第四部・二つの光
加持とシンジは無言で病院の廊下のソファに腰掛け、中之島を待っていた。
「…………」
「…………」
話す事もなくなり、時だけが静かに過ぎて行く。加持はふと顔を上げ、壁にかかった時計を見て、
(……8時過ぎか……)
零号機とオクタヘドロンが出現したのが今日、2月12日の14:00頃だった。それからめまぐるしく時が過ぎ、今に至っている。
(……しかし、考えてみるとだ、使徒が現れてから、まだ1週間しか経っていないんだよなあ。……俺の人生の中でも、一番長い1週間、か……)
加持は隣のシンジを見た。相当疲れているらしく、ソファに凭れたまま軽い寝息を立てている。
(無理ないか……)
「待たせたのう」
加持がはっとして振り向くと、中之島が立っている。
「いえ、どうも。ちょっとお待ち下さい。……シンジ君、起きろ」
加持は立ち上がり、シンジの肩をゆすった。
「う……、うーん、……あ、どうもすみません……」
慌てて立ち上がったシンジの顔色を見た中之島は、やや心配そうな顔で、
「疲れているようぢゃな。大丈夫かの?」
シンジは慌てて姿勢を正し、
「は、はい、大丈夫です」
中之島は頷くと、
「では始めようかの。病室に入るぞ」
「はい」
「はい」
+ + + + +
第十四話・静寂
+ + + + +
技術部。
日向が振り向き、
「おい青葉、ちょっと見てくれ」
「なんだ?」
「レーザーライフルの波形の変調なんだが、こんなもんでどうかな」
「えーと、どれどれ、……うん、まあそんなもんだろう。…そうだ、こっちも見てくれよ」
「『サイコバルカン』か?」
「ああ、ATフィールドを収束させる方法はこれでいいと思うんだが、これをどうやって高速で射出するか、なんだよなあ…。お前、どう思う?」
「オクタヘドロンはどうやってるんだ?」
「それが、オクタヘドロンの方はだな、反重力エンジンが出す反重力フィールドをマーラのノイズパターンで変調して『サイコバリヤー』を作っているんだが、このフィールドは元々光と似た性質があって、外に出る時の速渡は光と同じなんだ。それをそのまま使っているんだな」
「じゃ、エヴァの場合、ATフィールドが外に放出される速度に依存すると言う事になるな。おっ? と、すると…」
「そう言うこと。今までそんなもの測定した事もなかっただろ。つまり、未知数って事だよ」
「開き直ってエヴァ自身の能力に任せるしかないのか」
「ああ、ATフィールドはエヴァが元々持っている能力だからな。その意味では、コンピュータに、『サイコバルカン』の概念を書き込んでおいて、後はパイロットにそれを呼び出させる、と言う事以外、やりようがないんだ」
「そうか…。まあ仕方ない。その方向で処理しておいて、後は中之島博士に相談しようぜ」
「それがよさそうだな」
その時、マヤが、
「ねえ、ちょっと見て欲しいんだけど、前にリリスを使って使徒をおびき寄せていた時のデータがこれだとすると、エヴァを使う場合、基本的な方針は同じとして、ここの数値をエヴァの特性に合わせて変更したらどうかしら?」
日向と青葉が立ち上がり、
「えーと、どうなるかな…」
「どれどれ…」
+ + + + +
アスカの病室。
中之島が、加持とシンジに向かって、
「具体的な方法はさっき指示した通りぢゃ。脳神経スキャンインタフェースで三人の意識を直結する。コンピュータは使わん。一時的に、オモイカネⅡを繋いでモニタはするが、暫く経ったら外すからの。後は君達二人に任せるぞよ」
加持は頷き、
「了解しました。もう一度確認させて戴きますが、私とシンジ君はスマートフォンに表示されたタロットの絵をまずしっかり見て、後はひたすらその絵から連想されるイメージを追う、そして、もし直感や衝動を感じたら素直にそれに従うもと。一言で言えばそれでいいんですね?」
「その通りぢゃ。姿勢としては背もたれのない椅子に座わって行っても良いし、床で半跏坐の座禅を組んで行っても良いが、絶対に守らねばならんのは、背筋をしっかり伸ばすと言う事ぢゃ。壁に背中を付けても構わんからの。それから、余計な事は考える必要はない。ただひたすらイメージを追う事ぢゃ。雑念が湧いても無視してイメージを追うのぢゃ。後、両手ぢゃが、軽く組み合わせて太腿の上にでも置いておけば良いからの」
加持とシンジは改めて、
「了解しました」
「はい、わかりました」
「では始めようかの。では背もたれのない椅子を使い、背中を壁につけて行う事にしようかの。壁際の、このあたりが良かろう」
