第四部・二つの光




 2016年2月14日18:00。

 政府を始めとする各機関との連絡体制も一応確立し、世界全体が事態を収拾するために動き始めた中、IBO本部も漸く落ち着きを見せて来た。

 しかし、地下シェルターに避難していた一般市民は、地上の施設が全て破壊されてしまったために帰る家を失い、当分の間地下での避難生活を余儀なくされる事になってしまっていた。

 また、次々と入って来る情報で、ようやく今回の事件の全体像が見えて来た。

 日本では、京都と第3新東京以外の地域で、人間だけが、10日の夜から、所謂「神隠し」に遭っていたのである。地域によって多少の時刻の違いはあるとは言うものの、イロウルの侵攻による通信回線の妨害が収まった直後に、レリエルによって「異界に飛ばされていた」のだった。各方面でそれが判明して行くに連れ、大きな混乱が起こったため、政府が全国に臨時非常事態宣言を出し、何とか収拾の方向に向かいつつあった。

 しかし外国ではそうではなかった。こちらは未知の病原体と化したイロウルによって、多くの人の命が奪われていたのである。ただ、不幸中の幸いだったのは、感染した人でも命が助かったケースが沢山あったと言う事だった。それらの人々は、一時は熱と出血に苦しんだが、気力と体力で何とか生き残ったのである。無論、レリエルが消えると同時に、感染した人々も嘘のように回復して行ったのだった。

 世界各地のIBOの支部は、量産型エヴァンゲリオンによって悉く破壊され、生存者は殆どいない有様だった。

 何とか地球は破滅を免れたとは言うものの、「ネルフの負の遺産」によって再び世界全体が受けたダメージは大きく、その損害を取り戻すのには相当な時間と労力が必要であると言う事は否定しようがなかった。

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第三十四話・秘密

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 13:00から打ち合わせが再開された情報部では、今回の事件における事実関係の説明が漸く終わった、と言う所だった。

 何とか事態を理解した渡が、自分に言い聞かせるように、

「…と、言う事はだ。京都と第3以外の日本国民は、4日間、異次元世界に飛ばされていたと言う事だな」

 加持は頷き、

「そうだ。俺達が第2を調査した時は、街としては残っていたし、時々動物も見かけた。つまり人間だけが飛ばされていたんだ」

「うむ…、しかし奇妙な話だ。俺としてはだ、9日の昼前に通信が出来なくなった後、夜までその混乱が続いて、夜中になったら突然回復していた、と言うような記憶しかない。不自然な感じは全くなかったし、俺の周りの連中もそうだったぞ。何でこんなにうまく記憶がつながるんだ?」

 それを聞いた加持は、中之島に向かって、

「うーむ、博士、どう思われます?」

 中之島は、やや首を捻り、

「真実は最早何とも言えんが、一応の説明をつける事は可能ぢゃろう。即ちぢゃ、9日の昼前からの混乱で、みんな精神が錯乱していたと言う事に加え、事が起きたのも元に戻ったのも夜中ぢゃったから、不自然な感じを覚える余裕がなかった、と言う事ぢゃろうな。そう言う意識を持って回りを見んと、中々気付くものではないからのう」

 加持は頷き、

「成程。…どうだ、渡、納得したか?」

「まだ完全には納得出来んが、するしかあるまいな……。さてと、では、この話はこれでいいとして、最後に残った問題だ。碇ゲンドウと祇園寺はどうなった? 赤木リツコもだ」

「全員捕まえたが、祇園寺は死んだ。碇ゲンドウと赤木リツコは拘置室だ」

「そうか。では、連中の行動に関して、まずわかっている事から話してくれ」

「うむ。…ところでだ、連中の話をするとなると、それに関連してちょっとばかりおかしな話をせねばならん。今まで話して来たのは事件の経過に関する部分だから、そのあたりは端折ってたんだ」

「うむ、どんな事だ?」

 ここで、加持はやや苦笑して、

「実はな、俺も葛城も、『魔法使い』になったんだ」

「なにい!?」

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 2016年2月14日21:00。

「…虚構と現実の混同、か。なんとなあ……」

と、渡は嘆息を漏らすしかなかったが、改めて加持に向かって、

「で、お前ら、今も魔法を使えるのか?」

 加持は小さく首を振ると、

「それはわからん。虚構と現実が混同していた状態だったからこそ、俺達は魔法を使えた訳だ。今やろうとして出来るかどうかは疑問だな」

「そんな事、やってみりゃすぐにわかるだろう」

「それがなあ、どうも切羽詰った時でないと出来ないんだ。はい、魔法です、って訳には行かないな。…まあ、どっちにせよだ、そのあたりの事は今すぐにどうと言う事はない。これからゆっくり検討すればいいだろう」

「そうか、わかった。その件はこれでいいとしよう。…で、いよいよ最後の件だ。碇ゲンドウと赤木リツコの処置だが、これは警察に引き渡して貰わねばならん。早速手配したいと思うが」

