルーの光に包まれている。見れば、アスカの姿は次第に消滅して行くではないか。シンジは驚きの余り、
「アスカ!!!」
「シンジ!!!」
薄目を開いたアスカの片目に映ったシンジの姿も消えつつあった。
+ + + + +
+ + + + +
「どうして、こんなところに……」
レイは、何もないはずの空間で、膝を抱えて座っていた。思わず言葉が漏れる。
「わたし、死んだんじゃなかったの……。それなのに、どうして……」
同じ言葉を何度も繰り返し、自分に問いかけてみるが、無論、答が得られる筈もない。思わず頭に手が伸び、髪をまさぐる。そして、またもや無意識的にその手を下ろし、掌を見た時、
「!!!!」
レイは絶句した。何本かの髪が抜けて指に絡み付いていたのだが、その髪の色が、薄い茶色だったのである。
「どうして!?」
思わず叫び、もう一度頭に手をやって何本か髪を抜き取る。
「やっぱり!!」
今抜いた髪を改めたが、やはり間違いない。薄茶色である。
「なんで、わたしの髪が……」
レイが、自分の置かれている状況を全く理解出来ないまま、再び眼を伏せて考えようとした時、
「ああっ!!」
突然、目前に青い火の玉のような光が現れた。
「これは!!??」
レイは思わず身を乗り出して叫んでいた。信じ難い事に、自分の目前に現れた青い光の中に第3新東京市の様子が映像となって浮かんでいる。
……自分の死後、シンジの前に現れた「三人目の綾波レイ」……。
……クローン製造工場で自分の「分身」を「破壊」するリツコ。それをなすすべもなく見詰めるシンジと激怒するミサト……。
……廃人と化したアスカ。それに代わって現れた渚カヲル……。
……シンジとカヲルの接近と確執。初号機と弐号機の激闘……。
……ゼーレと日本政府による、ネルフ本部への攻撃……。
……みんなが死んでいく中、廃墟と化した第3新東京市で、9機の量産型を相手に1機で戦う弐号機……。
……出撃はしたものの、何もせず、何も出来ずに量産型と共に天に昇ったシンジと初号機……。
……リリスや渚カヲルと一体化して巨大化し、人類を全て溶かしてしまった「三人目の自分」……。
これらの映像が、恰も蜃気楼の如く、時々浮かんでは消えて行く。この間、どれぐらいの時が流れたのか、レイには全く判らなかった。そして、遂に……、
……誰もいないオレンジ色の海の渚で、人の形を取り戻した後、アスカに馬乗りになってその首を絞めるシンジ……。
「シンジくん!!!!!!」
冷静な筈のレイが、顔色を変え、心の底から叫んでいた。それも、いつも呼び慣れていた、「碇」と言う「名字」ではなく、「シンジ」と言う「名前」を……。
レイの叫びが、こだまする筈のない、何もない空間に響き渡り、そして消えて行く。
そして、それに合わせるかのように、青い光と映像も消えてしまった。
「…………」
レイはなすすべもなく、再び膝を抱えて座り込む。
「…………」
一筋の涙がレイの頬にかかっていた。
(わたし、泣いてるの……。どうしてこんなに心が動くの……)
+ + + + +
+ + + + +
8月16日7:00。
件の家の電話が鳴った。妻が受話器を上げる。
トゥルルル トゥルルル トゥルルル
「はい。白川です」
『もしもし、沢田ですが……』
「ああ、サトシちゃん! いま京都に来てるんやろ。どこにいてんの。迎えに行ったるえ」
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「いえ……。いま京都駅です……。長野へ帰ろうと思って……」
『なに言うてんのん。せっかく来たんやさかい、よって行きいな。近鉄で来たらすぐやんか。どっち側やの? 八条口?』
「ええ……。八条口ですが……。でも、ごめいわくでしょうから」
『なにしょうもない遠慮してんの。あんたらしいなあ。ええからええから。そこから近鉄に乗れるやろ。桃山御陵前ちゅう駅で降りたらすぐやさかい、おいでえな。おっちゃんに駅まで迎えに行ってもろたげるわ。ええな。来るんやで』
