第一部・原初の光
原初の物がまず成立したが、その性質はまだ確立していなかったので、名前も動作もなく、その形を知る者はだれもいなかった。
その後、天と地が分かれた時、アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カムムスビの三神が初代の創造主となり、女と男とを分けた。それにより、イザナギとイザナミの二神が次代の創造主となった。
イザナギは死んだイザナミを追って黄泉の国に行った後、この国に戻り、眼を洗った。その時、太陽と月が生まれた。また、海で禊をした時、多くの神を生んだ。
古事記・序文より
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初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
この言葉は初めに神と共にあった。
全ての物は、これによって出来た。
出来た物の内、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光は闇の中で輝いている。そして闇はこれに勝たなかった。
ヨハネによる福音書・第一章より
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「偉大なる如来達よ。私に教えを与え給え。難行苦行に耐えても真実に辿り着けないと仰るのならば、一体どのような修行をすれば、私は真実に辿り着けるのでしょうか?」
修行者に問われた如来達は答えた。
「真実に辿り着く事を象徴するマントラを、『好きな回数だけ』唱えればよい。そのマントラは、
『om cittaprativedham karomi (オーム・チッタプラティヴェーダム・カローミ)』
である」
金剛頂経・正宗分より独自解釈
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「修行者よ。私、大日如来は、無量百千倶胝那由多劫の昔に、真実諦語、四聖諦、四念処、四神足、十如来力、六波羅蜜、七菩提宝、四梵住、十八仏共法を修行し、蓄積しておいた。君達はこの蓄積を自由に使う事が出来る」
大日経・入曼荼羅具縁真言品第二之余より独自解釈
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その時大日如来は、四魔を降伏し、六趣を解脱し、一切の智慧を得る金剛のマントラを説いた。そのマントラは、
「namah samantabuddhanam a vi ra hum kham (ノーマハ・サマンタブッダナム・ア・ヴィ・ラ・フーム・カハーン)」
である。
「namah samantabuddhanam」は、「あまねき諸仏に帰命す」の意味であるが故に、そのまま「帰命する」の「om (オーム)」と言い換えられるので、このマントラは、
「om a vi ra hum kham (オーム・ア・ヴィ・ラ・フーム・カハーン)」
と言い換えられる。
大日経・悉地出現品第六より独自解釈
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波動関数の絶対値の二乗を、確率ではなく、測度として解釈する立場に立った時、この理論を観測問題に適用すれば、多元世界が解釈され得る。
量子力学・エヴェレット解釈
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第一話・胎動
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2000年9月13日。南極大陸。
「表面の発光を止めろ! 予定限界値を超えてる!!」
「アダムにダイブした遺伝子は、既に物理的融合を果たしています!!」
「ATフィールドが、全て解放されて行きます!!」
「槍だ! 槍を引き戻せ!!」
「だめだ! 磁場が保てない!!」
「沈んで行くぞ!!」
「わずかでもいい! 被害を最小限に食い止めろっ!!」
「ガフの扉が開くと同時に、熱滅却処理を開始!!」
「コンマ1秒でいい! 奴自身にアンチATフィールドに干渉可能な、エネルギーを絞りださせるんだ!!」
「すでに変換システムがセットされています!!」
「S2機関と起爆装置がリンクされています! 解除不能!!」
「地上に出るぞ!!」
ドオオオオオオオオンンンンッッッ!!!!!