「ああ、それは当然だろうが、もうちょっとだけ待ってくれんか」

「何故だ?」

「碇シンジ君がまだ戻っていない。二人を連行するのは当然として、せめて最後にだ、シンジ君に面会させてから、と言う事にしてやりたいんだ」

「成程な。…で、いつ帰って来るんだ?」

「予定では、明後日、16日の朝7時頃だ」

「わかった。連行するのは16日の夜にしよう。そのように手配しておく」

「恩に着る。…と、言う事で、話は終了だ。…冬月先生、中河原さん、持明院さん、中之島博士、まとめの方はこれで一段落、とさせて戴きますが、何かありますか」

 すかさず冬月が口を開き、

「私はない。これでいいと思うよ」

 持明院と中河原も顔を見合わせ、頷くと、

「私もない」
「ありません。これで結構です」

 中之島が、最後に、

「儂もこれでいいと思うぞよ」

 加持は頷くと電話に手を伸ばした。

『五大だ』

「加持です。こちらの方は一応終わりました。まとめたデータはマギに格納しておきます」

『了解した』

「それで、冬月先生、中河原さん、持明院さんには部屋に戻って戴いてもいいと考えておりますが、如何でしょうか」

『ああ、それでいいと思う。ゆっくり休んでもらっていてくれ。ただ、すまんが、君と葛城君と中之島博士には少々時間を貰いたい。こっちへ来てくれんか』

「はい、了解しました」

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 加持達三人が本部長室に入るや否や、五大が口を開き、

「実は、行方不明になったアカシャのカプセルの探索の件なのだが、現在使える設備と機器の全てを駆使して探索する方法を考えてみたんだ。それでだ、中之島博士が仰っておられた、向こうの世界の月の裏でアカシャが行方不明になった話と、こっちで零号機がレリエルに飲み込まれたあたりの経緯を考慮して分析してみた所、異次元空間に紛れ込んでいる可能性も否定出来ない。そのあたりを踏まえて、どこを探索すべきか、最善の方法を決定したい。一応のアイデアはマギに入れておいたから、博士にも見て戴きたいと思ってね」

 ここでミサトが、

「パイロットにはこの話はまだ伝えてないんですか?」

「うむ、まだ伝えていない。帰ってくる前に余計な情報を入れる必要はないと判断した。彼等が帰って来て、方策が確立してから伝えるつもりだ」

「何はともあれ、まずは見せて戴こうかの」

 中之島がオモイカネⅡを立ち上げ、ケーブルを接続した。

「博士、とにかくカプセルの探索には全力を尽くさねばなりません。ご協力をお願いします」

 深々と頭を下げる五大に、中之島は、

「無論ぢゃ。とにかくじっくり検討しようではないか」

「まず、異次元に行っていると言う推測の根拠なのですが……」

「ふむふむ……」

 その様子を見た加持は、

(な、言った通りだろ)

と、眼で言いながらミサトを見た。ミサトも真顔で頷き、五大に向かって、

「本部長、私にもデータを見せて下さい」

「おお、そこの予備端末を使ってくれ、ファイル名は、”search.for.capsule”だ」

「はい」

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 2016年2月16日07:00。

 予定通り、4機のカプセルはIBO本部に戻って来た。パイロット全員、仮眠を取りながらとは言うものの、50時間もの長旅に加え、サトシとレイが行方不明になった事による心労で疲れ切ってはいたが、とにかく大切な指示があると言うので、全員が待機室に集められた。

 テーブルに着いたパイロット11人の前には、五大、中之島、ミサトがいる。全員が着席した事を確認した後、五大が立ち上がり、

「みんな、本当にお疲れさまだった。おかげで、使徒も量産型も倒せたし、次元の壁の亀裂も修復出来た。君達の任務は全て完了した、と言う事になる」

 五大のこの言葉に、全員が溜息を漏らす。

「しかしだ、不幸な事に、アカシャのカプセルと一緒に、沢田君と綾波君が行方不明になってしまった。二日前には君達に探索してもらったが、何の手がかりも得られていない。ただ、幸いにして、オクタヘドロンは元々宇宙での作業用ロボットだから、かなり長期間単独で宇宙にいられる仕様になっている。カプセルに搭載されている常温核融合炉と反重力エンジンで、パイロットの生命維持は3ヶ月以上可能だ。宇宙食も大量に積んである。それを踏まえて分析を続けた所、何の手がかりも得られなかったと言う事は、逆に『カプセルの破片もみつからなかった』と言う事で、彼等が生存している可能性は大いにある」

 生存の可能性があると聞き、今度は全員が色めき立った。

「それでだ、中之島博士と一緒に検討したのだが、帰ってきた4機のカプセルの内、3機を無人探査機に改造してだ、徹底的に探す事になった」

「「「「わああーっ!!」」」」

パチパチパチ!!!!
パチパチパチ!!!!
パチパチパチ!!!!
パチパチパチ!!!!
パチパチパチ!!!!

 期せずして歓声と拍手が湧き起こる。

「静かに静かに。…で、それに関しては、この後で中之島博士に詳しく説明してもらうが、その前に、君達に重要な話がある。…葛城君」

「はい」

 ミサトは立ち上がり、

「あなたたちもわかってると思うけど、第3新東京は壊滅的な被害を受けました。正常な市民生活を行う事は現在は不可能ですし、ここもかなりのダメージを受けています。それで、昨日政府が決定したんだけど、復旧が終わるまでの間、市民は全て疎開し、IBO本部も京都に移すことになりました」