「はい……」
+ + + + +
「あんたあ。サトシちゃんから電話があったわ。もうちょっとしたら近鉄で駅まで来やはるさかい、迎えに行ったげてえな」
「なんやてえ。あの子が来るてか。おお、そうかそうか。ほたら、用意して迎えに行ったろかいな」
+ + + + +
サトシは近鉄の切符を買い、改札口からホームに向かって歩き出した。
(しかたないよ……。僕にはとてもできないもの……。しかたないよ……)
サトシの脳裏に昨夜のジェネシス本部での光景が蘇って来る。北原リョウコがジェネシスへの参加を表明した時の様子が眼に浮かんだ。
(「わたし、やります。……それがわたしの宿命なら、のがれられないもの」)
その後、四条マサキも橋渡タカシも玉置サリナも形代アキコも参加を表明したが、サトシはどうしても「参加する」とは言えなかった。
(「僕……、できません。僕には無理です……」)
(「そうか。仕方ないな。……しかし沢田君、これも何かの縁だ。もし何かあっ たらいつでも連絡をくれたまえ」)
昨晩の伊集院の最後の言葉が未だに心に残っている。サトシは再度自分に言い聞かせるように、
(しかたないよ……。僕にはとてもできないもの……。しかたないよ……)
サトシの乗った電車は南へ走り出した。車内は特に何と言う事もない光景に見える。今日、「ジェネシス」の事が発表されたら、この光景がどのように変化するのだろうか、とサトシはふと思った。
+ + + + +
サトシの乗った電車はしばらくして桃山御陵前駅に到着した。下車し、改札口へ向かって歩き出すと、
「おおい。サトシちゃんか。こっちや」
改札口の外で見覚えのある顔がサトシの名を呼んでいる。「白川のおじさん」だ。サトシはややはにかみながら白川の方へ歩いて行った。
「久し振りやなあ。ま、ゆっくりして行けや。元気やったか?」
「おひさしぶりです。おじさん」
「あんたも大変やったなあ。ま、今更ワシが言うてもしゃあないけど、ホンマにお父さんもお母さんも気の毒なこっちゃったで……。ま、そんな話はもうええな。12年も前のこっちゃさかいな。ほたら行こか」
「はい」
サトシは白川に連れられて歩き出した。暫く歩くと、宇治川に程近い所にある白川の家である。
「このへんも昔とすっかり変わってしもたわ。流石に京都も首都になってしもたさかいなあ。そやけどウチは昔のままやで」
「おばさんもお元気ですか」
「おお、ウチの奴は相変わらず元気や。元気過ぎてワシも参っとるわ。わはは」
サトシは白川の心遣いが嬉しかった。久し振りに心温まる思いである。
「さあ着いたで。まあ上がれや。おおい、帰ったで」
「まあ、サトシちゃん。大きゅうなって。元気そうで何よりやわ」
「おばさん。おひさしぶりです」
「まあ上がって上がって。ゆっくりして行ってや。…ところであんた。今テレビのニュースでえらいことやってるで。なんやわけがわからへん話やけど、世界中でえらいことが起こってるらしいんやて。戦争やないけど、戦争みたいなことになるかも知れへんとか言うてたわ」
「なんやて? 戦争やて? そんなアホな。どう言うこっちゃ」
テレビでは臨時ニュースと特別番組をやっていた。「ジェネシス」に関しての発表があったようで、どのチャンネルも同じニュースをやっている。サトシは少しずつ暗い気持ちになって行くのを感じ、
(発表されたんだな……。みんなどうしてるかな……)
その時だった。
ドオオオオオオオオオンンンッ!!!!!
南の方で大きな爆発があったような轟音が響き渡った。
続く
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。
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