第二部・夏のペンタグラム




 マンションに帰ってきたシンジとアスカはいつも通りに部屋で着替えを済ますとリビングでテレビを見ていた。

 事件が解決したとはと言うものの、暫くの間バタバタしていて精神的に落ち着かない上、ネルフ時代のようなテストがIBOではまだ始まっていない事もあって、シンジもアスカも学校と家を往復するだけの生活になっていた。しかし、シンジは元々ネルフ時代でも「本部でのテスト」以外は「学校と家の往復生活」だったし、アスカも日本に来てからそれほど外で遊ぶ生活を送っていた訳ではないので、特に苦痛を感じている様子もなかった。

「ねえシンジー、きょうのばんごはんだけどさー……」

「今日の当番はミサトさんだけど、このごろすごくいそがしいみたいだから、どうなんだろ……。今日もレトルトかな」

「うーん。……ねえ、二人でつくっちゃおか。きのうみたいにさ」

「えっ? アスカがそんなこと言うなんてめずらしいね」

「なにいってんのよ。あたしだって女よ。うふふ♪」

 +  +  +  +  +

第八話・同行二人

 +  +  +  +  +

「じゃ、買い物に行こうか。……あ、ダブったらいけないから、ミサトさんに電話しといたほうがいいんじゃないかな」

「あ、そうね。……じゃ、シンジ電話しといてよ」

「うん、わかった」

 シンジは電話の所に行き、受話器を取り上げるとボタンを押した。

『はい、IBO総務部葛城です』

「あ、ミサトさん。シンジです」

『あらシンちゃん、どうしたの?』

「今日のばんごはんなんですけど、アスカと僕でこれから買い物に行って、二人で作ろうか、って言ってるんですけど」

『あら、助かるわ。実は今晩ちょーっち遅くなりそうだったから、晩ご飯すませといて、って、電話しようと思ってたとこなのよ。じゃ、私は適当に外ですませておくからさ、そっちは二人で食べといて。外食でもいいわよ。その分ぐらいは出すから』

「はい。じゃ、そうしておきます」

 シンジがリビングに戻って来ると、アスカが、

「ミサト、どうだって?」

「今晩はおそくなるから、二人で食べといて、って。外食でもいいから、って」

「……そう。……おそくなるの……」

「うん。ミサトさんやっぱりいそがしいみたいだね」

(……もしかして、……ミサト、……加持さんと……)

 アスカはミサトの帰宅が遅くなる、と言う話を聞き、つい「よからぬ想像」をしてしまった。

 かつては「無理して背伸び」していたアスカである。「『大人の男・加持リョウジ』に対する憧れ」から、加持に気持ちを向けていた事もあった。そのためミサトに「妙なライバル意識」を持っていた事は否定出来なかったが、状況も変わり、アスカも成長した。「加持とミサトの婚約」に関しても素直に祝福してやる気持ちにもなれたし、シンジとも「好き同士」になった。その意味では「ヤキモチを焼く必要」もないのだが、「よからぬ想像」をしてしまうと、少し複雑な感情が湧き上って来る事はやはり否定出来なかったのである。

 アスカの微妙な表情の変化に気付いたシンジは訝しげに、

「……あれ? アスカ、どうしたの?」

「ううん、なんでもないわよ。……じゃ、どうする。外食にする? それともつくる?」

「うーん。……外食もなんかもったいないし、作ろうよ」

「うん、じゃ、そうしよう。……なに作る?」
(……うん、もう、……めったにないことなんだから、「たまには一緒に外でたべよう」って言ってくれたっていいのにさ……)

「うーん……。僕はなんでもいいんだけど、アスカは?」

「そうよねえ……。いざこうなるとまよっちゃうわね」
(「アスカにごちそう作ってあげる」、ぐらい言ってくれてもいいのに……)