「「「「ええっ!?」」」」

 ミサトのこの言葉には、流石にどよめきが上がった。ミサトは続けて、

「京都には現在協力関係にある京都財団の研究所が何ヶ所かあります。その内の一つ、鷹峯にある北山研究所に必要なデータとカプセルを移し、アカシャのカプセルを探索する作業はそこを本拠地として行います。それから、探索業務に直接関係のない一般スタッフや研究員は、松代の実験場で業務を続ける事になっています。それから、当然と言えば当然なんだけど、みんなの学校の事もあるし、全員京都の学校に転校してもらいます。あ、もちろん、北原さん、形代さん、綾小路さん、草野君は関係ないわよ」

「………………;」
「………………;」
「………………;」
「………………;」

 四人のオクタヘドロンのパイロット達は少し苦笑した。

「それから、洞木さん、鈴原君、相田君のご家族は、一緒に京都に行く事になっているから心配いりません。安心して下さい。それで、引越しなんですが、今日は16日の金曜日で、移動は来週の木曜日、22日に行います。みんな荷物をまとめておいて下さい。…さっきも言ったけど、基本的に、私たちと中之島博士は、北山研究所に所属する事になりますから、そのつもりでいて下さい。…何か質問ある?」

「すみません。いいですか」

と、立ち上がったのはカヲルである。

「最終的に、第3が復旧されたら、またここにもどってくるんですか?」

「その予定よ。ただし、いつになるかはまだわからないけどね」

「はい。わかりました」

 そう言ってカヲルが着席するのと入れ違いにトウジが立ち上がり、

「すんまへん、ワシも一つ。…あの、向こうの世界から来てくれたみなさんなんでっけど、帰るのは、どうやって……?」

 ここで、中之島が立ち上がり、

「それは儂が答えよう。アカシャのカプセル探索にも関係しておるでの」

「そうなんでっか」

「うむ、儂等は『次元の通路』を通ってこちらに来た。しかし、事件を一応解決した事でぢゃ、その通路が塞がってしまった可能性もないとは言えんのぢゃ」

「えっ?! そうすると、帰れへん、ちゅうことに?」

「そうなるかも知れん。実は、アカシャのカプセルに積んであるオモイカネⅡがそのあたりの鍵を握っておってのう。どっちにしても、アカシャのカプセルが見つからん事にはどうにもならんのぢゃ。無論、見つかったからと言うて、帰れる保証はないが、見つかりさえすれば、帰れる可能性もある。その意味で、何としてでも見つけねばならんのぢゃよ。それまでは、また、場合によってはこれから死ぬまで、こっちの世界で世話にならなければならん、と言う事ぢゃ」

「そうなんでっか。…わかりました」

「もうついでぢゃから言っておこうかの。アカシャのカプセルがあれほど見事に消えてしもうたと言う事は、『異次元』に紛れ込んでおる可能性が高い。それを踏まえて探索せねば、闇雲に探しても意味がないからのう。本部長が君達の探索を一時中止して全機を帰還させたのはそのあたりもあるのぢゃよ」

 中之島の言葉で、五大の処置に対して不満を持っていないとは言い切れなかったパイロット全員の顔にやや明るさが戻った。

「カプセルを1機だけ残すのも、それを元にして新しい宇宙飛行機を作るためなのぢゃ。全部飛ばしてしまったのでは、材料が残らんからのう。…ま、儂からはこんな程度ぢゃな」

 ここで、五大が、

「他に質問はないか? …と、言っても、中々思い浮かばんだろうな」

と、苦笑しながら言った後、一呼吸置いて、

「とにかく、この話はここまでとしよう。また何か質問があったら、私なり葛城君に聞いてくれればいい。とにかく全員、ゆっくり眠ってくれ。では解散する」

 パイロット全員、入ってきた時とは全く違う明るい表情で部屋を出て行った。

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 2016年2月16日17:00。

トゥル トゥル トゥル

「う、うーん……」

 シンジは眠い目をこすりながら受話器に手を伸ばした。

『シンジ君、俺だ』

「あ、加持さん」

『これから大切な用事がある。悪いが着替えて情報部に来てくれ』

「え、あ、…はい……」

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 シンジが情報部にやって来ると、そこには加持の他にミサトと五大と冬月、それから知らない人物が一人いた。加持が口を開く。

「シンジ君、こちらは俺の昔の同僚でな、内務省の渡だ」

「あ、はい。…碇シンジです」

「渡です」

 加持は続けて、

「それでな、君に来てもらったのは、他でもない。君の父親でもあり、今回の事件の首謀者でもあった、碇ゲンドウ前ネルフ司令の事だ」

「は、はい……」

 シンジが肩を落とす。加持は続けて、

「もうわかっていると思うが、碇前司令と赤木リツコ博士は、身柄を拘束してここの拘置室に閉じ込めてある。それで、これから、身柄を警察に引き渡す事になっている」

「!!!!……」

「それで、最後に君に面会のチャンスを、と言う事だ。一緒に来たまえ」

 しかし、一瞬の沈黙の後、シンジは俯いたまま、

「…加持さん、僕、行きません……」

「気持はわかるが、これで本当に最後だ。どう考えても、もう生きて二度と会えないぞ」

「かまいません。あんな人間、父親とは思っていませんから」

 俯き加減のシンジの表情は硬い。ところが、ここで五大が、

「碇君、ならばこそ、会うべきだ」

「えっ!?」

 驚いて顔を上げたシンジに、五大は、

「父親と思っていないのなら、今回の事件の首謀者たる碇ゲンドウを、最後にもう一度見ておいた方がいい。君の今後の人生のためにもな」

「…………」

 淡々と語る五大の言葉に、シンジは何も言えなかったが、やがて意を決したように顔を上げ、無言のまま頷いた。

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 拘置室で、拘束服を着せられたまま監視されているゲンドウとリツコの所に、シンジ、ミサト、加持、五大、冬月、渡の六人がやって来た。

