第二部・夏のペンタグラム




 昔話に花が咲き、加持、ミサト、渡の三人が居酒屋を出た時には21時を過ぎていた。渡が加持とミサトに微笑みかけ、

「じゃ、これでな。お二人ともお元気で」

「ああ、渡もな」

「お元気で」

 渡は去って行った。

「……葛城、これはどうしても京都へ行かないとだめだな」

「そのようね。問題はどうやって時間を取るか、だわね」

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第十七話・自然法爾

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 ミサトのマンション。

トゥルルル トゥルルル

「あ、電話だわ」

 アスカが受話器を取る。

「はい、葛城です♪」

『あ、アスカ、わたし、ミサト』

「ああミサト、まだおそくなるの?」

『うん、もうちょっちかかるのよ。わるいけど先に寝てて』

「なにかあったの?」

『え? う、うん……。ちょっち京都がらみでね。くわしくはあらためて話すわ。ま、今の所は、それほどのことはないから』

「オッケー♪ じゃ、のみすぎないようにね♪」

『はいはい♪』

(ミサト……、加持さんと……、なのね……)

 この時のアスカには、「今夜ミサトは加持と過ごすつもりだ」と言う考えが確信となっていた。何よりもミサトの口調がそれを物語っている。

「ミサトさん、まだかかるの?」

「うん、先にねてて、だってさ」

「……そう」

「あらシンジ、どうしたの? ミサトがおそいとさびしいの♪?」

「ち、ちがうよ……。なに言ってんだよアスカは……」

「あ、顔が赤くなった♪」

「……やだなあ、もう……」

「へへっ♪ シンジったら♪ てれちゃって♪」

 シンジとしては、「ミサトが遅くなる」と聞き、「この前の夜」をつい思い出してしまったのである。無論、アスカの思いも同じようなものであったが、「この前の夜」に満足しているアスカにしてみれば、確かに多少は恥ずかしいが、それよりも、「『積極的なシンジ』にまた『会える』かも」と言う気持ちが心の根底に生まれた事は否定出来なかった。更には、「『ミサトと加持の今夜』に関する『確信』」がそれに拍車をかけていた。

「……ま、それはいいとしてさ、あしたテストもあるし、ちょっと早いけど、僕、もう寝るよ」

「あっそ、じゃ、あたしもねようかな。……とじまりみてくるわ」

「じゃ、僕は窓を見ておくよ」

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「とじまりオッケーよ」

「窓も閉まってたよ。じゃ、電気消すよ」

 照明が消えると、「この前の夜」のように、窓から射し込む街灯の明かりが、暗いリビングに二人の姿を柔らかく浮かび上がらせた。

「……じゃ、おやすみ、アスカ」

「……うん、おやすみ……」

 そう言いながら二人はほんの少しの間そこに立ち止まったままになっていた。

「…………」

「…………」

 僅か2、3秒の事だったのだが、二人にはその沈黙がまるで無限のように感じられた。先に動いたのはシンジだった。

「……おやすみ」

 シンジはそう言うと自室に向かった。アスカは一瞬はっとしたようだったが、シンジの後姿が戸の向こうに消えたのを見ると、少し俯き加減で自室に向かった。

 +  +  +  +  +

「…………」

 シンジはベッドにもぐり込んだが、無論寝られる筈などない。頭の中は「あの時の事」で一杯である。

(アスカ……、また、あんなことになったら……、自分がおさえられなくなったら……)

 他の事を考えようとすればするほどアスカの唇の甘さが自分の唇に蘇り、それに伴って下半身は熱く充血して来る。しかし、今のシンジには、「ソロ活動」をしたら気が納まるとは到底思えなかった。寧ろ、自分の欲望に拍車がかかってしまうようで怖かった。

「…………」

 シンジは毛布を抱きしめたまま、ひたすら寝ようと、自分に「難行苦行」を課していた。

 +  +  +  +  +

「…………」

 アスカもベッドに入ったとは言うものの、とても眠れたものではなかった。「あの時の事」が頭に浮かんで来てどうする事も出来ない。妙に「体の芯」が火照り、眼は冴えるだけである。