「ハンバーグにでもしようか」

「そうね。……それでいいか。……じゃ、おかいものね」
(あーあ、ハンバーグだなんて……。シンジもお子さまねえ……)

「うん、僕行って来るよ」

「あらそう。……じゃ、おねがいしようかな」
(……シンジのバカ。……なんで「いっしょに行こう」って言わないのよ……)

「じゃ、行って来るね」

 そう言ってシンジは出かけてしまった。

「バカシンジ……。ドンカンなんだから……」

 リビングに残ったアスカはテーブルに頬杖を突きながら少々ふてくされていた。

 +  +  +  +  +

 IBO総務部。

「さて、と。……一段落したし、電話しておくかな……。16時半か……。二人とも帰ってるかな……」

 ミサトはアドレス帳を開くと受話器を取り上げ、ボタンを押した。

『はい、鈴原でっけど』

「ああ、鈴原君。葛城です」

『あ、ミサトさんでっか。お電話お待ちしておりましたで♪』

 受話器からトウジの嬉しそうな声が聞こえて来る。

「早速なんだけど、明日身体検査をやりたいのよ。土曜日で学校がお休みのところ悪いけど、朝9時に本部まで来てもらえるかな」

『了解いたしましたっ! 必ず行きますさかい!』

「まだ体が完全じゃないでしょう。タクシーで来てね。運賃はこっちで持つから」

『ありがとうございますっ。ほな、そうさしてもらいます』

「ああそれから、前のIDカードはまだ持ってる?」

『はい、持っとります』

「じゃ、それでゲートは通れるからよろしくね」

『はいっ! ほな明日』

 +  +  +  +  +

 シンジは近所のスーパーで買い物をしていた。

「えっと……、これで全部そろったな……」

 独り言を言いながらレジに向かう途中、シンジはふと壁の張り紙に目を留めた。

「大バーゲンセール! 12月1日~10日」

(そうか、今日から12月だったんだな……。あ、そう言えば……)

 +  +  +  +  +

『はい、渚です』

「もしもし、はじめまして。私はIBOの総務部長の葛城です」

『あ、葛城部長でいらっしゃいますか。お名前はうかがっております。はじめまして、渚カヲルです』

「どうもこんにちは。急な話で申し訳ないんだけど、明日IBOの方でチルドレン全員を集めて身体検査をやることになったのよ。お休みの所悪いけど、朝9時に来てもらえるかしら」

『はい、わかりました。行きます』

「そう。どうもありがとう。IDカードは持っているわね」

『はい、持っています』

「わかったわ。じゃ、よろしくね」

『はい、では明日よろしくお願いします』

 電話を切った後、ミサトは再び書類と「にらめっこ」を始めた。その時、

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

「はい、IBO総務部葛城です」

『もしもしミサトさん。シンジです』

「ああシンちゃん。どうしたの」

『今、外からなんですけど、実は——』

 +  +  +  +  +

 シンジが買い物に出た後、アスカはリビングのテーブルに頬杖を突いたまま考え事をしていた。ふと時計を見ると16:50である。

(シンジ、おそいわねえ。……なにしてんだろ)

 実際にはそれほど時間が経っている訳ではないのだが、待つとなると長く感じられてしまう。しかも、「さっきのシンジの対応」に少々「不満」を感じていたアスカである。イライラするのも仕方なかった。

(シンジ、って、やっぱり子供なのよねえ。……やっぱり加持さんとはちがうなあ……。あーあ、なんでこうなのかなあ……)

 大体が、同年齢の場合は女の子の方が男の子よりもませているのだから、アスカがシンジに「大人の男としての対応」を求めるのはどだい間違っている。しかしアスカとしては「生まれ変わったシンジ」に無意識的に期待をしてしまうのであった。

 その時玄関の方でドアを開ける音がした。

(!…… シンジだ)