「!!!……」
「!!!……」

 流石にゲンドウもリツコも憎しみに満ちた表情をしている。一瞬の沈黙の後、五大が口を開き、

「六分儀、いや、敢えて碇と呼ばせて貰うか…。形勢は完全に逆転したようだな。大変な手間と労力、それから犠牲も払ったが、事態は一応収拾させた。最早貴様は何も出来ん、ネズミ捕りに掛かったドブネズミと一緒だ。観念するんだな」

「………」

 明らかに侮蔑の表情を浮かべて語る五大に、ゲンドウは憎しみを込めた視線を投げ付けたが、それだけの事だった。五大は続けて、

「どうしたね。あれだけ大言壮語した割には、えらく元気がないじゃないか。何とか言ったらどうだ」

 ゲンドウは、五大を睨み付け、

「五大、殺せ……」

 しかし、ゲンドウのこの言葉に、五大は、

「殺せ、だと? 貴様、そんな祝福を与えて貰えると思っているのか? 貴様は裁判にかけられて、死刑判決を受ける事は間違いないだろうが、京都財団の総力を尽くして関係者に圧力をかけ、執行はされないようにしてやる。死刑囚のまま、一生苦しみ抜くがいい。それが貴様に許された唯一の懺悔だ」

と、失笑した。

「くっ、クソっ……」

 思いもよらない憎悪に満ちた五大の態度に、ミサトも加持もシンジも、唯々呆気に取られている。五大は続けて、

「ユイ君とマイ君があんな一生を送らねばならなくなったのも、全て貴様のエゴのせいだ。苦しみ抜いて死んだ後は、無間地獄で永久に苦しめ。晴明桔梗の秘術を駆使して、地獄行きの片道切符も用意しておいてやる」

「……………」

 更に、あろう事か、

「おい、何とか言えよ。この、便器にこびりついたクソカス。貴様は、ゼーレと言う虎の威を借りなきゃ何も出来ない、薄汚いクソ狐だったのかね? まあ、貴様程度の人間だったら、この結末も当然と言えるだろうな。どうせこれから一生貴様は拘置所暮らしだ。トイレに籠ってユイ君の事を思い出しながら、オナニーでもやって、死ぬまで生臭い精液を垂れ流してろ。ぎゃははははは。いい気味だな」

 信じ難い程の五大の罵倒と侮蔑に、誰も何も言えなかったが、突然シンジが口を開き、

「本部長、もう、やめてください」

 全員が驚いてシンジを見る。特に五大の驚きは尋常ではなかった。

「碇君……」

「こんな人間でも、僕の父親です。息子として、僕ができることはしなくちゃ、と思いました」

 淡々と語るシンジの言葉に全員が絶句する。

「父さん……」

 ゲンドウは驚いて顔を上げた。

「もうなにも言わないよ。…でも、僕の父親として、最後に、息子の僕に恥ずかしくない行動をとってほしいんだ……」

「………………」

 ゲンドウの肩が細かく震えている。

「きちんと罪をつぐなって、僕の父親として、母さんの夫として、恥ずかしくないように、残った人生を過ごしてください。…息子の僕から、最初で最後のおねがいです……」

「…………うっ、………うっ、…………ううっ………」

 何と、驚いた事に、ゲンドウが嗚咽を漏らし始めたではないか。

「父さん、さよなら。…母さんによろしくね……」

 この一言が決め手となった。

「ううっ! うわああああっ!!! 私は、私は、非情にさえなり切れない、ただの弱い人間だった!! お前の母さんが死んだ時、全ての望みをなくしてしまって!!! うわあああああっ!!!!」

 シンジは大声を上げて泣きじゃくるゲンドウに近付き、肩にそっと手を置いた。しかしゲンドウは泣き続けるだけである。

 その時、

「…五大、さんとおっしゃいましたね……」

と、突然リツコが口を開いた。全員の視線が集まる。

 リツコは淡々と、

「お気の毒ですが、あなたの望みは叶いませんわ」

「どう言う事だ?」

 五大が訝しげに訊く。リツコは軽いため息を一つ漏らした後、

「…私も、碇司令も、ウィルスをもてあそびすぎました。計画通りに進んでいればよかったんですが、こうなってしまったらもうどうしようもありません。二人とも、ウィルスに内臓を冒されて、後、3ヶ月ぐらいの命ですわ…」