南極大陸から、成層圏に達する程の火柱が上がった。
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1999年6月27日。日本国東京都。
トランシーバから小声が聞こえて来た。
『第二隊、準備はいいか。こちらは準備完了』
第二隊の警官も、小声で、
「第一隊、聞こえますか。こちら第二隊、準備完了です」
『よし、踏み込め!』
警官隊が一斉に家の前後から踏み込んだ。怒号が聞こえて来る。
「警察だ! おとなしくしろ!」
その次の瞬間、踏み込んだ警官達は次々にバタバタと倒れた。後方の警官の鼻に、微かにアーモンドのような甘い香りが漂う。
「いかんっ! 青酸ガスだっ! 全員退去っ!」
警官の怒号は悲鳴混じりの叫び声に変わり、何とも不気味な男の笑い声が響き渡った。
「わははははははっ! 全ての生きとし生けるものに永遠の解脱をっ!」
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1999年6月28日付、毎朝新聞朝刊より。
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「宗教法人摘発時に青酸ガス。警官、教祖、信者等多数死傷」
6月27日、警視庁は誘拐、殺人及び死体損壊の疑いでかねてから内偵中であった宗教法人「羯磨の光」(祇園寺羯磨教祖)の摘発に踏み切ったが、その際、教団側で予め用意してあった青酸ガスが放出され、警官7人が死亡。5人が意識不明の重体となった。
教団側は、祇園時教祖と本部に集結中だった信者142人が全て死亡。青酸ガスは摘発を予想して準備していたと思われる。
この教団は、無関係な人を誘拐し、「羯磨神への生贄の儀式」と称して、猟奇的な殺人行為を定期的に行っていたらしく、都内で行方不明になり、捜索願いの出ている人の内の何人かはこの儀式の犠牲になったと見られるが、詳細は不明。
今後の解明が待たれる。
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+ + + + +
「いやあ、しかし酷い事件でしたねえ。課長」
「全くなあ。俺達は命拾いしたが、最初に踏み込んだ連中には気の毒な事をした。まさか祇園寺の野郎、あそこまで用意していたとはなあ」
「青酸ガスで信者全員死亡ですからねえ。……信者連中は祇園寺の奴が青酸ガスを用意して集団自決する事を知っていたんでしょうか?」
「まあ、今後の詳しい調査を待たねばならんが、どうも全員覚悟の上だったようだな。信者の中に日記を詳細に付けていた奴がいてな。それを見ると、『6月27日に全ての生命体は永遠の解脱への道を踏み出す』とか何とか書いてあるんだ。おまけに、踏み込んだ時、丁度連中は儀式の真っ最中だったし、そこから考えて、覚悟していたんじゃないかと思うな」
「と、言う事は、青酸ガスは連中が集団自決するためのものであって、警察の摘発に対抗するための物ではなかった、と?」
「うむ。わしはそう見ている。たまたま6月27日に信者全員が集まって儀式を行うと言う情報が入ったから、一網打尽に、と考えて摘発に踏み切ったんだが……。それにしても後味の悪い事件だったなあ」
「そう言えば、今日は8月15日ですね。ちょうどあれから49日ですか……。旧盆の中日に四十九日とはシャレになりませんねえ……。ええええっ! うわあああああああっ!」
ゴオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!
その時、極めて強い地震が世界中を襲った。
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『臨時ニュースを申し上げます! 只今、日本全国で極めて強い地震が発生致しました! すぐに近くの火を消して下さい! すぐに近くの火を消して……』
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2015年5月1日。
ゴーストタウンと化した市街地にアナウンスが響く。
『本日午前12時30分、東海地方を中心とした関東中部全域に、特別非常事態宣言が発令されました。