 アスカは反射的に立ち上がって玄関に行った。丁度シンジが入って来てドアに鍵をかけている。

「ただいま。おそくなってごめんね」

「どうしたの。ちょっと時間かかったわね」

「うん、いろいろと見てたから。……あ、それと、面白いもの見つけたよ」

と、言って、シンジはバッグからタバコの箱より少し大きめの箱を取り出した。



それを見たアスカはやや驚き顔で、

「あれ? これって、タロットじゃないの! それも、あの時のカードと同じやつよね!」

「うん、たまたま催し物会場で鑑定即売会やってたんだよ。それで、思わず買って来ちゃった」

「え? 鑑定って、占いもしてもらったの?」

「ううん、それはしてもらってないよ。カード買っただけ。それで、おまけとして占う時のコツみたいな事を書いたパンフレットも付けてくれたよ」

「思い出すわねえ。考えてみりゃさ、あたしもあんたもこれのおかげで今こうしてここにいられるようなもんでしょ。……ちょっと見せて」

 カードの箱を手にしたアスカは封を切り、中からカードを出して左手に持つや、一枚ずつカードを右手に送り始めた。そして、

「あったあった! これだわ! わたしがあそこでずっと見てたカードよ!」



「あ、『太陽』か、アスカが見ていたカードはそれだったよね。で、僕が見ていたのは……」

 シンジはアスカから残りのカードを受け取ると、カードを順に左から右に送り、

「これこれ! これだよ! 僕が見てたカード!」



「そうそう、あんたが見てたのは『星』だったわよね……。……アキコ、元気でやってるかなあ」

 こちらの世界に帰って来てから、シンジとアスカは暗黒の次元での出来事について、多少は話し合っていた。それでタロットの話題も出てはいたのだが、流石に現物がないので、アスカは「太陽」を、シンジは「星」を見ていたと言う事は話していても、具体的に相手が見ていたカードの絵柄までは分からなかったし、わざわざカードの事を調べるほどの興味も流石になかったので、その後は二人共タロットの事は意識してはいなかった。