+ + + + +
トウジは自室のベッドに寝転んで天井を見ている。
(……どないなるんや……)
会議では発言こそ一言もしなかったが、一連の話を聞き、並々ならぬ状況である事は良く判っている。
(……もうすぐ、使徒とか、量産型が、いっぺんに来よるんやろな……)
今の自分の役目と言えば、エヴァに乗る事だ。自分がどの程度戦えるのかは全く判らないが、ここまで来たらやるしかない。
(……今のワシにできること、ちゅうたら、それだけやもんな………)
父と祖父はずっと研究所に詰めている。妹のサクラはここの地下シェルターに来ているが、ヒカリの姉のコダマと妹のノゾミに任せっ切りだ。今の自分に出来る事は、エヴァに乗って敵と戦うだけなのだ。トウジは改めて自分にそう言い聞かせていた。
その時、
コンコン
「なんや……。どうぞ」
ギイッ
「! なんや、委員長やないけ。……どないしたんや」
ドアを開けて入って来たのはヒカリだった。今にも泣きそうな顔をしている。
「どないしたんや? え?」
「…鈴原、……ごめんね、いきなり来ちゃって……」
「そんなことはかまへんけど……。まあ、とにかくすわれや」
「うん……」
トウジはベッドから起き上がり、机の前にある椅子をヒカリの方に引いた。ヒカリは俯き加減のまま、その椅子に腰掛ける。
「…鈴原……」
かぼそいヒカリの声が部屋に響く。
「ん?」
ヒカリは、顔を上げ、
「…鈴原、こわくない?……」
「こわいか、てか……。そら、こわない、言うたら、ウソになるな……」
「わたし……、わたし、こわいのよ! こわくてしかたないのよ! ううっ……」
「委員長……」
「ううっ、ごめんね、こんなこと言ってもなんにもならないって、よくわかってるわ。……ぐすっ、でも、でも、どうしても鈴原に聞いてもらいたくって……。わああっ!………」
ヒカリは泣きながらトウジの胸に飛び込んだ。
「!!!………」
「うわああっ、わああっ!………」
トウジにもヒカリの気持ちは良く判っていた。幾ら人類存亡の危機で、エヴァを操縦出来るのは自分達子供だけだと言う事を頭では理解していても、感情の方が付いて行く筈がない。
「うううっ、ぐすっ、ううううっ……」
「…………」
ただ泣きじゃくるだけのヒカリを、トウジは何も言わずにしっかりと抱き締めていた。
+ + + + +
「…………」
ナツミは机に向かい、無言で祈り続けている。
その時、
トゥル トゥル トゥル
「…はい、八雲です」
『相田です』
「あ、相田さん。どうしたんですか?」
『悪いけど、どうしても話しておきたいことがあるんだ。今からそっちへ行ってもいいかな』
「えっ?! は、はい、いいですけど……」
『ありがとう。じゃ』
「…切れた。…相田さん、どうしたんだろ……」
いつものケンスケらしくない、えらく切羽詰ったような口調であった。ナツミはやや不審な感じを抱きながら椅子に座ったままケンスケを待つ。
暫くして、
コンコン
「はい、どうぞ」
「おじゃまするよ」
入って来たケンスケはやはり電話の口調と同じく、いたく真剣な顔をしている。
「!…… どうしたんですか? あ、とにかくこの椅子にすわってください」
そう言いつつ、ナツミは椅子から立ち上がり、ベッドに座った。ケンスケは勧められるまま椅子に腰を下ろす。
「ありがと……」
「どうしたんです?……」
「…八雲ちゃん」
「は、はい……」
「こんな時で悪いんだけど、いや、こんな時だからこそ、どうしても君に話しておきたいことがあるんだ……」
「はい……。なんですか?……」
「…俺、…俺、……君のことが好きだ」
「!!!! ……相田さん……」
「俺たち、今度ばかりは死ぬかも知れないだろ。うまく使徒や量産型を倒して、人類は滅亡をまぬがれたとしても、俺たちは死ぬかも知れないよね……。だから、もしそうなった時、悔いを残さないためにさ、八雲ちゃんにこれだけは言っておきたかったんだ。……ずっと好きだったよ。八雲ちゃんが転校して来た日から……」
「相田さん……」
「勝手なこと言ってごめんね。でも、死んじゃったら言えないから。……じゃ、これで。……聞いてくれて、どうもありがとう……」
そう言いながらケンスケは立ち上がり、踵を返して出て行こうとした。その時、
「相田さん!!」
「えっ!?」
余りに強いナツミの口調にケンスケは驚いて振り返った。見るとナツミはベッドから立ち上がり、眼を真っ赤にして涙を浮かべている。