 ゲンドウがぎょっとしてリツコを見る。

「リツコ君……」

「そう言う事ですわ。…申し上げたでしょ。…最後までお付き合いさせていただく、って………」

「!!!……」

 ゲンドウは絶句したが、ややあって口を開き、

「五大」

「何だ」

「レイはどうしてる?」

「…行方不明になった。みんなを救うためにな……」

「!!!!!!!………」

 またもや絶句したゲンドウに五大が畳み掛ける。

「もうこの際だ。全て吐いたらどうだ?」

「……………………」

 しかしゲンドウは何も答えない。

「ならば私が代わりに言ってやろうか。…綾波君は、実は、あの時行方不明になった、あの子なんだろう」

「!…………」

 ゲンドウが驚いて顔を上げる。

「やはりな……」

と、五大が嘆息を漏らす。そこにミサトが割り込み、

「本部長、レイは、やっぱりあの、生後すぐに行方不明になった、マイさんの娘だと!?」

「ああ、そうだ。今の碇の顔でわかっただろう。…碇は、当時は六分儀だったが、元々はな、マイ君と付き合っていたんだ」

「えっ!?」
「えっ!?」
「!………」

 ミサトとシンジは声を上げた。加持も驚いたようだ。

「……ところが、何とも皮肉な事に、マイ君にはユイ君と言う姉がいた。実は、最初にユイ君が交際していたのは、私だったのだ」

「!!!……」

「………………」
「やっぱり……」

 シンジはかなり驚いたようだが、ミサトと加持は、「さもありなん」と言う顔をした。五大は続けて、

「ゼーレは、ユイ君の形而上学の知識に目を付けた。そしてユイ君に巧みに接近し、自分達の組織に取り込んだんだ。…段々そちらの活動に深入りするに連れ、ユイ君は私から離れて行った。それが彼女自身の意思によるものなら、私も何も言わなかったんだが、最初は私と一緒に東洋神秘思想を研究していた彼女が変に西洋神秘主義に傾いて行くのを奇妙に思った私は、ユイ君の行動の背景を調べた。それでゼーレの事を知り、愕然とした。…しかし、その時は、彼女がそちらの道に行くのならそれはそれである程度はやむを得ないと思ったんだ。それは彼女の自由だからな。…それで、一応はユイ君に対し、ゼーレの胡散臭さを指摘する事はしたんだが、それ以上は何も言えなかった。…それがきっかけで、ユイ君は私と交際する事をやめた。…今となれば、当時、もっとゼーレの事について詳しく知っていたら、それこそ、体を張ってでも止めたんだがね。…私はその後、縁あって晴明桔梗に入った。それで彼女とは完全に縁が切れてしまったんだ」

「………………」
「………………」
「………………」

「………………」

「………………」

 シンジ、ミサト、加持、リツコの四人は、五大の話を何も言わずにじっと聞いている。ゲンドウは俯くだけだった。

「元々マイ君と交際していた碇は、ある時たまたまユイ君とゼーレとの関係を知った。それで、猛烈に西洋神秘主義の知識を仕入れ始めたんだ。そして上手くユイ君に近付き始めた。…マイ君はまさか自分の双子の姉と碇がおかしな関係になるなどと言う事は考えもしていなかった。…この二人は、双子とは言っても性格は対照的でね。マイ君は情熱家で激情タイプ、ユイ君はおっとりとしていて、後先の事を考えない性格だった。…碇がユイ君に接近した事を知ったマイ君は愕然として二人をなじったが、その時点ではもうどうしようもなかったんだ。…それで、マイ君は激怒して京都を去って行った。…その後は君達も知っての通り、碇はユイ君と結婚して碇ゲンドウとなった。…所が、結婚後しばらくしてトラブルが一つ起こった。京都を去っていたマイ君が突然碇の前に姿を現したんだ。…碇は、マイ君の『どうしても一度だけ、最後の思い出に』と言う言葉に逆らえなくなり、一夜を共にした。…それから暫くは何もなかったのだが、2001年の7月、突然マイ君が再び碇の前に姿を現した。生れたばかりの女の子を連れてな…」

 ミサトは思わず口を開き、

「その子がレイ……」

 五大は軽く頷き、

「そうだ。…マイ君は碇に詰め寄って言った。…あなたの子供だ、あなたが前から言っていたように、男ならシンジ、女ならレイ、それでこの子はレイと名付けた、とね。…しかし碇は冷徹に言った。…自分はあの時射精していない。どうしても自分の子だと言い張るのなら、遺伝子を調べる、とね…。そう言われたマイ君は愕然として引き下がらざるを得なかった。…実はその子は、碇の子じゃなかった……」

「本部長!! まさか!!」

 顔色を変え、詰め寄ったミサトに、五大は苦笑しながら、

「違うよ。…今となってみれば、私の子ならかえってよかったのかも知れんがね。…その子の父親はマイ君にもわからない。人工授精で生れた子だったんだ」

「!!!……」

「どうしても碇の心を取り戻したかったマイ君は、そこまでやってしまったんだ。…しかし、その目論見は失敗した。…乳飲み子を抱え、絶望したマイ君はその子を道連れに自殺を図った。発見が早かったため、一命は取り留めたんだが、それが元で彼女は廃人になってしまったんだ。そうなっては無論子供を育てる事なんか出来やしない。その子は施設に引き取られたんだが、心中未遂の後遺症とアルビノだった事もあって健康を害し、それが元で自閉症になってしまった。…そしてそのまま施設で育てられたんだが、2004年、ユイ君が亡くなった年に、どうしても、と言う希望者が現れて、養女に出された。ところが、その後行方がわからなくなってしまった、と言うのが一連の話だ……」

 一瞬置いて加持が口を開き、

「本部長、どうしてそんなに事情をよくご存知なんです? それに、行方不明になったと言うマイさんの子供は、私が調べた限りでは、生後間もなく行方不明になった、と言う事でした。施設に引き取られていた、と言うのは初耳です」