住民の方々は、直ちに所定のシェルターに避難して下さい。
繰り返しお伝え致します。本日午前12時30分、……』
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地下軍事施設の発令室と思しき場所で、白髪の老人が口を開く。
「15年振りだね」
「ああ、間違いない。……使徒だ」
髭面で、眼鏡をかけた男が応えた。
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2011年8月15日。
ここは京都市の最南端のあたりにあるごく平凡な中年夫婦だけの家庭である。仕事を終えた夫が帰って来た。
「ただいま、帰ったで」
「ああ、あんた、お帰り。風呂わいてるで。ビールもひえてるさかい」
「おお、そらうれしいなあ。お前もなかなか人間が出来とるやんけ。……おっ。おまけにえらいごちそうやなあ。一体今日はどないしたんや?」
「あんたなに言うてんのん。今日はお義父さんの十三回忌やんか。それもお盆やで。お義父さんの好きなもんそろえたんやで」
「おお、そうやそうや。そうやんけ。…そやけど、あれからもう12年も経つんかいな。なんやかんや言うても早いもんやな。
親父もあの時東京なんぞへ行っとらへんかったら死なんですんだかも知れへんかったんやけどなあ。…まあ、今更こんなこと言うてもしゃあないなあ……。
そう言うたら、あれ以来、日本も季節がなくなってしまいよって、年中秋のお彼岸みたいな感じやさかいなあ。お盆ちゅう実感がちょっともあらへん。……まあ、京都も、昔みたいにクソ暑いことあらへんのはうれしいけど、首都がこっちになってしもうてからは、前以上にゴミゴミしてしまいよって、風情があらへんようになってもたなあ」
「そやけどあんた。しょうがないわな。あの時の地震と大津波で、東京も大阪も完全につぶれてしもたやろ。日本海側と内陸部の被害が少なかったんと、その時、皇太子はんがたまたま京都へ来たはって、……ああ、今は天皇はんやな、ここでそのあとの陣頭指揮とらはったよってに、そのまま京都が首都になったんやさかいな。まあしゃあないで。
……それと、今日、お昼のニュースでやっとったけど、ようやく国連で『復興宣言』したやんか。総理が総会で演説しとったけど、感極まったんか、今にも泣き出しそうな顔しとったで」
「まあ、そらそうやな。そう言うたら、今日はNHKでそのへんの特集やりよるわな。見たろかいな」
「その特番は7時半からやろ、まだニュースの時間とちゃうか」
「おお、そやそや、テレビテレビ。今日のニュースは、と……。もう終わりやんけ」
『……本日のニュースは以上です。尚、先ほど入った地震に関する情報をもう一度申し上げます。本日午後6時50分頃、島根県東部地方で地震がありました。出雲市で震度2です。津波の心配はありません。……………♪♪♪♪…♪♪♪♪♪♪♪…♪♪♪♪……』
「ちょうど番組がはじまるところや。ええタイミングやったな」
『♪♪♪♪…♪♪♪♪………………
皆様今晩は。本日は8月15日です。あの地球規模の大災害、「マハカーラ」からちょうど12年経ちました。それで本日は、「マハカーラからの12年を振り返る」と銘打ちまして、特別番組をお送り致したいと思います。
では、パネリストを紹介させて戴きます。
まず、政府と民自党からは、竹沢昭一 官房長官と佐川源次郎幹事長におこし戴きました。
次に、地球物理学専門でいらっしゃいます、京洛大学理学部の立原健三教授です。
そのお隣りが、同じく京洛大学からですが、こちらは文学部人文学科で哲学と宗教を専門に御研究なさっておられる神山崇教授です。
そしてそのお隣りが、SF作家で、ベストセラー「日本消滅」の著者でいらっしゃいます、大杉畢竟さんです。
最後に、財団法人日本気象研究所顧問でいらっしゃる、福田敏光さんです。
では、早速ですが、まずこの12年間を映像にまとめてありますので、それを御覧下さい』
『……1999年8月15日、世界全体で地球規模の災害が同時発生しました。
日本では太平洋沿岸全体に亘って、大規模かつ極めて強い地震が発生し、大都市は壊滅的な被害を受けました。特に東京と大阪は被害が極めて大きく、都市としての存在が出来なくなる程のものでした。