「そうだよねえ、北原さんや沢田くんも……、あ、そうだ!!」

「どうしたの?」

「このカードで占ってみようよ」

「あ、それいいわ!! 占いましょう! ……で、あんたが占うの? あたしが占うの?」

「じゃ、僕がカードを引くからさ、一緒に解釈しようよ」

「わかった。で、どんなふうにして占うのさ?」

「パンフレットを見てみるよ」

と、言いつつシンジはパンフレットを開いた。そこの冒頭には、

『1.タロットはカードの意味にこだわる必要はない。頭を自由に働かせ、絵を見た時の直感と連想で判断すべし』

『2.大アルカナ22枚の正位置だけで占えば良い。正逆を見る必要はなし。小アルカナも不要』

『3.並べ方は自由である。極論すれば、過去、現在、結論、の3枚を抜き出して判断すればそれで良い』

と、書かれていた。それを見たアスカは、

「そうそう、そう言えばアキコもそう言ってたわ。絵から連想する、って」

「北原さんも言ってたよ。絵を見て心に浮かぶイメージを見る、って」

「どうもそのようね。だったらあたしたちでも、当たるかどうかは別として、占うことはできるわね。さっそくやってみましょうよ」

「うん、じゃ、カードを引くよ」

と、言いつつ、シンジは大アルカナ22枚を手に取って繰り、3枚を抜き出した。



 二人は額を突き合わせるようにしてカードを覗き込む。

「シンジ、あんたこれ、どうかいしゃくする?」

「うーん、僕の見た感じだけだったら……」

「うん」

「過去が悪魔だから、悪いことがあった。現在は運命の輪で、時が流れた。結論は恋人たちで、収まるところに収まった、と、思ったんだけど、違うかなあ」

「それって、あの三人の仲の話?」

「うん、そうだけど」

「そっかあ。あんたはそう見たか……」

「アスカはどう思ったの?」

「それがさ、あたしはこの悪魔に鎖でつながれてる二人ね、これ、アダムとリリスだって、直感的に思ったのよ」

「へえー、なるほどねえ。…で、現在と結論は?」

「2枚めのカードにかかれている絵だけど、スフィンクスとか天使とか精霊とかでしょ」

「あ、そう言われてみれば……、それで?」

「そう言う超自然的な存在に導かれて、アダムはリリスと別れ、最後にはイヴと結ばれた、って、思ったのよ」

「すごいなアスカ、初めて占ったのに、そこまで感じたの?」

「うん、それでさ、こっから先は、ちょっとよけいなおせっかい話なんだけどさ」

「うんうん」

「アダムは沢田くんで、リリスは北原さんなんじゃないかな、って」

「あ! なるほど!」

「で、イヴはアキコ」

「えっ、じゃ…」

「そう。沢田くん、北原さんと仲良くしてたけど、運命のいたずらで、北原さんとは別れてアキコとつきあうんじゃないかな、って、思うのよねえ……」

「うーん、すごい解釈だ。ちょっとびっくりしたよ」

 感心して唸ったシンジにアスカは苦笑して、

「いや、もちろんあたしのかってなおもいこみだろうけどね」

「いやいや、それでもすごいよ。直感と連想でそこまで読むなんてさ。アスカは占いの才能もあるんじゃない?」

「シンジにそこまでおほめいただいて光栄だけどさ、これって、たしかめようがないのよねえ……;」

「あ、確かにそうだよねえ……;」

と、二人揃ってしばし苦笑した後、アスカが、

「あ、そう言えばさ、レイはタロット見てたのかな」

「ああそうだよね。それは聞いてなかったよね。今度また聞いてみようか」

「そうね。……あ、じゃ、そろそろごはんのしたくしようよ」

「うん、そうだね」

 +  +  +  +  +

 二人は揃って夕食の支度を始めた。占いを終えたのはまだ17:15頃であり、それほど焦ってする事もないのだが、何となく手持ち無沙汰な事もあって始めてしまったのである。

「……さて、と、これで下ごしらえはおわり、と……。あとはごはんだね」

 そう言いながらシンジは下拵えした材料を冷蔵庫にしまった。

「じゃ、おこめ洗っておくわ」

 流しを片づけていたアスカが手を拭きながら言った。

「うん、たのむよ」

 +  +  +  +  +

「これでぜんぶおわりね。……あたし、ごはんの前におふろに入るわ」

 時計は17:45を指している。

「そう、じゃ、入ってきてよ」

 アスカは部屋に戻って着替えを手にすると風呂場に向かった。

 +  +  +  +  +

(ごはん作るって、けっこうむずかしいな……)

 レイは自室で「簡素な食事」の支度をしていた。以前は全く無頓着で、買って来た物を適当に食べるだけだったのだが、「生まれ変わって」からは、結構家事も行うようになったのである。持ち物もあまりないので相変わらず部屋は殺風景だが、それでも以前に比べると少しずつ「女の子の部屋」になっていた。

(今ごろ、シンちゃんはアスカといっしょにごはん作ってるのかな……。わたしもいちどシンちゃんになにか作ってあげたいな……)

 レイは「徐々に変化している」自分の心境を意識する事もなく、食事の支度を続けていた。その時、

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

 レイは支度の手を止めて電話に出た。

「綾波です」

『ああレイ。葛城です』

「あ、こんばんは」

『例の身体検査の件だけど、明日朝9時から始めるわ。よろしくね』

「はい、了解しました」

『じゃ、明日ね』

(明日9時……)

 今回の身体検査は「自分の出生の秘密」に関わる事でもある。それを考えてレイは少し不安になった。

(わたしのことで、またなにか、わかるのかな……)

 +  +  +  +  +

 IBO情報部。

「……さて、と、今日の仕事はこれで一段落か……」

 一仕事を終えた加持はデスクの上にある「原初の光」に目を留めた。この本は何時も肌身離さず持っている。

(「式神ゴンゾウ」か……。ん? 待てよ。なんでカタカナなんだ)