「そうだろうな。…その子が生後間もなく行方不明になった、と言うのは本当だ。何故なら、私の子と言う事にして、私が施設に預けたからだ」

「ええっ!?」
「ええっ!?」
「ええっ!?」

 シンジ、ミサト、加持の三人は驚くしかなかった。

「マイ君が京都を離れた後、彼女は私に何度か相談を持ちかけたのさ。どうしても碇の心を取り戻したい、とな。…私はやめるように説得した。しかし彼女は聞かなかったんだ。…その結果、『レイと言う女の子』が生れた、と言う事だよ。…マイ君が自殺未遂で廃人になってしまった後、私は責任を感じてその子を引き取ろうともしたんだが、最終的には当時の私にはどうしてもそこまでは出来なかった。それでやむなく、せめてもと考えて、その子を施設に入れたのだ。ところが、さっきも言ったように、その子は本当に行方不明になってしまった。…しかし今となっては真実は明らかだ。ユイ君の事故の後、何とかユイ君の復活を望む碇は、あちこちに手を回して、マイ君の行方を突き止めたが、幸か不幸か、消息が判明したのは、彼女が死んだ直後だったんだ。しかし何としても『生身の碇ユイ』を取り戻したかった碇は、『少しでも近いもの』を、と言う事で、手を回してその子を手に入れた。そしてその子が『綾波レイ』となった。…どうだ。違うか? 碇……」

「…………………」

 ゲンドウは何も答えない。しかし、その表情から、「真実は明らか」だった。五大は更に、

「碇はその後、『綾波レイ』の記憶をいじった。『自分のだけのもの』にするためにな。…そしてその後、彼女を元にクローンを作った、と言う事だ。しかし、クローン計画は上手く行かなかったし、『一人目の綾波レイ』は殺されてしまった。それでやむなく、『二人目の綾波レイ』には、『オリジナル』を充てた、と言う事だな…。オリジナルだったからこそ、リリスの遺伝子も組み込まれなかったんだ。それで、綾波君は、最後に自分の心を取り戻す事が出来たんだ……」

「…………………」

 ゲンドウは何も言わずに俯くだけである。

 五大は、

「私の話はこれで全て終わりだ」

と、締め括った後、渡に向かって、

「渡さん、お願いします」

「承知致しました」

と、軽く一礼した後、渡はスマートフォンを取り出し、

「………私だ。頼む……」

 間もなく屈強の警察官が四人やって来た。渡は彼等に目礼した後、加持に向かって、

「加持、それじゃこれで」

 渡はそう言うと、ゲンドウとリツコを連行すべく、四人の警官に指示を下した。

「…………………………」
「…………………………」

 無言のまま俯き、連行されていくゲンドウ。その姿を淡々とした表情で見送るシンジ。

 ややあって、加持が、

「シンジ君、葛城、俺達も持ち場に戻ろうか……」

「はい……」

「ええ……。あ、そうだわ。私は時田さんの所へ行って来るわ」

「そうだな。俺も行くよ」

 三人は五大と冬月に一礼すると、拘置室を出て行った。

「…これで、終わりだな……」

 ポツリと漏らした冬月に、五大が、

「これから、どうなさいます?」

「早速、寺に戻るよ。…君には本当に世話になった。…ありがとう」

 冬月はそう言うと、右手を差し出した。五大はその手をしっかりと握り、

「こちらこそお世話になりました。お元気で。…仏縁があれば、今生でまたお会いしましょう」

「ああ、そうだな」

 冬月はそう言うと去って行った。

 +  +  +  +  +

 JA臨時ベースキャンプ。

 全ての仕事を終え、最後の撤収作業を行っている時田達の所にミサトと加持がやって来た。

 作業そのものは二日前から始めてはいたが、ようやく全ての後片付けを終えて、日重共に帰るのが今日なのである。

「時田さん、加納さん、今回はほんとうにお世話になりました」

 深々と頭を下げるミサトに、時田は微笑んで、

「いえ、そんな。…お役に立てて何よりです。…しかし、感無量ですよ。私とあなたの昔の因縁を考えるとね」

「えっ? ええ、…ほんとうにそうですね」

 ミサトは何とか応えたが、加持は無言のままややバツの悪そうな顔をしている。その時、時田がニヤリと笑って、

「今だから笑い話ですが、あの時のJAの事故、京都財団からの情報で、真相は知っているんですよ」

「えっ!?」
「えっ!?」

 ミサトと加持は思わず冷汗をかいた。時田の隣では加納が笑っている。時田は続けて、

「まあ、もう済んだ事です。それに、あの時はこちらにも付け込まれる隙もありましたしね……」

「はあ……;」
「はあ……;」

「では、これにて。加納さん、行きましょうか」

「行きましょう」

 恐縮している二人を置いて、時田と加納は去って行った。

 +  +  +  +  +

 2016年5月21日。京都。

 IBO本部が京都に移ってから3ヶ月が経過した。

 中之島を中心とするプロジェクトチームは、3月早々には、ヴァーユ、アグニ、ヴァルナのカプセル、計3機を改造した探査機を完成させ、すぐに飛ばしてアカシャのカプセルの探索を開始したが、サトシとレイの行方は杳として知れなかった。

 北山研究所のレーダーにフェイズ・スキャナを組み込み、異次元空間を抜けてやって来る信号をキャッチしようともしてみたが、何の成果も得られなかった。

 更に、その探索を行った結果、皮肉な事に、次元の通路の構造が一部判明した。即ち、次元の通路の出入口となっていたのは、やはり、「レリエルのディラックの海の部分」、即ち、「次元転換装置」だったのである。そのため、中之島達は、今のままでは元の世界に帰れそうもない、と言う状況になってしまった。