そしてその直後、鹿児島県から千葉県までの太平洋沿岸の都市を襲った大津波により、更に被害は拡大したのです。
史上初と言える程の大災害でしたが、幸いにして内陸部と日本海側の被害は非常に小さくてすみました。特に現在の首都である京都はほとんど被害を受けなかったのです。
そして日本海側に建設された原子力発電所は無傷に近い状態であったので、その後比較的早い時点で電力の供給を再開出来たため、復旧活動の大きな力になりました。
その後、通信が徐々に復旧し、情報が入ってくるに連れて、この地震が世界的規模で発生していた事が判明しました。
しかも奇妙な事に、日本だけでなく、世界的にも大都市圏に被害が集中していたのです。アメリカやヨーロッパ諸国も深刻な被害を受け、大都市は壊滅的な状況でした。
そして、その段階で事実上旧政府が消滅してしまった事が被害の拡大に拍車をかけました。東京がほぼ壊滅した事により、政府の機能が麻痺し、救助活動を全く行えない状況が十数日継続し、その間に、東京と大阪は大火災で焼け尽くされ、生存者は殆どいない状況にまでなってしまったのです。
更にその後、世界各地で超大型の台風が連続して発生し、被害を拡大させました。
日本では、幸か不幸か、台風による豪雨で火災は鎮火の方向へ向かいましたが、今度は大洪水が発生しました。
その上、地震の後に始まった地盤沈下で、東京と大阪は標高が十数メートル以上も下がってしまい、都市部だった所の多くは海面下に没しました。
この世界的大地震では、「歴史的に見て新しい都市」の被害が非常に大きく、古くからの町は比較的被害が少なかったのです。
日本では、京都、奈良等の古都の被害は非常に少なく、東京、大阪等の大都市に大きな被害が出ました。この現象は外国でも同じような状況でした。
また、総体的に見て南北アメリカ大陸やオーストラリア等の比較的歴史の浅い国の被害が大きく、中国、インド、地中海沿岸諸国等の歴史の古い国々は比較的被害が少なくてすみました。
日本では、「マハカーラ」の後、比較的被害が少なかった地方自治体を中心に、暫定日本政府が組織されました。
災害対策総本部を京都に置き、何とか残った通信網、交通網を駆使し、各自治体同士が連携を取って、警察、消防、自衛隊も総出動で、救助作業、復旧作業が開始されたのです。
この時、中心となられたのが、当時皇太子殿下でいらっしゃった、今上天皇陛下です。天皇陛下はその時、御公務で、当時の妃殿下、現在の皇后さまと京都にいらっしゃいました。
東京が崩壊し、事実上当時の政府も皇室も崩壊した事を受け、
「越権行為は承知の上です。この責任は、全て私が負います」
と仰られ、現在の皇居、当時の京都御所を即時に開放し、災害対策総本部の設置を京都府知事に要望されました。
そして自ら災害対策総本部長に就任され、テレビ、ラジオで全国民に対し、呼びかけられたのです。
「国民の皆さん。日本は今、未曾有の重大な危機に瀕しています。この危機を乗り切るためには、皆さん全ての協力がどうしても必要です。私がこのような行動に及ぶのは、憲法の規定から見て越権行為である事は充分承知の上ですが、その全ての責任は私が負います。京都に災害対策総本部を設置し、私が総本部長に就任致しました。私も全力を尽くしますので、どうか皆さん。一致協力し、この危機を乗り切るために力を貸して下さい」
災害対策総本部長に就任された天皇陛下は、自ら陣頭指揮に立ち、情報の収集、分析、それに基づく各方面への指示、等を行われました。
そしてその後、世界各国の王室に連絡をとり、この世界的危機に際して、各国ともに何とか助け合って救助活動を行うよう、協力を要請され、結果、
「この世界的危機を全ての国が協力して乗り切る事が出来るように、全ての王室は力を尽くす」
と言う、各国王室の共同声明が発せられるに至りました。
その後救助作業と災害復旧作業は着実に進みましたが、結果的に日本では、この大災害で四千万以上の人命が失われました。これは大都市圏の被害が大きかった事が最大の原因です。
話は前後しますが、地震の直後、各地の気象台や天文台から、驚くべき情報が発せられました。
地球の地軸がずれ、公転軸とほぼ平行になっている事が判明したのです。