 加持は著者名の不自然さに気付いた。今まで全く意識していなかったが、名前をカタカナで表記する事が一般的になったのはここ数年である。セカンドインパクト後の混乱で改めて戸籍を再検討した時に、政府の方針で「行政事務を簡素化するため、公的文書には名前をカタカナで表記する」となったが、当然の事ながらそれ以前に生まれた者の大多数は漢字の名前も持っている。加持は「亮次」だし、ミサトは「美郷」だ。シンジ達のような2000年以降に生まれた子供こそ、戸籍名もカタカナだが、殆どの大人は元々は漢字名であった。

(これは1999年に出た本のはずだ。著者の名前をわざわざカタカナにしたのはなぜだ?……)

 +  +  +  +  +

「おさきにー。シンジも入ったら」

 アスカがタオルで頭を拭きながらリビングに戻って来た

「うん、じゃ、そうするよ」

 シンジが風呂場へ向かった後、アスカは床に座ってテレビをつけた。

 +  +  +  +  +

「おまたせ。じゃ、ごはん作ろうか」

 風呂から上がって来たシンジがアスカに声をかけた。

「よーし、じゃ、うでによりをかけてがんばろうかな♪」

 +  +  +  +  +

「シンジ、そのお皿とってよ」

「はい、これ」

「サンキュー、……えっと、タネはこうして、と」

「サラダ作っておくね」

「うん。今からハンバーグやくから」

 +  +  +  +  +

「いただきます」
「いただきます♪」

「あ、おいしい。アスカも料理がすごくうまくなったね」

「へっへっへ、どう、ちょっとはみなおした?♪」

「うん、きのうのカレーもおいしかったけど、きょうのハンバーグもすごくおいしいよ」

「とうぜんよ。あたしがシンジにまけるわけないじゃない♪」

 料理の腕を誉められて嬉しくならない女の子はいない。アスカは相好を崩した。その時、

ピンポン ピンポン ピンポン

 二人は同時にテレビを見た。臨時ニュースらしい。

『地震情報。19:10頃、関東地方で地震がありました。各地の震度は 次の通りです。新横須賀(旧小田原):震度2』

 アスカは、テレビの字幕を横目で見ながら、

「新横須賀で震度2なの……。ここではぜんぜんかんじなかったわね」

 シンジも、食事の手を止める事なく、

「そうだね。どっちにしても2ぐらいだったら大したことないけどね」

 +  +  +  +  +

 その頃加持とミサトはホテルのベッドの上で天井を見ながらタバコをふかしていた。

「……なんか、シンちゃんとアスカをだましちゃったみたい。……ちょっと気が重いわ……」

「なに言ってんだい。俺達は婚約中だし、アスカとシンジ君もこの頃うまく行ってるみたいだからいいじゃないか」

「……うん。……そうなんだけどね。……なんか二人に悪いかな、なんて思っちゃってさ……。あの子たち二人っきりでだいじょうぶかしら………」

「ヤボな事は言いっこなしだぜ。……二人のプライバシーに関しては詮索無用さ……」

「うん、でも、わたしも一応保護者だから……。あ……、うっ……、待って……。タバコ……、消さなくちゃ……」

 +  +  +  +  +

 食事を終えて洗い物も済ませたアスカとシンジは、手持ち無沙汰なままリビングの床の上に座ってテレビを見ていた。時刻はまだ20:30であるが、これと言ってする事もない。

(ふたりきりなのに……、シンジったら……)

 アスカが横目で見ると、シンジはずっと無言でテレビを見ている。ミサトからの連絡もなく、少しイラついていたアスカは、

「早いけど、あたしもうねるわ。……あした検査もあるしね」

「あ、そう。……じゃ、おやすみ……」

 シンジは「ちょっと意外だ」と言う顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。

「おやすみ」

 アスカは少し不機嫌な顔をして立ち上がった。無論こんな時間に眠くなる筈もないが、そのまま部屋に入ってしまった。

(……アスカ、どうしたんだろ……)