(ミサト、いまごろ……、加持さんと……。でも、あたしだって……、おなじなんだ……)

 その時アスカは「女としての自分」を実感していた。かつては「女としての自分」を忌み嫌い、呪っていた彼女だったが、「体の中から湧き上がって来る『女』」を否定する事は最早不可能だった。しかし流石に「最後のプライド」が邪魔をするのか、「自分で自分を慰める」事は出来なかった。それをやってしまうと自分の全てが壊れてしまいそうで、どうしようもなく怖かった。

「…………」

 アスカも両腕を強く組み、自分で自分を縛っていた。

 +  +  +  +  +

 その頃加持とミサトはホテルにいた。シンジやアスカの事を考えると多少の引け目を感じなくもないが、何かと言えば出て来る「京都」、未来に対する漠然とした不安、それらの事を考えると、二人ともこのままあっさり帰る事などは出来なかったのである。

 二人はベッドの上で天井を見ながら話し合っていた。無論、今夜はまだ「愛し合って」いない。その前に「京都行き」の件に関してケリを着けておかねばならなかった。

「……今回は少し危ない仕事になるかも知れんな……」

「……わたしも行くわ……」

「いや、今回は俺一人が行く。葛城はこっちでみんなを守ってやってくれ。万が一に備えてな……」

「……でも……」

「心配するな、決して無茶はしないよ。これは俺のカンなんだが、いずれみんなで京都へ行く時が来るような気がするんだ。……だから今回は俺一人が行く」

「みんなで?」

「そうだ。そんな気がして仕方ないんだ。そのための下準備としても、今回は俺が一人で行った方がいい」

「……そう、わかった。……で、いつ行くの?」

「30日から来年の5日までは正月休みだ。それを利用するよ」

「……うん、わかったわ。……でも、絶対に無茶しないでね……」

「ああ、気を付けるよ」

 そう言いながら加持はミサトに覆い被さって行った。

 +  +  +  +  +

「……!!」

 シンジはずっと自室で「苦行」に耐えていたが、とうとう我慢出来なくなってベッドから起き上がった。無論、「公式の理由」はトイレである。しかし、最早心の底にある「アスカへの気持ち」を否定する事は出来なかった。

 +  +  +  +  +

ザアアアアッ

「!!……」

 トイレの水の音を耳にしたアスカは反射的に起き上がった。もう何も考えられなかった。

 +  +  +  +  +

「!……」
「!……」

 お互いにとっては「案の定」と言うべきか、シンジとアスカはリビングで顔を合わせた。

「…………」
「…………」

 お互いの気持ちは判っている筈だと思っていたが、いざ顔を合わせてしまうと、二人ともどうしても自分からは口を開けない。しかし、少しの沈黙の後、先にシンジが口を開いた。

「……アスカ、ごめん!」

 少し強い口調で言いながらシンジは自分の部屋に飛び込んだ。流石のアスカもそれには少々驚き、慌ててシンジの後を追った。

「シンジ、……あけるわよ……」

 返事がない。アスカは少しためらったが、戸をそっと開けた。

「…………」

 シンジはベッドの上で横向きになり、毛布をかぶっている。

「……どうしたの、シンジ」

「……ごめん、アスカ……」

 毛布の下から少し震えた声が聞こえて来る。

「それじゃなんのことかわからないわよ。とにかく顔だしなさいよ」

 そう言いながらアスカは毛布をむりやりめくった。

「!!……」

 シンジは驚いた顔をこちらに向けた。アスカはベッドの端に腰をかけた。

「どうしたの?」

「……僕は、僕は……、最低のやつなんだ……」

「なに言ってんのよ、いきなり。……とにかくおきなさいよ」

 シンジは起き上がった。少し暗い顔をしている。

「……ごめん、アスカ……」

「もう、イライラするわねえ。それじゃなんのことかわからないじゃないの。はっきり言いなさいよ」

「……で、でも……」

「いいから言うの」

「……うん、……僕さ、さっきトイレに行っただろ……。あれさ……、ほんとはトイレなんか行きたくなかったんだ……」

「それがどうしたの」

「寝ようとしたけど、アスカのことばっかり頭にうかんできて、この前の夜の事ばっかり考えちゃって、寝られなくて、それで、トイレに行ったら、この前みたいにアスカが出てきてくれるかな、って思っちゃったんだ……」