「相田さん! そんなこと言わないでください! 死ぬなんて、そんなことぜったいに言わないでください!!」
「!! …八雲ちゃん……」
ナツミは呆然としているケンスケに歩み寄り、手をしっかりと握り締めると、
「みんな、必ずたすかるんです!! ううっ、そうしなきゃだめなんです!! ぐすっ、みんなでたすかって、また平和をとりもどして、またみんなでハイキングに行くんでしょ!! そうしなきゃだめなんです!! ぐすっ……」
「…………」
懸命に涙をこらえながら一心に語るナツミに対し、ケンスケは語る言葉をなくしていた。
「それで……、それで……、また、相田さんとふたりで、写真もとりに行かなきゃならないでしょ!!!」
「!!! ……八雲ちゃん……」
「だから……、だから……、ぜったいに、死ぬなんて、そんなこと言わないでください!! ……ぐすっ、うううっ……」
ナツミの涙が、しっかりと握られた二人の手に零れ落ちる。
「…八雲ちゃん……、わかったよ……。ぐすっ……」
不意にケンスケの眼にも熱いものがこみ上げて来た。二人は立ったまま両手をしっかりと握り合っていた。
+ + + + +
(
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
□
○
△
∪
∩
………)
レイは自室で一心にマントラを追い続けている。
その時、
トゥル トゥル トゥル
「はい、綾波です……」
『渚です』
「あ、渚くん……」
『綾波さん、なにか感じない?』
「えっ!? …ううん、べつに……」
『そう。…ならいいんだけど、どうも胸騒ぎがするんだ』
「えっ、…でも、こんな時だから、しかたないでしょ……」
『うん、それはそうなんだけどね。……何か変な気がしてさ……』
「…! もしかして、渚くん、アダムが来るのを感じてる、とか?!」
『それはわからないよ。だから綾波さんに聞いたんだ。アダムとリリスは一緒に行動しているはずだから、もしかして、綾波さんも何か感じていたら、その可能性もあるんじゃないか、って、思ってね……』
「そうなの……。でも、わたしは今のところ、なにも……」
『そうか、わかった。どうもありがと。変な事言ってごめんね』
「ううん、そんなことないわ。大事なことだから……」
『そう言ってもらえると嬉しいよ。じゃ、これで』
「あ、まって」
『なんだい?』
「わたしたち、どうなるかわからないけど、最後までいっしょにがんばってよね」
『もちろんさ。じゃね』
「うん、じゃね……」
+ + + + +
アスカの病室では加持とシンジによる「タロット呪術によるアスカへのヒーリング」が行われていた。
「……………………………」
「……………………………」
「よし、いいぞ、その調子ぢゃ。その精神状態を憶えておくのぢゃぞ。ではオモイカネⅡは外す。返事はいらんから、後は二人で続けてくれ」
「……………………………」
「……………………………」
ひたすら脳内のイメージを追い続ける二人を置いて、中之島は病室を出て行く。
「……………………………」
「……………………………」
+ + + + +
技術部。
戻って来た中之島が、
「どうぢゃな。調子の方は?」
日向が振り向き、
「あ、博士、ちょうどいいところに来て下さいました。ちょっとこのコンソールを見て下さい。マントラレーザーの波形なんですが、これでいかがでしょうか?」
「うむ、その波形なら申し分ないぢゃろう」
続いて青葉が、
「博士、こっちもお願いします。『サイコバルカン』なんですが、フィールドの収束方法はこれでいいとして、放出速度に関してはエヴァの能力に依存せざるを得ないので、そのあたりをどう考えるか、なんですが」
「成程のう。オクタの場合はエンジンから放出されるフィールドの速度がそのまま光速ぢゃから問題ないが、エヴァの場合はATフィールドの放出速度が判らんと言う事ぢゃな」
「その通りです」
「ぢゃが、開き直って逆から考えてみたらどうぢゃろう。ATフィールドは物理的なものではない筈ぢゃ。そこで、霊的なものぢゃとすると、それにエネルギーを乗せて物質化すると言う事は、即ち、速度は思考によって自由に調節出来る、と言う事になるのではないのかの?」
「あ、成程、すると、光速までは可能と言う事になりますね」
「理論的にはそうなる筈ぢゃ。後はそのためのエネルギーぢゃな。エヴァ自身が持っている生体エネルギーの出力範囲までは大丈夫、と言う事ぢゃ」
「わかりました。ではこの方針で行きます」