 +  +  +  +  +

 シンジは暫く一人でテレビを見ていた。

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

「はい、葛城です。……あ、ミサトさん」

『ああシンちゃん、ごめんね。帰るのもうちょっと遅くなるわ。先に寝てて』

「はい。わかりました」

『じゃ、戸締まりお願いね』

 電話を切った後、シンジは玄関のドアのロックを確認し、リビングに戻った。その時アスカの部屋の戸が開いてアスカが顔を出した。

「電話、ミサトから?」

「うん、もう少しおそくなるから先にねてて、って」

「あ、そう。……じゃ、おやすみ」

 アスカは不機嫌そうに少し強くドアを閉めて部屋に引っ込んでしまった。

「!……」

 シンジはアスカの「不機嫌の理由」が判らずに一瞬固まってしまったが、すぐに窓のロックを確認するとテレビとリビングの電灯を消して部屋に戻った。

 +  +  +  +  +

「…………」

 部屋に戻ったシンジは電灯を消したままベッドの上で横になってS−DATを聞いていた。無論まだ眠くなる訳もなく、無理に寝ようとしても眼は冴えるばかりである。

「…………」

 シンジは暫くそうしていたが、やがて起き上がると部屋から出てトイレに向かった。

 +  +  +  +  +

「…………」

 アスカもベッドの上で毛布を抱いたまま横になっていたが、勿論眼が冴えて眠れない。

 その時、

ザアアアアアッ

「!……」

 トイレの水が流れる音がかすかにアスカの耳をくすぐった。アスカも起き出して部屋の戸を開けた。

 +  +  +  +  +

「!……」
「!……」

 アスカが戸を開けた時、丁度トイレから戻って来たシンジと鉢合わせしてしまった。二人はしばし無言で見詰め合ったが、先にシンジが口を開いた。

「……ごめんアスカ、起こしちゃった?」

「ううん。……べつに……」

 無論リビングの照明は消えているが、窓から射し込む街灯の仄かな明かりが二人を柔らかく照らしている。アスカは無言でトイレに向かった。

「…………」

 シンジはどうしていいか判らないまま自室に戻ろうとしたが、何故か足が動かない。そうこうしている内にアスカが戻って来た。

「!……」

 ぼんやりとリビングに佇むシンジを見て、アスカも少し驚いたような顔のままそこに立ち止まってしまった。

「…………」

「…………」

 二人は無言のまま呆然とお互いを暫く見ていた。街灯の明かりは二人の横顔を暗いリビングに浮かび上がらせている。ややあってアスカが口を開いた。

「……おやすみ」

「……う、うん。……おやすみ」

 そう言いながら二人とも動こうとしない。少ししてアスカが動き出し、シンジの横を通ろうとしたその時だった。

「いたっ!!」

 アスカが顔を顰めて少しよろけた。咄嗟にシンジがアスカの右腕を掴む。

「どうしたの?!」

「なにかふんじゃった。……あいたた」

 アスカは右足を持ち上げた。暗いのでシンジが屈んでよく見ると、小さなプラスチックのかけらのようなものがくっついている。シンジはそれを摘んで立ち上がった。

「プラスチックのかけらみたいだ。……だいじょうぶ?」

「うん、……なんともないよ。ささってないから……」

「あ、ごめん。……つかんじゃって……」

「ううん。……ありがと」

 二人は改めてお互いの顔を見た。

「…………」

「…………」

 薄明かりに照らされたアスカの顔を改めて見た途端、シンジは頭が真っ白になってしまい、思わずアスカの肩を抱き寄せた。

「!!!…………」

 アスカは少しびくっとしたようだったがそのままシンジに寄りかかって来た。シンジはアスカをそっと抱きしめた。

「…………」
「…………」