「!! ……シンジ……」

「……でもさ、アスカの顔見たとたんに、僕の勝手な思いこみかも知れない、って、急に考えちゃって、……もしそうだとしたら、アスカがもしいやがったら、僕、自分のことばっかり考えてて、アスカの気持ちなんかちっとも考えてなかったんじゃないか、って思って……、アスカに悪くて……」

「……そうね。……ちっともわかってないわよ……」

「ごめん。……もうあんなことしないから、……もう寝るから……」

(シンジったら……、なにもわかってないんだから……)

 アスカは少し失望した。その時だった。

(……はっ!)

 アスカの心に、今朝ナツミがレイとカヲルに言った言葉が突如浮かび上がって来た。

(「恋には勇気が必要なんですっ♪」)

 その言葉がアスカに踏ん切りを与えた。最後に残っていた小さなプライドのかけらはどこかへ消し飛んでしまった。

「そうじゃないの。……あんた、あたしのきもち、ほんとにわかってないんだから……」

 そう言うとアスカはシンジに寄り添って来て、シンジの左肩に頬をうずめた。

「! ……アスカ……」

「なにも言わないで……」

 シンジは最早何も考えられなくなってアスカを抱きしめた。アスカの体の柔らかい感触がシンジの体に伝わって来る。シンジは無我夢中でアスカの唇を奪った。

「………!………!……!………」
「……!…!…………!…………」

 二人は何のためらいも無く舌を絡め合った。暫くしてシンジはそっと唇を離した。

「……アスカ……」

「……シンジ、もっと自分にさあ、自信もってよ」

「……自信か……」

「そうよ。……なんのかんの言ってもさ、あたしとあんた、好き同士、だって、やっと思えるようになったんだからさ。……そんなに自分をわるくばっかり思わないでよ……。ね……」

「アスカ……」

「うふふ、こんなこと言うなんて、あたしらしくないかな……」

「……え、いやその、そんなことは……」

「……じつはね、さっきはちょっと、あんたのことをさ、あたしのきもちなんか、ちっともわかってくれないやつだな、って思ったのよ」

「……うん……」

「でもさ、そのときふっとね、けさナツミがレイと渚くんに言った言葉を思いだしたの。『恋には勇気が必要だ』って言ってたでしょ。あの言葉ね」

「恋には勇気が必要……」

「うん、それでさ、なんでかはわからないんだけど、その言葉があたしに、『つまらないいじばっかりはってちゃだめ』って言ってくれたように思ったのよ。……だからシンジも勇気だして、もっと自分にすなおになってよ、ね……」

「……そうか、……うん、わかったよ。……アスカ、ありがと……」

 そう言うとシンジは再びアスカを抱きしめて唇を重ねた。

「………!………!……!………」
「……!…!…………!…………」

 今度はアスカが唇を離した。そしてシンジの顔を見て言った。

「……ねえシンジ、……あんた、あたしのこと、好き?」

「うん、大好きだよ……」

「じゃ、もっとしっかりだきしめて……」

「うん……」

 二人は強く抱き合った。それは至福の時間だった。

 +  +  +  +  +

 27日の朝が来た。

「あ、アスカ、おはよう」

「あら、おはようシンジ♪」

 アスカの顔は明るい。その表情を見たシンジは心から嬉しくなって思わず微笑んだ。

「ミサトさんは?」

「まだ寝てるわ♪ うふふふ。遅刻しないようにそろそろおこしてあげよかな」

 ミサトは昨夜「午前様」だったようだ。しかし今のアスカにはミサトに対する妙な意地やジェラシーは不思議に起きなかった。

(あたし、どうしたのかな……。ミサトと加持さんのこと、なんとも思わなくなってる……)