「うむ、良かろう。それとぢゃ、今後エヴァのこの武器は、『ATバルカン』と呼ぶ事にしようぞよ」
「ATバルカン、ですか」
「そうぢゃ。オクタの場合はサイコバリヤーを利用した武器ぢゃったからサイコバルカンと名付けた。エヴァの場合はATフィールドの応用なのぢゃから、ATバルカンぢゃよ」
「了解しました」
続いて中之島は、マヤに向かって、
「所で、伊吹君の方はどうぢゃな?」
「はい、エヴァを利用して使徒を一体ずつおびき寄せる方法ですが、過去のデータと博士から戴いたデータを参考にしてプログラムを作りました。現在コンパイル中です」
「うむ、そうか。ふぉっふぉっふぉっ」
そこに突然レナが現れて、
「失礼します」
日向が顔を上げ、
「おっ、田沢さん」
レナは微笑むと、
「あ、中之島博士もおいでになっておられたのですか。葛城部長から、技術部の様子を見て来るように言われましたので参りました。コーヒーでもいかがですか?」
マヤも微笑んで、
「そうね。作業的には一段落したし、コーヒーブレイクにしましょうか。博士もいかがですか?」
中之島はニヤリと笑い、
「ふぉっふぉっふぉっ。これはかたじけない。では、折角ぢゃから、戴こうかの」
「じゃ、入れて来ますね。ちょっと待ってて下さい」
と、レナが去った後、中之島は、
「しかし、コーヒーブレイクだけではのうて、そろそろみんな交代で少しは寝ておくべきぢゃろう。これからは体力も戦力ぢゃぞ」
マヤが頷き、
「ええ、もう少ししたらシフトに入ります」
「そうかそうか。ふぉっふぉっふぉっ」
+ + + + +
カタカタカタカタ……
ミサトは総務部室に一人籠り、コンピュータのモニタに向かって戦術の検討を続けていた。
ピッピッピッ
「あら、なにかしら……。あ、コーヒーメーカーの音か。……レナちゃんね」
ミサトは少し苦笑しながら立ち上がって台所に行った。かぐわしいコーヒーの香りが漂っている。
「あら、メモだわ。……『部長の分もセットしておきます』……。ふふふ、あの子らしいわね……」
ミサトはカップにコーヒーを注ぐとデスクに戻った。
「…おいしい……。でも、このコーヒーもいつまで飲めるか、なのよね……」
ミサトはデスクの引き出しを開けると中から指輪のケースを取り出し、蓋を開けた。無論中には加持から貰ったエメラルドの指輪が入っている。
「…この指輪も、あと何回はめるチャンスがあるかしらね……」
ミサトは暫く指輪を見ていたが、それを左手の薬指にそっとはめると、
(…加持君、…いいえ、リョウジさん、最後まで一緒だからね……)
+ + + + +
(ふーむ、成程のう……)
自室に帰って来た中之島はオモイカネⅡのモニタに向かっていた。
(これは意外ぢゃった。こんな事になっておったとは……)
中之島にとっては、一旦リンクさえしてしまえばマギのデータを抜き取る事など児戯に等しい事である。オモイカネⅡのデータを転送する際に、マギの重要なデータもきっちりと抜き取っておいた。そしてそれをオモイカネⅡに分析させていたのである。
(んっ!!?? 何ぢゃこれは!!!)
モニタに展開されて行く分析結果の余りの意外さに中之島は刮目した。
+ + + + +
第3新東京を望む山腹の展望台。
ゲンドウが、祇園寺に向かって、
「祇園寺、いよいよ、『約束の時』が来たな」
祇園寺は頷くと、
「うむ、その通りだ。いよいよその時だ」
アダムも笑って、
「そうだね。これで僕も『原初の暗黒』に帰れるよ」
続いてゲンドウは、
「アダム、量産型と使徒は、全員海の中だな?」
「そうだよ。最後の詰めだからね。レーダーを避けるため、太平洋側の海の中をこっちに向かっているよ」
「よし、明日の朝だ。全てが終わり、そして新しく始まる」
と、頷くゲンドウに、祇園寺も、
「そう言う事だな。わははははは」
「…………」
「…………」
一歩下がった所には、無言で佇むリツコとリリス。
「ふふふふふふ……」
眼下に広がる街の明かりを見ながら、ゲンドウは北叟笑んでいた。
続く
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。
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二つの光 第十三話・疑念
二つの光 第十五話・夜明け前
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