そのため、全世界の気候が大きく変化しました。最大の変化は、「季節がなくなってしまった」、と言う事でした。
何よりも心配されたのは、「北極と南極の氷が溶け、海水面が上昇する事」でしたが、これは当初心配されたほどの事はありませんでした。
しかし、気候の大変化は世界全体に極めて深刻な影響を及ぼしました。農業は世界中で大打撃を受け、世界各地で深刻な飢餓が発生しました。
日本でも農業にかなりの影響が出ましたが、季節がなくなった事により、短期で収穫出来る作物への転換が比較的早く進んだ事もあり、深刻な食糧不足には至りませんでした。
社会の面では、大きな変化がありました。旧日本政府が壊滅してしまった事もあり、政治・社会体制を再構築せざるを得なくなったのです。
皇室も当時の皇太子殿下と妃殿下、そしてその時東京を離れていた一部の宮家を除いて、全員お亡くなりになられました。
無論、当時の天皇陛下も崩御され、皇后陛下も亡くなられました。当時の皇太子殿下、即ち今上陛下は、
「一段落するまでは現在の状態を維持すべきである。ましてや私は憲法の規定に反する越権行為を行っていると言われても仕方ないのだから」
と仰って、皇位継承を保留なされました。
そして救助作業が一段落したところで災害対策総本部長を辞任なされ、当時の京都府知事であった松山真次郎現内閣総理大臣に業務を引き継がれたのです。
その後天皇陛下は、
「私の今後の身分も皇室の存廃も、全て国民のみなさんに判断を委ねます」
との声明を発せられました。国民の一部には、「この際皇室を廃止すべきだ」と言う声もありました。また、逆に、「天皇の地位を確立し、政治体制に組み込むべきだ」と言う声もありました。しかし、国民の大多数は、「現在のままの形で皇位を継承されるべきだ」との意見でした。
そして、後に行われた「皇室の存続に関する国民投票」の結果、「現状のままの形」で皇位を継承される事になり、京都で践祚されて、天皇陛下となられたのです。
京都に設置された災害対策総本部は日本を代表する新政府のような形になり、そのまま新政府が樹立されました。
その頃世界各地で混乱と飢餓から局地紛争が勃発し、混乱に拍車をかけました。
アメリカもニューヨークの被害が深刻だったため、国連本部は壊滅状態でしたが、世界各地で生き残った国連関係部署とアメリカ政府を中心に、国連を再構築し、局地紛争の解決と治安維持に全力が傾けられました。
日本もこの動きに同調する事となり、自衛隊を世界各地に派遣する事になりました。
そのためには自衛隊を正式に憲法上の存在として位置付け、シビリアンコントロールの下に置かねばならないため、憲法も改正されなければならなくなりました。
しかし、国会も事実上壊滅し、生存している国会議員も皆無に近かったため、旧憲法の規定通りの手続きは事実上不可能でした。
そのため新政府は、旧日本政府の消滅と新日本政府の樹立を正式に宣言し、時限立法の形で新憲法を制定しました。そして新憲法はその後、国民投票を経て正式に制定されました。
その後国連の主導の下に、世界各地の紛争もようやく終息し、世界的大混乱も一段落しましたが、この大災害とその後の局地紛争、飢餓などで、世界の人口の約三分の一が失われたと推定されます。
そして本日、国連では「世界復興宣言」を行いました。
日本代表として国連総会に出席した松山総理も、日本の「復興宣言演説」を行い、ようやく新時代を迎える事となったのです。
さて、この12年を簡単に映像にまとめました。それでは、皆様にお伺い致します。
まず、竹沢官房長官。政府を代表して一言御挨拶を戴きたいのですが』
『では、政府を代表して申し上げます。
この12年、世界中が想像を絶する大混乱にみまわれましたが、この度ようやく、「復興宣言」を出させて戴くに至りました。これも全ての国民の皆様の御協力があったからこそです。
松山総理も、本日国連総会において、日本の復興宣言演説をさせて戴く事が出来ました。本当に有り難う御座いました』
『有り難う御座いました。
次に佐川幹事長に、政治についてお伺い致します。
まず、天皇陛下は本来直接国政には関与なさいませんが、「マハカーラ」の時、もちろん当時は皇太子殿下でいらっしゃったとは言え、「災害対策総本部長」に就任され、陣頭指揮までお執りになられた事は、今となってはどう評価させて戴くべきなんでしょうか』