 自分の心境の変化の遠因は「ナツミの言葉」にあるのかも知れない、と言う事には流石のアスカも思いが及ばなかった。

 +  +  +  +  +

キーンコーンカーンコーン

「起立! 礼! 着席!」

 ヒカリの号令の後、担任の老教師が出て行くと、クラスの中に「何とも言えない解放感のある空気」が漂った。全員思い思いに帰り支度を始めている。流石にこの期に及んだ事と、隣のアスカが目を光らせている事もあるのか、クラスの男子もナツミの所に群がると言う事もなかった。

「あー終わりや終わりや。テストも終わって、後は明日の終業式だけやな♪」

 トウジの顔も明るい。

(そや、ちょっとケンスケのやつ、カマしたろ)

 トウジはそう思いながらボケッとした顔で帰り支度をしているケンスケに声をかけた。どうやらテストが思わしくなかったらしい。

「おい、ケンスケ、テストどうやった?」

「さんざんだよ。ま、なんとか及第点ギリギリだろな」

「そうか、まあそれならしゃあないやろ。……ところでな、ちょっと相談があるんやが」

「相談?」

「そや、ちょっと耳かせ。……八雲の写真、盗み撮りして売らへんか」

「いいっ!? だ、だめだよそれは」

「こら、声が大きいで。……なんでや」

「とにかくだめ。あの子はだめなの」

「そーか、そんならしゃあないな。せっかく金になると思うたんやけどな……」
(へへっ、やっぱりケンスケの奴、八雲にメロメロなんやな。シンジの言うた通りや)

「悪いなトウジ、その件はカンベンしてくれよ。じゃあな」

「おお、そんならまた明日な」

 +  +  +  +  +

「ねえねえアスカさん♪ テストどうでした?♪」

 ナツミは相変わらずの調子である。

「うーん、国語以外はまあまあかな。ナツミはどう?」

「まあまあです♪」

「あっそ♪ ……ねえシンジ、渚くん、テストどうだった?」

 帰り支度をしていたシンジとカヲルはこちらを向いた。

「うーん、まあまあなんとか、だと思うけど……。アスカは?」

「あたしはやっぱりまだ国語がだめよ。数学なんかはだいじょうぶだけどね」

「僕もまだ国語はだめだよ」

「今学期もやっぱりトップは綾波かなあ。……綾波、テストはどう?」

 帰り支度を終えたばかりのレイもこちらにやって来た。

「うん、まあいつもと同じだと思うけど……。なんか終わってほっとしたわ」

 以前のレイからは想像もつかない言葉である。

「ま、どっちにしてもさ、あとは明日の終業式だけだし、しばらくはのんびりできるわね♪ ……でも漢字はちゃんと覚えないといけないしねえ……。あーあ、めんどくさいなあ……」

 アスカは苦笑している。

「じゃ、帰りましょうよ♪」

 ナツミの言葉に五人は出入り口に向かった。

 +  +  +  +  +

 IBO技術部は来年早々から開始される機械制御の研究に向けた最終調整に追われていた。この所交代で毎日24時間操業である。

 マヤの所にやって来た男子技術部員が小さな機械を一つ差し出した。

「伊吹部長代行、脳神経スキャンインタフェースが一応完成しました」

「ありがとう。……設計図からわかってたけど、こうして見ると、やっぱりコンパクトねえ……」

 その機械は一見するとタバコの箱ぐらいの大きさしかない。

「はい、図面通りです。非常に簡単な作りでした。本部長から渡されたLSIを基盤に載せるだけでしたので……。あと9個の製作も続いて進めています」

「でも、たった2日で出来るなんて……。ほんとにご苦労様。じゃ、これは私がしばらくあずかるわ。残りの製作よろしくね」

「了解しました」

 部員は持ち場へ戻って行った。

(こんなに簡単に作れる小さな機械が思考を読み取るなんて……。信じられないわ……。今までの私達のシンクロ技術って、一体なんだったんだろ……)

 マヤはしげしげとインタフェースを眺めていた。

 続く



この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。

BGM:'主よ、人の望みの喜びよ ' mixed by VIA MEDIA

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