 リョウコ、アキコ、大作、ゆかりの四人も、中之島の助手となって毎日研究と探査に没頭していたが、こう毎日毎日何の手かがりも得られないままに時間だけが経過して行くと、流石の彼等にも諦めの感情が湧き起こって来る事を止められなかった。

 シンジ達七人のチルドレンは、京都の学校に転校した後、3年生に進級した。身分としてはIBOのチルドレンのままなので、交替で毎日誰かが研究所に通い、脳神経スキャンインタフェースを頭に着けて「霊的探査」を行っていたが、これと言った結果は得られていなかった。

「3ヶ月」と言う数字は、「アカシャのカプセルでの生存可能時間」の一つの目安である。その時間が経過したと言う事も、彼等にとってはプレッシャーとなっていた。

 +  +  +  +  +

 アスカとシンジはミサトと同じマンションの別室にそれぞれ移り住んでいた。

「じゃ、つぎはあたしがひくわよ」

と、言いつつアスカがタロットカードを繰って引く。



「またこれだわ」

「じゃ、僕ももう一度やるよ」

と、言いつつシンジが引く。



「またこれだ……」

「ほんとねえ、いったいどうなってるのかしら……」

 サトシとレイが行方不明になってから、シンジとアスカは何度もタロットで二人の行方を占っていた。京都に来てからは、時間の都合が付いたらどちらかの部屋に集合し、気がすむまで占い続けていたのである。そして、実に不思議な事に、アスカが引くと「10:運命の輪」が、シンジが引くと「21:世界」が高確率で出現するのだった。これが偶然だとは、とてもではないが二人には思えなかった。

 しかし、このカードが頻発したからと言って、具体的に何を意味しているのかは良く分からない。ただ何となく、「時間が解決してくれる。その時を待て」とカードが告げているようにも思えるが、所詮は占いである。悪い結果ではないだろうと言うぐらいの気休めにしかならなかった。

「あたし、もういちどひくわ」

と、いいつつ、アスカがカードを引いた。



「あ、これひいたの、はじめてだわ!」

「そうだね。この占いでは初めてだよ。……僕ももう一度引くね」

と、シンジも引いた。



「あっ!」
「あっ!」

 二人は同時に声を上げた。この占いで「18:月」を引いたのは二人共初めてであり、しかもそれが連続した。「何かあるのではないか」と思いつつも、これが何を意味するのか、やはりこの時のアスカとシンジには分からなかった。