『はい。まあ陛下御自身が、……失礼な言い方で申し訳ないのですが、気さくなお方でいらっしゃる訳でして、あの大混乱を目の当たりにして、「私に出来る事は何でもやる」、と仰って、本部長に就任なさった訳ですね。
確かに当時の憲法から見ればとんでもない話だった事なのは間違いないのですが、正直申しまして、あの時の御英断がなかったら、その後あれほど早く国内の混乱が収まったかどうか判りません。
しかも陛下のその後の御判断、御指示は実に的確でした。これは万人が認める所でしょう。
そしてその後、一段落して今の総理の松山京都府知事に業務を引き継がれた時、陛下御自身の御言葉を借りれば、「責任を取って蟄居」なされた訳ですね。
それから、政府内部でも天皇制をどうするかに関して色々と議論はありましたが、その時の世論を見る限りでは、国民の大多数は、陛下に感謝しこそすれ、「皇太子の暴走だ」と言うような声は皆無に近かった訳です。
その事もあって、国民投票が実施され、陛下はようやく践祚された訳なんですね。
即位の大礼は、陛下御自身の御希望もあって、「復興宣言」が出てから、と言う事になり、来年の年明け早々に行われる事になったのも御存知の通りでして。
それから、天皇制の事について言わせて戴きますと、これほど皇室に関して自由な論議が行えるようになった事は、昔では全く考えられない事でした。陛下御自身があのように行動なさった事がきっかけになったのだとは言え、皇室はすっかり「開かれ」ましたね』
『なるほど。では次に憲法についてですが、「あの混乱に乗じて制定された現憲法は無効である」と言う意見もあります。これについてはどう御考えでしょうか』
『憲法につきましては、確かに新政府による旧憲法の無効宣言と新憲法の発布と言う形を取らざるを得ませんでしたが、その後の国民投票と言う手続きを経て正式に制定されております。
更に、現憲法の最大の特徴は、「時限立法」である、と言う事です。
憲法の有効期限を10年とし、期限切れの時には国民投票を実施して継続するかどうか決めるようになっている訳ですね。
来年がちょうど国民投票の年でして、その時にまた国民の皆様の御審判を仰ぐ訳ですが、現在の所、国会の方でも現憲法に反対する意見は少数でして、世論調査の結果でも現憲法を支持する意見が多数ですので、一応、現憲法は国民の間に定着し、支持されていると考えております。
旧憲法の廃止に関しては、色々と意見もありましょうが、旧日本政府が崩壊してしまったため、全てが「一から出直し」と言う事になった訳でして、それ自体はやむを得なかったと言うべきでしょう。
今度の国民投票の時に、旧憲法に戻す法案を提出する動きも一部にはあるようですが、それも国民投票に委ねられますので、それ自体は大いに結構な事と思います。
こうして積極的に憲法について論議出来るようになった事は喜ばしい事と思いますね』
『なるほど。次は自衛隊に関して伺います。
新憲法では明確に自衛隊に関する規定が出来ました。防衛省の権限拡大と共に、名実共に完全に内閣の支配下に入った訳ですが、これに関しては如何でしょう』
『自衛隊が明確に憲法上の存在となり、内閣の支配下に入った事は、「シビリアンコントロール」の観点から見て、真に良かったと思います。
更に、現憲法では内閣総理大臣は公選制になりましたし、そう言う意味では完全に国民の総意に基づいて動く存在となった訳です。
この点に関しては野党の皆さんも認めていらっしゃいますしね』
『なるほど。どうも有り難う御座いました。
では次に、立原教授にお伺い致します。
「マハカーラ」の時に、地球の地軸が動くと言う大変な事が起こった訳ですが、一体これは何故起こったのでしょうか』
『これはですね。現在に至るまで色々と研究は続けられていますが、未だに明確な理由は判っておりません。
「マントル対流に大変動が起こったからだ」とか、「地球内部で大爆発が起こったからだ」とか、更には、「地球付近に小さなブラックホールが一瞬出現してすぐ消滅したからだ」とか言う説まで出ておりますが、いずれも決め手となる説明にはなっていませんね。