 二人は暫く無言で抱き合っていたが、ややあってシンジは腕を解き、アスカの肩を抱いたままソファへ向かった。アスカもシンジの肩に頬を寄せたままついて来た。

「…………」
「…………」

 ソファに腰を下ろした二人は薄明かりの中で肩を寄せ合った。アスカはシンジの右側でシンジの肩に頬を置いている。シンジはアスカの右肩に手を回して抱き寄せていた。

「ねえ……、シンジ、……キス…しようか……」

「え? ……う、うん……」

 シンジは全身が心臓になったような気がした。今までアスカとは3回キスをしているが、今夜の感情の高ぶりは今までに感じた事がないものだったのである。シンジはそっとアスカの顔を持ち上げた。アスカは瞳を閉じている。シンジは顔を近付けてアスカの端正な唇に自分の唇を重ねた。

「…………」
「…………」

 アスカの唇は柔らかくて纏わりつくような感じだった。シンジにとって今までのアスカとのキスはただ夢中で訳が判らなかったのだが、今夜は初めてアスカの唇の「甘さ」を実感した。

 その時、

「??!!……」
(うっ?!……)

 不意にシンジの唇を割って生温かいものが侵入し、シンジの舌に絡み付いて来た。

「!!……」
(あっ!……)

 シンジは初めて味わうアスカの舌の感触に我を忘れ、反射的にアスカの舌に己の舌を絡ませた。シンジは自分の下半身が熱く充血するのをはっきりと実感した。

「!!!…!……!……!…」
(……アスカ……)

 シンジは「前の歴史」で「ミサトが死ぬ直前、ミサトと『オトナのキス』を交わしていた」が、実はアスカはディープキスは初めてであった。しかし今夜のアスカはミサトに対し「変な対抗心」を燃やしていた事と、「知識」としては知っていたので、恐る恐るながらも思い切ってやってしまったのである。

「…!?……!…!……」
(えっ?! ……シンジ……)

 シンジはかつての「オトナのキス」を思い出して夢中でアスカの舌に自分の舌を絡ませ続けていた。アスカは「シンジの意外な行動」に少し驚いたようだった。

「…!……!……!……」
「……!…!……!……」

 暫くしてシンジは重ねた唇を離した。アスカはそっと眼を開いた。

「今夜のこと、ミサトにはないしょよ……。ね……」

「うん……」

「じゃ、もうねようか……」

「そうだね。……おやすみ」

 二人はソファから立ち上がった。

 +  +  +  +  +

 部屋に戻ったシンジはベッドに入って毛布を被ったが妙に興奮してしまって寝付かれない。手にはアスカの頬の温かさが残り、唇にはアスカの唇の甘さがこびりついている。

「……アスカ……、ん……、あ……」

 シンジは多少の罪悪感を感じながらも、無我夢中で下腹部に手を伸ばしていた。

 +  +  +  +  +

「……う、うーん、……朝か……」

 シンジは窓から差し込む朝日で目覚めた。時計を見るとまだ5:30である。そっと起き出してトイレに行くと、丁度アスカも起きて歯を磨いている所だった。

「あ、……おはよう」

 昨夜の「ソロ活動」を思い出してシンジは少し恥ずかしくなったが、無論アスカがそんな事を知っている筈はない。

「あらシンジ、おはよう♪」

 アスカはえらく機嫌が良い様子である。その理由が昨夜のシンジの「積極的な行動」にあると言う事は、流石にシンジには判らなかった。

「ミサトさんは?」

「とうぜんまだねてるわよ。きのうすごくおそかったみたいだしね」

 続く



この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。

BGM:'主よ、人の望みの喜びよ ' mixed by VIA MEDIA

夏のペンタグラム 第七話・外柔内剛
夏のペンタグラム 第九話・杯酒談笑
目次
メインページへ戻る