 +  +  +  +  +

 17:00。第2新東京拘置所内の医療部。

 ゲンドウとリツコが並んでベッドに寝かせられ、苦し気に肩で息をしている。その傍には医師と看護婦が。

カチャッ

 ドアが開き、医師と看護婦がそちらを見る。入って来たのは渡だった。

「どうです?」

 医師は無言で軽く首を横に振る。

 それを見た渡は、ゲンドウの所に行き、

「何か言い残す事はないか」

と、訊いた。しかしゲンドウは、苦しげな表情の中、軽く笑うと、

「……シンジに……」

「うむ」

「……すまなかった、と……」

「わかった」

 渡は頷くと、今度はリツコに、

「お前はどうだ?」

 リツコも苦し気な息遣いの中から、

「……碇…司令…」

 それを聞いた渡は、ゲンドウに、

「聞いてやれ」

と、言って一歩下がった。リツコは、

「…碇…司令…、私と…、あなたが…、こう…なったのは…、どう…してだか、…おわかり…ですか……」

 ゲンドウは何とかリツコの方を向き、

「今…更…、なにを…言う。…ウィルス…に、やられた…から…だろうが……」

 それを聞いたリツコは軽く苦笑して、

「やっ…ぱり…、あなた…は、女の…気持ち…なんか、全然、…わかって…らっしゃら…ないん…です…ね……」

「どう…言う…、事…だ…」

 訝しげに尋ねるゲンドウに、リツコは、

「その…、ウイルス…を、仕込んだ…のは、私…です…」

「なにっ…?」

 リツコのこの言葉には、渡と医師も驚いている。リツコは続けて、

「私…は、結局…、あなた…に…とっては…、おもちゃ…で、しかなかった…んです…。…でも…、これで…、私と…あなたは…、永遠に…、一緒…です…」

 それを聞いたゲンドウは、軽く苦笑して、

「…そう…だった…のか…」

と、言った後、真顔に戻り、

「……では、リツコ…君…、遅…すぎたが…、最後に…、私も…、言おう…。…この…運命を…、喜…んで…、受け…入れる…、と、…な…」

「えっ…? …碇…司令…」

 リツコは一瞬驚いた顔を見せた後、最後の力を振り絞り、ゲンドウの方に手を伸ばした。それを見たゲンドウも、弱々しくではあるが、リツコの方に手を伸ばす。

 しかし、ベッドが離れているため、二人の手は届かない。その時渡が、

「ちょっと待て」

と、二人を制した。二人は驚き、手を引っ込める。

 渡は医師に目配せすると、リツコのベッドに足元に近付いた。医師も頷き、ベッドの頭側に来る。

「よっ、と」

 渡の掛け声で、医師と渡はリツコのベッドを持ち上げ、ゲンドウのベッドの横に並べた。

 続いて渡は、医師に向かって、

「監視カメラは動作していますか?」

 医師は頷き、

「はい。無論」

「生命活動監視装置は?」

「無論、そちらもセットしています」

 それを聞いた渡は、

「では、監視カメラの角度を変え、足元だけを写すようにしても、監視そのものには支障はありませんな?」

「はい、現状でしたら特に支障はありません」

 渡は頷いて、

「では、そのようにして下さい。で、部屋の外に監視員を付けておけば、我々は暫く退出しても構わんでしょう」

「はい。了解しました」

 医師は素早く監視カメラの角度を変えた。これで、ゲンドウとリツコの上半身は写らない。

「完了しました」

「では、我々はしばらく休憩するとしましょうか」

「はい」

 渡の言葉に医師は頷くと、看護婦を促して退室して行った。渡もベッドの上の二人を一瞥し、部屋を後にした。

バタン

 ドアが閉じた後、

「………」

 ゲンドウが無言でリツコの方にゆっくりと手を伸ばした。そして、リツコも何とか伸ばす。

「………」
「………」

 無言のまま、二人はしっかりと手を握り合い、最後のお互いの手の温もりを感じ合っていた。

 +  +  +  +  +

 その夜、加持とミサトは、祇園のとあるスナックのカウンターでグラスを傾けていた。

「…加持君、『3ヶ月』よね……」

「そうだな。…手がかり、まるで、なし、か…。お手上げだ……」

「毎日、みんながんばってくれてるのにね……」

「ああ、そうだよな。…せめて何か、ちょっとした事でもわかりゃなあ…。あ、そう言えばな、今日、渡から電話があったよ。…碇司令とリッちゃんな。今日の夕方、二人とも死んだそうだ」

「そう。…やっぱりね。…リツコの言ってた事、あたったのね…。シンジ君にはもう言ったの?」

「ああ、一番にな…。でも、淡々としてたぜ。遺骨は引き取って、墓を立てる、って言ってたよ」

「そうなの。…シンジ君も変わったわね。…でも、私も、加持君も、碇司令も、リツコも、みんな変わったのよね……」

「諸行無常、って言葉が、これほど身にしみるとは思わなかったよ……」

 二人はグラスに残った酒を一気にあおった。

 +  +  +  +  +

「お~い、加持い~、ひっく、あたしらのさあ、ケッコン式は、どうすんねん、っと!」

 今日は満月。月明かりの帰り道、加持の背中でミサトがクダを巻いている。

「もうちょっと先になりそうだな、…せめて、1年経つまでは、な……」

「1年? レイと沢田君の喪が明けてから、ってことなんかいっ! う~い。こらっ! あの子らはまだ死んだと決まったわけじゃないのよっ! 縁起でもないこと言うなってのっ! ひっく」

「そう言う訳じゃないよ。…ないんだが、当分は無理だって事ぐらい、わかるだろ。え?……」

「わかってるわよっ! わかってますけどねっ! あんたねっ! 約束やぶってんのよっ! こらっ! ひっく」

「約束? なんの事だ?」

「あんたさ、第3にいた時、正月前に、京都に一人で来たでしょっ! う~い。その前にさあ、わたしのマンションで会議やった時さ、『みんなで京都に行く』って言ったじゃないのよっ!」

「お、そう言や、そんな事言ったな。で、それがなんで約束やぶりなんだ?」

「なに言ってんのよっ! レイがここに来てないじゃないのっ! あんたもさあ、男だったら、う~い、約束守って、レイをここに連れていらっしゃいよっ! ひっく」

「そうか、そうだよなあ。…その約束はなんとしても守りたいよなあ……」

 その時、

トゥルルル トゥルルル トゥルルル

 突然加持のスマートフォンが鳴った。ミサトが慌てて背中から裸足のまま飛び降りる。

「もしもし! 加持です!」

『中之島ぢゃ! 葛城君も一緒か!?』

「はいっ! 一緒です!」

『すぐに研究所に戻れ! 大至急ぢゃ!!』

「は、はいっ!!」

 +  +  +  +  +

 大急ぎでタクシーを拾い、北山研究所中央制御室に駆け付けた加持とミサトの眼に飛び込んで来たのは、多くのスタッフが忙しく動き回る中、コンソールに向かう中之島と五大、そして十一人のパイロット達が真剣な表情でメインモニタを睨んでいる状況だった。

「遅くなりました! どうなったんです!?」

 息を切らせ気味に言う加持の言葉に、中之島と五大が振り向いた。中之島は加持とミサトに、

「フェイズ・スキャナに反応が出たのぢゃ! これを見てみろ!!」

 オモイカネⅡの画面に開いたウィンドウに映っている波形は、加持とミサトも見慣れた「マーラのノイズパターン」である。

「博士! これはマーラの!?」

「そうぢゃ! 月の方向から来ておる! また何か起こったのかも知れん!!」

 その時だった。メインモニタに映る満月の映像が突然強く輝いたのである。

「ああっ!!!!」
「ああっ!!!!」
「ああっ!!!!」
「ああっ!!!!」

 スタッフの叫び声がこだました。

 続く



この物語はフィクションであり、登場する人物、団体は全て架空の物です。

BGM:'祈り・オルゴールバージョン(Ver.2) ' composed by VIA MEDIA

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