しかしですね。一つだけ言える事は、過去の地球でも、この手の地軸移動は何度か起こっていたらしい、と言う事です。
シベリアで発見されたマンモスの死体の中には、消化器内に消化されない植物が残ったまま発見された例があります。これも色々とは言われておりますが、一つの説として、地軸が急激に移動したのではないか、と言う意見があるのです。
急激に地軸が移動し、気温が急に下がったために食物を消化する間もなく凍死し、そのまま氷に埋まってしまった、と言う説明なんですね。
この説そのものの妥当性はともかくとしても、地軸移動と言う現象は、「全く有り得ない事」ではないのです。
但し、それと大地震の関係。その後の台風との関係は、必ずしも明確ではありませんね』
『大杉先生の作品の「日本消滅」では、プレートの変動により日本が消滅する、と言う設定になっていましたけど、「マハカーラ」をSFの観点から見るとどうなります? 大杉先生』
『いやー。全くあんな事が起こったら、それこそSF作家は「メシの食い上げ」ですわ。なんせ僕らSF作家の想像を超える出来事やったでしょう。
あんな事が起こったら、そらもう、SFっちゅうより、オカルト小説にしてやねえ、例えば、
どこぞの無謀なヤツが、面白半分に魔法を研究しおって、それで、これまた面白半分に三途の川に橋を架けよったと、
そのため地獄と現世に通路が出来てしもて、地獄の方から悪魔や妖怪が攻めて来よったさかいに、地球がムチャクチャになった、
てな設定にでもしたいところですわなあ。
まあ、こんな荒唐無稽な設定にでもせん限り、ちょっと、小説にもでけへん所ですねえ』
『そのあたりの事は、宗教界でも色々と言われているようですが、神山教授、如何でしょう?』
『かつて「ノストラダムスの予言」が流行した時がありましたね。
「1999の年、7の月。空から恐怖の大王が降って来る。アンゴルモアの…」と言うあれです。
まあ、月に関しては一月ずれましたが、旧暦とか何とか言えばこじつけられない事もないので、巷の新興宗教あたりでは、「マハカーラ」を、ノストラダムスの予言に絡めて宣伝する事も結構ありましたねえ。
しかし、キリスト教や仏教では「神罰・仏罰」等と言った事は一言も言っていませんし、公的には明確に否定しています。
キリスト教の「最後の審判」にこじつける意見はキリスト教系新興宗教、まあこれも言ってみればプロテスタントの一派と言って言えなくも無いのですが、そう言う所の関係者ですら明確に否定しています。
プロテスタント各派は言わずもがなでして、公式見解で否定していますね。
法王のみが聖書の解釈権を持つローマカトリックでは、ローマ法王が、「マハカーラは最後の審判ではない」と、これまた公式に否定しました。
仏教では元々「因果応報・諸法無我・涅槃寂静」を「三法印」としていますから、「仏罰」なんて概念は元々無いのです。
まあ、日本では、原始神道の影響で、「怨霊信仰」が根強くありますから、その絡みで、仏教系新興宗教では、「私達の言う事を信じないで邪教を信じたから仏罰が下ったのだ」とか言って信者集めの材料にしているようですが、こんなものはナンセンスですからねえ。
まあ、結論から言いますと、宗教界でも、「マハカーラ」については明確な説明はしていませんねえ』
『そもそも、この「マハカーラ」と言う言葉は、仏教から来ていると言いますが、そのあたりは如何ですか』
『この、「マハカーラ」と言うのは、サンスクリット語、つまり梵語で、「大いなる暗黒」とか「大いなる時間」とか言う意味なんですね。
日本では福の神で、七福神の中の一体である「大黒天」が、「マハカーラ」と言う名前なんです。
大黒天は元々インドでは破壊を司る大魔神でした。あまりに威力が強大なので、丁重に祭れば御利益があると考えられて福の神に転じ、密教の段階になって、仏法の守護神として仏教に取り込まれたのです。
これは日本で言う、「怨霊を丁重に祭れば御霊となって守護神となってくれる」と言う「怨霊信仰」と同じですね。ですから、仏教から来ていると言うよりも、ヒンドゥー教から来ていると考えた方がいいでしょう。あれだけの大災害でしたが、「何とか、災い転じて福となす、と言う事にしたい」と言う気持ちから、チベットの指導者、ダライ・ラマが提案して命名された訳ですね』
『なるほど。有り難う御座いました。次に福田さんにお伺いしたいのですが、地球的大変動により、地球から季節がなくなる、と言う大きな変化がありました。
これが結果的に気象に与えた変化と、それが社会に及ぼした影響は結果的にどうなんでしょうか』
『えー、これはでしゅね。まず日本から言いましゅと、日本は年中、秋の御彼岸みたいな気候になってしまったんでしゅね。
そのため、当初は降水量に対する影響とか、日照時間の変化が農作物に与える影響はどうなるかとか、色々と心配された訳でしゅ。ところが、一年間の降水量は殆ど変化がなかったんでしゅね。
梅雨はなくなりましたでしゅが、大体平均しゅると、三日に一回雨が降ると言う状態は同じでしたし、日照時間の方も、一年中同じ、6時から18時まで太陽が出る訳でしゅから、年中通して農業が出来ましゅので、かえってやりやしゅくなった訳でしゅね。
そうなったおかげで、計画的に農業を行えるようになりまして、日本では食糧危機を免れた訳でしゅ。
その代わり、台風は、年中来るようになりましたでしゅね。数の方は平均しましゅと、昔とおなじようなものでしゅけども。
日本海側や北海道では、冬の豪雪がなくなってしまいましたので、昔よりはずっと暮らしやすくなりましたでしゅね。
何よりも、気温が一定になりましたでしゅので、暖房がいらなくなりましたし、冷房も晴天で暑い日中に少しだけ必要な程度ですので、エネルギー節約には大いに役立っておりましゅでしゅね。
気象そのものに関しては、日本は年中秋になりましたでしゅから、天候の方も、昔で言う秋の空を基準にして考えるようになりましたでしゅね。
これは世界的に見ましても殆ど同じでしゅ。大体、同じ緯度の地域は、その地域の、「昔で言う秋」の気候が年中続くようになりましたでしゅね。
でも、それによって、極地では人が住みにくくなったのも事実でしゅね』
『有り難う御座いました。……さて、一通りお話を伺ったところで、この12年で世界がどう変化したかを、こちらのパネルを使って改めて説明させて戴きたいと思いますが……』
「なんや。ありきたりの内容であんまりおもろないなあ。チャンネル変えたろかいな。えーと今日の番組は、と……………………………………………………、
なんや、300チャンネルからあっても碌でもない番組ばっかりやなあ。まあ、最近のテレビは、地上波も衛星も全部デジタルになりよったさかい、チャンネル数はようけあるけど、番組の方はちょっとも進歩しとらへん。力道山の空手チョップとか相撲の若栃とかが懐かしいわ。
ドラマやったら、『番頭はんと丁稚どん』とか『スチャラカ社員』とか、思い出すなあ……」
「あんたなにアホなこと言うてんねん。そんなこと言うようになったちゅうのは、歳取った証拠やで。
……ああそやそや。それよりなあ。あのほれ、地震で旦那さんが亡くならはった、川上さんとこの息子さんのサトシちゃんな。確か今日、京都へ出て来やはるやんか。もう京都駅に着いた頃とちゃうかいな」
「おうおう。あの東京の川上はんかいな。気の毒なこっちゃったけど、確かサトシ君言うたら、長野の、奥さんの実家の方へ行っとったんやったな。
あの子が京都へ出て来るんかいな。あの子もたまたま奥さんの実家の方の長野へ行っとった時に、東京の地震で、川上はん亡くならはったんやったな。
奥さんもそのあと無理しやはって病気になってしもて亡くならはったんやった。ホンマ、気の毒やったな。
それで、サトシ君は、今、母方の苗字を名乗っとるんと違うたか?」
「そやで。ハガキが来とったやろ。今は、沢田サトシ、ちゅう名前や」
+ + + + +
2011年8月15日20時18分。
京都駅着20時17分のぞみ261号から、一人の少年がホームに降り立った。
続く
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。
BGM:'A Pain On My Heart ' composed by Aoi Ryu (tetsu25@indigo.plala.or.jp)
原初の光 第二話・宿命
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